三日月町から最寄りの電車の駅まではバスで一時間はかかる。
コンビニが全然コンビニエンスじゃないところにひしひしと田舎味を感じるのは日常となり慣れつつあるけれど、こうして電車の駅まで向かうのは中々ないので新鮮だ。
母さんはこっちに向かってるはず。
駅の前で待っていれば、きっと顔を合わせることができるはずだ。
それで、ちゃんと話そう。話した上で、今の俺の生活を認めてもらうんだ。
そんな覚悟で家を出た。
ここに帰ってくるときは、自分の中の気持ちと決着をつけて、生まれ変わってくるぜという勢いだった。
なのに。
「どうしてついてくるの?」
俺の隣には双葉がいる。
白のワンピースに麦わら帽子。彼女が時折、正体を隠して町に出るときに使う変装した姿だ。化粧の仕方も少し変えているのか、いつもと雰囲気が少し変わる。なんというか、大人っぽいのだ。
いつもよりも赤い唇が俺の視線を集めやがる。
「駅の方に行けばイオンがあるから、たまにはそこでクリームあんみつでも食べようかと思って。体調も戻ったことだし」
そういえばあったな。
三日月町と違って、駅の方はわりと栄えていた。
もちろん、田舎町と比べればの話なので都会である東京なんかと比べれば天と地ほどの差があるけれど、この辺に住む人からすればあそこは間違いなく都会なのだろう。
「双葉ってこの辺から出たことあるのか?」
「ないわよ。生まれてからずっと、あの町にいるわ」
「それは魔女の呪い的な意味でか?」
「いいえ。機会がなかっただけ」
まあ、詳しくは聞いてないけど小さい頃に親を亡くしてるわけだし、旅行とかのイベントもなかったのかもしれない。だとしたら、東京に行こうものなら大変なことになるかもな。その光景を想像すると笑えてしまう。
「中学のときに修学旅行なかったの?」
「あったけど、体調不良で休んだの」
「それは、魔女の呪い的な感じで?」
「かもね。それか、シンプルに風邪を引いたか」
二人して視線は前に向いたまま、互いの顔を見ないままの会話が続く。
バスはひたすら木々に囲まれた道を進んでいる。ところどころに停車駅はあるんだけど、こんなところ誰が利用するんだと疑問を抱くくらいに周りが森だ。三日月町の駅から一緒に乗った数人が、ひらすらに乗り続けている。目的地は恐らく同じだろう。
「行ってみたいとか思うのか?」
「興味はあるわね。遊園地とか行ってみたいし」
淡々とした口調で、上手く感情は読み取れなかったけれど、最近はそうでもない。
一緒に住むようになって、少しずつ彼女のことを分かってきた。
淡々とした口調でも、意外と声色が違ったりするんだよな。さっきなんか、遊園地に行く未来を想像してか、ちょっとワクワクした感じだった。
「なんかちょっと意外だ」
「なんでよ」
「いや、どっちかっていうとクール系じゃん。『遊園地? なにそれ子どもの遊び場でしょ』くらい言いそうじゃん」
「言わないわよ。それに、私も子供だし」
ふん、と拗ねたように顔を背ける姿はシンプルに可愛らしかった。
たしかにまだ子供だ。俺も含めてな。
俺はポケットからスマホを取り出し、ラインアプリを開く。そして少しスクロールして見つけた母とのメッセージ画面を表示する。
俺が家出をしたときに届いた、既読にしたままのメッセージが母との最後のやり取りだ。
俺はそこに文字を打ち込み、送信する。
「それ、スマホ?」
「え? ああ、そうだけど。そういや双葉は持ってないな」
「必要ないからね」
三日月町の人たちはあまりスマホを持っていない。
大人となればさすがに持ってるだろうけど、子供は買ってもらえないのだろう。
周りが持っていないのだから、連絡手段として成り立たないし、そもそも用事があれば家まで向かうような奴らばかりだし、そもそも必要としていない節がある。だから俺もここに来てからはあまりスマホに触れることはなくなった。そんなことしなくても、楽しい毎日はそこにあったから。
東京にいた頃、スマホを手放した毎日なんて想像できなかったけど、意外となんとかなるかもしれないというのは今の俺の見解だ。
「そんなに気になるか?」
つんとした態度の一方、俺の手にあるスマホは気になる様子の双葉。
声を掛けるとびくりとして再び顔を背ける。
しかし、やはりこっちをちらと見てくる。素直になればいいのに。
「別に面白くもないけど、見たけりゃ見ていいぞ」
「……いいの?」
「見られて困るもんはないからな」
まあ、画像フォルダを見られるとちょっとだけ困るけど、わざわざ人のスマホ預かって画像見たりはしないだろ。
「ゲームでもしてみるか?」
俺はインストールしてあったメロンゲームを起動する。
最近はやってなかったけど、一時期は寝る間も惜しんでハイスコアに挑戦したものだ。
「なにこれ」
「果物落としていってハイスコア目指すゲームだよ」
詳しい説明をしていると、双葉はふむふむと真剣に頷く。
「やってみりゃ分かるよ」
「ええ」
左手でスマホを持ち、まるでガラス細工でも扱うような慎重な手つきでスマホに触れる。つんと画面に触れた親指が、画面上から果物を落とす。
「わっ。落ちたわ!」
「そういうゲームだから」
反応が新鮮だな。
俺達にとっては馴染みのあるツールだからなんとも思わないけど、そうじゃない人からするとスマホって凄い機械なんだな。タッチに反応して操作できるってのは驚きなのか。けど、思い返すとガラケーからスマホに変えたときは似たようなテンションだったか。
双葉がゲームに熱中し始めたので、俺はしばらくの間、代わり映えしない外の景色を眺めていた。
どれくらいの時間が経っただろう。
ようやく森の中を抜け、徐々に景色が広けてきたとき。
「……うぷ」
双葉が酔った。
そりゃ車の中でずっとスマホ見てればそうなるよ。
「大丈夫か?」
「……気分が悪いわ。もしかしたら呪いの影響かも」
「いや、それは間違いなく車酔い」
バスがロータリーに到着し、乗車していた人たちがぞろぞろと降りていく。
ふらふらしながら歩く双葉を後ろから見届けながら降りる。支えようとしたけど断られた。
別にやましい気持ちはなかったんだけど、あそこまで即答で断られるとさすがに凹むな。そんなに俺に触れられるの嫌だったのかな。
「ちょっと座るか?」
「……そうね」
空いていたイスに腰掛けると、双葉は深呼吸を繰り返す。空気が美味しんだよな、分かるわかる。けど、車酔いに深呼吸って有効なのかな。
そんなことを思いながら、瀕死寸前の双葉を眺めていると、少し離れたところでザリッという足音が聞こえた。
何気なくそちらを見やると、そこにいた人物が俺を睨みつけるように見ていた。
「紘……」
ぽつり、と俺の名を呼ぶ。
その声にはどんな感情が乗っていたのだろうか。
一瞬過ぎて俺にはよく分からなかった。
勝手に逃げ出した怒りか。
会えなかった寂しさか。
見つかった安堵か。
「……母さん」
こうして、俺は母さんと再会した。
ここから母さんとどう話すかが、俺の今後を決めることになる。
俺はまだこの町を離れたくない。だから、何としてもこの思いを届けるんだ。
「……うっぷ」
やっぱり深呼吸は効かないのかもしれない。
雰囲気台無しだよ。