「あなたはカフェオレだけでいいの?」
ずずず、とカップに口をつけた俺に母さんが自然な笑顔を浮かべてそんなことを言った。
俺は一瞬だけ固まって、そのあとにメニューに手を伸ばし、改めて確認していく。
「プリン、好きだったわよね」
そう言われ、俺の視線はプリンアラモードの画像で止まる。
子供の頃、仕事を頑張ったご褒美によくファミレスに連れて行ってもらった。
ハンバーグやパスタ、ステーキ。メインで食べるものは日によって違ったけれど、デザートは決まってプリンだった。そう言えば、三日月町に来てからは食べてなかったな。
「……うん」
そして、店員さんに追加注文をする。
店員さんが厨房へ注文を伝えに戻っていったところで、俺は息を吐く。
もう一つだけ、話さなければならないことがある。
これからのことについてだ。
「あのさ、母さん」
「うん?」
一口、コーヒーを飲んだ母さんがテーブルにカップを置く。
隣では双葉が白玉を口に含んで幸せそうな顔をしていた、呑気な奴め。
「これからのことなんだけど」
母さんとの間にあった問題は解決した。
けど、これから俺がどうするかはまだ決まっていない。
「……あなたの好きになさい」
「え?」
今の母さんなら話ができると思った。
だから、俺の気持ちを伝えれば分かってもらえるような気がした。
けど、そんなことをするまでもなく母さんの口からはそんな言葉が漏れて、俺は思わず言葉を失った。そんな俺の様子を見てか、母さんはおかしそうにふふっと笑う。
「無理に仕事に復帰する必要はないわ。こっちの生活が心地良いのなら続けてもいいし、戻ってきたいなら戻ってきてもいい。私は、あなたの選択を尊重する。もちろん、私としてはまた一緒に暮らしたいと思っているけれど」
「母さん……」
まっすぐな視線から伝わってくるのは、母さんの真剣な気持ちだった。
いつからか、母さんの俺への接し方は変わってしまって、俺はただ母さんの機嫌を伺うことだけを考えて過ごしていた。それは間違いなく、母と子の在り方ではなかったと思う。
やり直したい、と思う気持ちがないわけじゃない。
きっと、親子としてその時間は大切なものだろうし、今ここで歩み寄れば幸せな生活が待っているのかもしれない。
けれど……。
俺は隣にいる双葉を見た。
俺が直面している家族のとは違う、もう一つの大きな問題。
こうして向き合って話し合えば解決するようなものではない。それに、一人の少女の命に関わっている。俺がどうにかできるわけではないかもしれないし、このまま頑張っても何の成果も得られない可能性だってある。
「なに?」
双葉はこてんと首を傾げた。
仮にそうだとしても、知ってしまった以上はなにもせずにはいられない。
なにより、好きな女の子を救いたいと思う気持ちに嘘はつけない。
「……俺、今の生活が結構好きでさ」
ぽつり、と吐き出す。
母さんも、双葉も何も言わない。
「家を飛び出して、考えなしにこの町にやってきて、そうやって始まった生活だけど……まだ、その生活を手放したくないって思ってる。だから、今すぐに母さんのところに戻ることはできない」
母さんがこっちに来れば、と思わなくもない。
けど、それだと母さんの生活が崩れることになるし、なにより双葉との同居も終わってしまう。
それはそれで困るというか。
「だから、もうちょっとだけ待ってほしい。必ず、また母さんのところに戻るから」
「……ええ。待ってるわ」
今、俺がやるべきことを終わらせる。
そのときはきっと……。
「それじゃあ、私は帰るわ」
喫茶店を出たところで母さんがそう言った。
不思議なもので、実際にこうして会うまではまだ俺の中には会いたくないという気持ちがあったというのに、こうして話し合ったあと、そう言われると名残惜しさを覚える。まあ、それは話し合いが上手くいったということなんだろうけど。
「もうちょっといればいいのに」
俺が言うと、母さんはくすりとおかしそうに笑った。
「そうしたいのは山々だけれど、仕事も急に休んで来ちゃったからね。いろいろとやらなければならないことが残っているのよ。今度、またゆっくり来るわ」
