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第37話 覚悟を決めて

「それで?」


 ずずず、とコップに注がれた野菜ジュースを飲んだ双葉がこちらを向いた。

 朝食の準備を終えたところで、俺達は食堂へ移動し向かい合って座りそれぞれ食事を始めた。たわいない会話を挟んだあと、双葉がこちらに視線を向け、そんなことを言ってくる。


「それで、とは?」


 質問の意図を汲み取りきれず、俺はオウム返しをする。


 すると、双葉は盛大な溜息を見せつけるようにわざとらしく吐いた。やれやれとでも言いたげな顔に、俺は言葉を飲み込む。裸を拝んでしまった手前、まだ俺は彼女に対して強く出ることはできない。


「どうしてこんなに早起きなの? いつもはもっとゆっくりでしょう?」


「それを言うなら、双葉もだろ」


 彼女の言うことは尤もで、俺にしては珍しく早い時間の起床だ。早い中でもさらに早く、こんなに早起きなのはきっと年に一度くらいしか起こらないくらいだ。つまりもう今年は起こらない。


 しかし、それは置いておくとして、双葉がこの時間なのも珍しい。いつもこの時間に起きてはいないので知らないけど、彼女が言うにもう少しゆっくりのはずだ。


「私は昨日しっかり寝たから、目が覚めたのよ」


「ああね。そういえば、体調はもういいんだな?」


「見ての通りよ」


 元気になられたようだ。

 いや、むしろ元気になりすぎているかもしれない。その証拠に俺への当たりがいつもより少し刺々しい気がするもの。やっぱりさっきの一件が関係しているのだろう。そうに違いない。


「それで?」


「ああ、えっと」


 俺は言い淀んでしまう。

 これを彼女に言うべきか、まだ悩んでいたからだ。


 けれど、説明せずにこの先のアクションを起こせば必ず彼女に疑問を抱かせる。事情はともあれ、こうして一緒に住んでいる以上は情報の共有はしておくべきだろう。


「ちょっと、面倒なことになってさ」


「面倒なこと?」


 俺の含みのある言い方に、双葉が眉をひそめた。

 俺は乾いた喉に野菜ジュースを流し込む。ふうと息を吐いて、改めて彼女の目を見た。


「……俺がどうしてこの町に来たか、双葉は分かるか?」


「分からないわ」


「もうちょっと考えてくれてもいいのに」


「知らないものを考えてもしかたないもの。思いつく理由はせいぜいイジメに遭っていたとかくらいだし、急な時期に一人でやってきたくらいだから、あまりいい理由ではないのは確かでしょうね」


 そりゃそうだ。

 親と一緒ならば転勤に巻き込まれたと予想できるけど、俺はこの町に一人でやってきた。


 しかも、夏前という中途半端なタイミング。双葉の言うとおり、考えつくのはどれもネガティブな理由ばかりだ。


「そういや、一回だって訊いてきたことなかったな。まあ、そんなことに興味ないか」


 転校してきて一週間くらいの間はクラスメイトからそんなことを訊かれることもあった。

 けど、自分が芸能人であったことを伏せていたというのもあるけれど、そもそも楽しい理由でもないし、だから曖昧な言葉で誤魔化していた。もしかしたら、彼女はその様子を見ていたのかもしれない。


「興味がないという表現をされると、さすがに否定せざるを得ないわね」


 おどけて言った俺の言葉を彼女が否定した。

 意外な反応に俺はまじまじと双葉の顔を見る。


「そうなの?」


「気になったことはあるわ。けれど、クラスメイトの質問にあなたが答えあぐねているのも見ていたし、きっと話したくないことなんだろうって思って訊かなかったのよ」


 なんというか、双葉って日常的にあんまり大きなリアクションを取らないというか、感情を表に出さないから、どうにも考えとかを理解しきれていないような気がしていたけど、俺って自分で思っているより嫌われてないのかな。


