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第33話 告白

 ドドン。

 ドドドン。

 パパパパパパ。


 一面に広がる夜空に花火が咲き乱れる。

 地面から見上げた花火が辺り一帯を照らす。


 赤、青、オレンジ、緑。大きな音を立てて、色とりどりに弾けて消えていく。


「……」


 花火を見たのも随分と久しぶりだった。

 もういつだったかは覚えていない。ただ、こうして地面から夜空に咲く花火を見上げていたことは何となく覚えていた。いつの、どこでの記憶なのかは定かではない。ただ、今と同じようにこうして見ていたことだけがふわっと脳裏に残っていた。


「玲奈は毎年、この花火を見てるんだよな?」


 顔を近づけ、そう尋ねると彼女はこくりと頷く。その頬はわずかに赤くなっていた。


「うん。この町の、夏の風物詩みたいなものだからね。これを見ないと夏は終わらないって感じ?」


「贅沢な話だな。こんな綺麗なの毎年見れるんだからさ」


「紘くんも、これからは見れるんじゃないの?」


「そう、だな。そうだといいな」


 来年、俺はこの場所にいるのだろうか。

 そのことを考えたとき、その問いの答えをすぐに見つけることはできなかった。


 別になにか予定があるわけではない。この町が嫌だなんてことはなくて、むしろできることならば来年も、再来年もこの町にいたいと思っている。それくらいには、俺はこの場所を居心地のいい場所だと思っているのだ。


 ただ。

 去年の夏、果たしてこの町に来ているという未来を一ミリでも予想していただろうか。可能性の一つとして想定していただろうか。答えは否だ。去年の俺は、これまでと変わらない夏がこれからも訪れ続けるのだと思っていた。


 だから、つまりなにが言いたいのかというと、これから先なにが起こるかなんて予想もできないということだ。俺達はまだまだ子供で、目の前で起こることに一人では対処できないことだってあって、理不尽な現実に振り回されることだってある。


 未熟で力足らずな俺達にできることはせいぜい足掻くことだけ。


 それだけなのだ。


「紘くん?」


 黙り込んだ俺を心配するように、玲奈が顔を覗き込んできた。


「ごめん、なんでもない。花火が綺麗過ぎて見惚れてた」


 俺は心配かけないように笑って誤魔化した。それに、花火が綺麗なのは事実だしな。

 それからしばらく、俺達は花火を見上げていた。


 ドドン。

 ドドドン。

 パパパパパパ。


 ひゅう、と最後の一発が打ち上げられる。

 皆の視線がそちらに集まり、期待を孕むように息を呑む。その時間だけは、ここにいる全員の頭には目の前の花火しか存在していないような気さえして。


 一瞬、静寂がこの空間を支配した。

 隣にいる人の息をする音が聞こえるほどの静けさ。思わず、ごくりと喉を鳴らしてしまう。


 そして、次の瞬間。


 バババババン。


 今日一番の大きな花火が夜空に弾け咲いた。

 同時にそこかしこから感心の声が漏れ出る。多分、俺も同じような声を出していただろう。


 まぶたに、脳裏に、記憶に焼き付く夏の風景。

 小学生のように夏の思い出絵日記が宿題で出ていたならば、間違いなく俺は今日の日のことを描いていただろうな。絵を描くスペースには枠いっぱいにカラフルな花火を描いたに違いない。みんな同じ気持ちだろうから、絵日記というよりは花火日記になってしまうかもしれない。


 そんなことを思いながら、俺はしばし静けさを取り戻した夜空を見上げていた。

 花火は終わってしまったけれど、こうして見ると点々と星が散っていて、普通に綺麗だった。


「……ねえ、紘くん」


 玲奈に呼ばれ、俺は我に返る。

 彼女を振り返ると、玲奈はじっと俺を見つめていた。


 揺れる瞳から伝わるのは真剣さだ。

 気づけば周りの人は次々とこの場を離れていっている。花火が終わり、家に帰る人がいれば祭りの場へと戻る人もいるのかも。もしかしたら、俺の知らない次なる場所を目指す人だっているかも。


