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第39話 母と子①

 三十後半という年齢にしては、親という贔屓目を抜きにしても美人な部類だと思う。


 長い黒髪、整った顔立ちは化粧によって美しさを纏っている。すらっと伸びた体躯は俺よりも高い。細いウエストの反面、胸はしっかりと主張されている。容姿だけを見れば確実にそこら辺にいる女優よりもレベルは高いだろう。


 にも関わらず、母は女優として活躍することはなかった。

 容姿だけでやっていける世界ではなかったということだ。結局、演技のレベルと、汎用性の高いキャラクター性が必要なのだ。


 すた、すた、こちらに向かってきた母さんはつり上がった鋭い目つきで俺を捉える。


「紘……」


「……母さん」


 その表情から、なにを思っているのかは分からない。

 第一声は怒声か、それとも――。


 俺は母さんの反応を伺っていたが、どうやらあちらも同じような考えだったらしく、沈黙が起こってしまう。


 俺はこの時点で驚いていた。

 てっきり、開口一番で『帰るわよ! なに勝手にいなくなってるの!』と怒られるのだろうと予想していた。そして、俺の弁明など聞く耳持たないまま、無理やりに連れ戻されるとばかり思っていたのだ。


 しかし、母さんの反応は様子見だった。

 それはつまり、俺の言葉を聞こうという意思があるということ。


「……うぷ」


 後ろではイスに座った双葉が俯いたまま、まだ車酔いのダメージと戦っている。

 しかし、俺と母さんの異様な雰囲気を察したのか、彼女は顔を上げて立ち上がる。そして、私は彼の味方ですと主張するように、俺の隣までやってきた。


 母さんは双葉の存在に目を丸くした。

 さっきまで後ろで死んでいた女の子が、俺の関係者だとは思っていなかったのだろう。


「……そちらは?」


 ようやく口を開いた母さんに俺は答える。


「彼女は俺の……」


 俺の、なんだろう。

 ひとつ屋根の下で暮らしているという事実はあれど、友達と呼ぶのは少し違うような気がする。かといって、もちろん恋人同士ではないし、家族でもない。恐らく、友達という表現が一番近いんだろうけど、どうにもしっくりこない。


 そう言い表すには、俺の中の彼女の存在は中々に大きくなってしまっているのだ。


「俺の、なんだろう」


「クラスメイトです」


 俺が言葉を詰まらせていると、双葉が代わりに口にした。


 あ、俺達ってクラスメイトなんだ。事実そうなんだろうけど、なんかそれで片付けられるのはちょっと悲しいというか。特別に思っているのって俺だけなんだ、とショックを受けてしまう。


「クラスメイト?」


 双葉の言葉に母さんは眉をひそめた。


「ええ。ですが、少し特別な相手だと思っています」


 真面目に、真剣に。

 双葉閑は怖気づくこともなく、はっきりとそう口にした。


「とく、べつ……? それは、その恋人のような?」


 母さんが狼狽えている姿を俺は初めて見たかもしれない。


「そういうのではありません」


「じゃあ特別というのは?」


 若干食い気味になる。

 双葉と話す母さんを見ていると、なんというか、俺の中にあったこれまでの母さんのイメージが崩れていっているような気がした。


 母さんは女優に憧れていて。

 けれど、その夢を果たすことは叶わなくて。

 潰えた夢を、それでも諦めきれなかった母さんは、生まれてきた俺を自分と重ねた。


 そして、自分の叶えられなかった夢を叶えさせようと俺を芸能界に半ば無理やり飛び込ませた。


 母さんは俺を、ただの代替品くらいにしか思っていないのだと思っていた。

 最初はそうじゃなかったかもしれないけれど、俺を芸能界に入れてからは、そんなふうに思っているのだと勝手に思い込んでいた。


 けど。


 目の前で双葉と話す母さんの顔は、いつの間にか見ることのなくなった母の顔なような気がした。


「申し訳ありません、上手く言葉にはできないんです。ですが、彼がお母様とお会いになると聞いたとき、居ても立っても居られませんでした。ですので、迷惑と分かっていながら、同行させていただきました」