「そうなんだ」


「ええ」


 そう言われたことが嬉しくて、気づけば口角が上がっていて。

 だから。

 自然と言葉はこぼれ出た。


「俺さ、なにもかもが嫌になって全部捨てて逃げてきたんだ」


 一度こぼれた言葉はもう戻ることはなく、止まることもなく、そのまま流れ落ちる滝のように紡がれ続けた。


 俺が子供の頃から芸能界で活躍していたこと。

 母親と意見がぶつかってしまったこと。


 そして、それが原因で逃げ出したこと。

 双葉は俺が話し終えるまでなにも言わなかった。ただ、時折タイミングを見て相槌を打ってくるだけだった。


 ただ、じいっと視線はこちらに向いていて。

 しっかりと聞いてくれているのが伝わってきた。


「初めて俺がお前と会ったときのこと、覚えてるか?」


「もちろんよ」


 言いながら、双葉はこくりと頷く。


「あの時のことを忘れていたら、私はあなたとこうして過ごしていることにさぞ疑問を抱くでしょうね」


 だよな。

 あれがすべての始まりだったのだから。


「願いを叶えるといった双葉に、俺は結局願いを言わなかった」


「ええ。くだらない煩悩はぽろぽろと吐き出したあなただったけれど、本当の願いだけは最後まで吐かなかったわ」


 あれは別に、自分の事情を言いたくなかったわけじゃない。

 ましてや、双葉閑という魔女の存在や魔法を信じていなかったわけでもない。


 むしろ、信じていたからこそ言葉にできなかったのだ。あの問題を解決することがあるのだとすれば、それはやっぱり自分自身で向き合う必要があると思ったから。魔法で解決して次の日からスッキリした日々を送る、というふうには考えられなかった。


「あのとき俺が言わなかった願いは、家族との関係を元通りにすることだった。自分の手で壊してしまったのに、都合の良い話だよな」


 俺は別に母さんのことが嫌いだったわけじゃない。

 子供の頃は好きだったし、だからこそ褒められると嬉しかった。褒められようと、母さんの言うことをきいていた。その結果、子役として芸能界に足を踏み入れることになったくらいだ。


 けど、いつからか母さんは変わってしまった。

 そしてすべてが壊れてしまったのだ。


 壊れる前に戻りたいと思う。

 けど、それは難しいというか現実的にはあり得ないことだ。だから、俺の願いは一つだけだった。やり直せないにしても、元通りにはなるかもしれない。元通りにはならなくても、それに限りなく近い状態に修復することはできるかもしれない。


「話が逸れちまったな。それで、そう、俺が早起きした理由だったっけ」


「そうね。そんな話だったわ」


 双葉も話が大幅に逸れたことは感じていたらしい。リアクションでなんとなく分かる。


「昨日、知り合いから連絡があってさ。母さんがこの町に向かってるらしいんだ」


 瞬間、双葉の体がわすかに揺れた。

 こわばった表情から、動揺したことが伺えた。


「それは、どうして?」


 分かりきった双葉の質問に、俺は乾いた笑みをこぼす。

 双葉だって分かっているだろうに、わざわざ口にさせるとは中々いい性格していらっしゃる。


「俺を連れ戻すためだろうな」


 ごくり、と喉を鳴らした双葉が緊張した顔で口を開く。


「どうするの?」


「昨日からずっと考えてた。俺はどうするべきなのか。今朝までは逃げて隠れてやり過ごすことが正しいんじゃないかって思ってたよ」


 俺は自分の手のひらに視線を落とす。


「今朝までは、ね」


 俺の言葉の真意を察したらしい双葉は、ぽつりとそう呟いた。


「ああ。こうして双葉と話して、自分の気持ちと改めて向き合って、逃げることが正解じゃないんだって気づいた。もちろん、それだって間違ってないのかもしれない。けど、今の俺にとっての最善はそれじゃない」


 この一件、俺にとってピンチな事態だと思っていた。

 けど違う。

 そうじゃない。


 これは俺にとってのチャンスなんだ。

 自分の中にある本当の願いを自分自身で叶えるための、もしかしたら最初で最後のチャンス。



「俺、母さんに会ってくるよ」

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