「そっか……」
そう言って、母さんは駅の方へ行ってしまう。
見送りに行こうとしたけど、『大丈夫よ。それより双葉さんとのデートを楽しみなさい』と年甲斐もなく楽しげな表情を浮かべて言われたので店の前で別れることになった。
「よくよく考えたら今母さんに来られても、同居のこととか説明できないし助かったのかもな」
もう少しゆっくりしていく、となればもちろん俺の今の生活環境を確認しに来るだろう。
そうなると、俺と双葉が同居していることは隠しようがないし、それがバレると関係の説明がさらに面倒になる。つまり、母さんが次に来るまでにそこの対策はしておかなければならないということだ。それはそれで大変だな。
などと思いながら、彼女を振り返る。
「……」
どうしてか、双葉は珍しく頬を赤くしていた。
なんというか、端的に言うと恥ずかしそうというか。
「どうした?」
「いえ、なんでもないわ」
平然を装っているつもりかもしれないけど、顔はまだ全然赤い。
「いや、なんでもないってことはないだろ。顔、赤いぞ?」
俯きがちだった双葉の顔を覗き込む。
すると、双葉はハッとして一歩後ずさって距離を取ってきた。
「だから、なんでもないってばっ!」
「もしかして、また体調悪くなったんじゃないだろうな?」
「そうじゃなくて……」
「じゃあなんだよ」
いつもの双葉閑ではない。
何かを隠しているような、誤魔化そうとしているような雰囲気がする。
また呪いで体調を悪くしている可能性は大いにあるので、ここはしっかりと気にしなければ。
「……ょ」
「ん?」
ぼそりと漏れ出た言葉に俺は眉をひそめた。
ぷるぷると肩を震わせていた双葉は恨めしそうにキッと俺を睨む。
「デートに思われたことが恥ずかしかったのっ!」
「そういう感情あったんだ……」
それはつまり、意識されているということだろうか?
そう思うと嬉しくて上手く表現できない感情になる。イメージ的に双葉ならば『デートなわけないでしょ。なに調子乗ってるのよ』みたいな冷たい言葉を浴びせてきそうなものだけど、まさかこんな乙女チックなリアクションをしてくるとは。
「ばかにしてる?」
「してないしてない」
「男の人とこうして出かけたりしたことないから、そう見えるんだって思っただけだから!」
ふん、と踵を返して歩き出す双葉。
可愛いところあるなあ、と思いながら俺はその数歩あとをついていくことにした。
こういうときは少しの間、クールダウンをさせるのがいいだろう。少しすれば、きっといつもの調子に戻ってくれるに違いない。
前を歩く双葉閑を見ながら、やっぱり俺は彼女のことが好きなんだと再認識する。
母さんとの一件があって、途中で考えが止まってしまっていた。自分の気持ちに気づいた俺は、今後彼女とどういう関わり方をするべきかという問題。
もちろん、付き合いたいと思う。
好きな女の子に対して、そう思うのは何ら不思議なことではないだろう。
けど、今はそれどころじゃないのかもしれない、とも思う。
魔女の呪い。
それが解決するまでは我慢しよう。
まあ、双葉がその気になるようなことがあれば、それは別の話だけどな。
……ないか。
…………うん、ないな。
可能性薄な未来にがっくりと肩を落としていると、前を歩いていた双葉の足が止まっていたことに気づく。ぶつかる一歩手前でなんとか足を止めることができた。
「どうかしたか?」
足を止めた双葉は壁のところをじっと見ていた。
そんな興味を惹かれるものがそこにあるのか、と気になった俺は彼女の視線の先を確認する。
「別に、なんでもないわ」
ふいっと再び前を向く双葉。
彼女が見ていた先には一枚のポスター。
『月ノ木ウォーターワールド』
月ノ木というのはここら辺の場所の名前だろう。
ポスターには水着の人が写っていて、ウォーターワールドという名前からも、プールの施設の宣伝ポスターであることは容易に想像できた。
「プール、行きたいのか?」
後ろから声を掛けると、彼女の背中がびくりと揺れ、その足が止まった。