 ぺこり、と双葉は綺麗な所作で頭を下げる。

 そんな彼女の様子に母さんは溜息をつき、額から垂れてきた汗をハンカチで拭う。


 今はまだ夏真っ只中だ。


 都会に比べれば幾分か涼しいとは言え、まだまだ暑いことには変わりない。こんなところにいつまでもいたら、いつか熱中症で倒れてしまうかもしれない。


「……こんなところで立ち話もなんだし、どこかに入りましょうか。いろいろと話したいこともあるしね」


 そう言って、母さんが先に歩き出す。

 俺と双葉は顔を見合わせ、母の背中を追った。






 バスのロータリーからも見えていたイオンモールに入ることにした。

 入口の自動ドアが開いた瞬間に中からひんやりとした冷気が飛び出してきて、俺の肌を撫でた。夏の醍醐味、というと少し違うのかもしれないけれど、この暑いところから涼しい場所に移動したときの快感は中々どうして素晴らしい。


 太陽の日差しによって上昇した体温が一気に冷まされる。

 エアコンって素晴らしいな、とこの涼しい空間に足を踏み入れる度に思う。


「えっと、そういえばお名前聞いてなかったわね」


「あ、すみません。双葉閑といいます」


「双葉さんね。私は上村花恵、よろしく」


 なんでこんなタイミングで自己紹介なんか始めたんだろう、と思っていると。


「それで、双葉さん。ここら辺でどこか、落ち着いて話ができる場所はないかしら?」


「落ち着いて、ですか。喫茶店とかでいいんでしょうか?」


「ええ、大丈夫よ。できれば、案内してくれるかしら?」


「もちろんです」


 そんなわけで先頭が母さんから双葉に代わる。

 双葉の後ろで母さんと並んで歩くのは、まだちょっと心の準備ができていないので俺は前を歩く双葉に並んだ。


「聞いていた印象とは随分と違うようだけれど」


 視線は前に向いたまま、足を止めることなく双葉がそんなことを言う。

 夏休みということもあってか、イオンモールの中は大層賑わっている。家族連れが多いけれど、中には友達やカップルのような間柄に見える人たちもいた。見覚えのない顔がほとんどで、きっと三日月町とは違う場所から来ているのだろう。どこかは知らないけど。


「俺も驚いてるよ」


 短く答えると、双葉は「ふぅん」とだけ言葉を漏らす。その反応からは、なにを思っているのかは察することができない。


 そうこうしている間に双葉の案内は終了し、目的の場所に到着する。


「こちらです」


 喫茶店の前にあるショーウィンドウには店のメニューのサンプルが並べられている。オレの視線はその中のクリームあんみつで止まった。ここ、双葉が言ってたお店か。他に喫茶店がないのか、それともせっかくだからとここにしたのか。まあ、どっちでもいいけど。


 結果的に言えば、双葉がいてくれて助かっている部分は大きい。


 シリアスな空気の中で話し合うとばかり思っていたので拍子抜けではあるけれど、言い合いにならないに越したことはないし、言い合いであればむしろまだ良かったくらいで、最悪の場合として話し合いにならないことを想定していた俺としては有り難い展開だ。


 それはもしかしたら、双葉がいたからなのかもしれない。

 双葉が店内に入り、人数を店員さんに伝える。


 席は半分ほどが埋まっているだけで、俺達はすぐに席に案内してもらえた。休日でもこれだけ空いているのは、やはり田舎だからだろうか。


 俺と双葉が隣り合わせて座り、それに向かい合うように母さんが腰を下ろした。


「……」


「……」


 どう話し始めようか、と振り出しに戻った俺と母。


 そんなことなどお構いなしか、隣で双葉が呑気にメニュー表を開いた。


 外に出ると、こいつ結構自由だな。

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