 そんな中、ここに残っているのは俺と玲奈だけ。

 水が揺れる音がする。


 ライトアップはされていなくて、周囲は暗くて遠くは見えない。

 今、俺に見えているのは目の前にいる玲奈の顔だけだ。


「うん」


 俺は彼女に向き直る。

 いつになく真面目な空気に俺はゆっくりと息を吐いた。


 きっと、これから彼女は自分の気持ちを吐露するのだろう。

 俺はそれを受け止めなければならない。


 いいや、それだけじゃなくて。

 受け止めて、向き合わなければならないのだ。


「わたしね、この町が好き」


 微笑んだ彼女はまるですべてを包む天使のようで。


「山も、海も、学校も。住んでいるみんなも、大好き」


「うん」


 俺は頷いた。

 玲奈がそう思っていることは、普段の彼女を見ているとよく分かる。


 本当にこの町が好きなんだなって伝わってくるのだ。


「でね、この町に来た紘くんのことも、好きになったよ」


 へへ、とはにかむ玲奈を見て、俺は思わず頭を掻いた。

 彼女はその言葉をどういう意味で言ったんだろう。俺が捉えた意味で合っているのだろうか。


 そんなことを考えていると、玲奈が言葉を続ける。


「でもね、紘くんの好きは他よりちょっとだけ、特別な好きなの」


 自分の胸の前でぎゅっと手を握る玲奈。

 まるでそこにある大切なものを慈しむように優しく笑う。


「だからね、紘くん」


 たたっと、彼女は俺との距離を詰める。


 二人の距離は数センチ。


 俺の顔を見上げる彼女の顔は不安げだった。


「わたしとお付き合いしてくれませんか?」


 そう言って、玲奈は精一杯笑った。

 玲奈は俺のことが好きなんだ。


 恋人。それは俺が欲しがった青春の一幕だ。


 普通の人が過ごすありふれていてかけがえのない、愛しい日常の一ページ。


 春夏秋冬を恋人と過ごす。きっとそれはすごく楽しいことに違いない。


 俺の隣に玲奈がいて、笑う彼女と並んで歩く。そんな彼女と見る四季折々の景色はきっとこれまでのどれよりも美しく見えるのだろう。


「……俺は」


 俺は玲奈のことが好きなのか?


 友達としてではなく、女の子として。


 その二択を自らに強いたとき、きっと答えはイエスで。


「ありがとう。気持ちを伝えてくれて、そう言ってくれて素直に嬉しい」


 けど。

 俺はその幸せに手を伸ばすわけにはいかない。


 俺にはまだやらなければならないことがあるのだ。


「けど、ごめん。玲奈とは付き合えない」


 だから俺は頭を下げた。

 誠心誠意、気持ちを伝えるためにできる限り深く。


「それは、わたしのことが好きじゃない、から?」


 不安に押しつぶされそうな震えた声が聞こえ、俺は顔を上げる。

 そこにあったのは涙をこらえ、揺れ潤む瞳を見せる玲奈の顔だ。


「そうじゃない。玲奈のことは大切だし、好きだとも思ってる。けど、それよりも大事なことがあって、それを放っておくわけにはいかなくて」


 俺の脳裏に蘇る少女の顔。

 俺はあいつを放っておけない。いや、放っておくわけにはいかないのだ。


「それって、双葉さん?」


「……ああ」


 ここは誤魔化してはいけない。

 だから、まっすぐに玲奈を見ながら頷く。


「あいつは、俺にとって特別な存在なんだ。そして、今は双葉が抱えている問題を解決しないといけない。俺がそうしたいって思ってる」


「双葉さんの、問題?」


 玲奈が首を傾げる。


「ごめん。それは言えないんだ」


 彼女の問いにかぶりを振る。


「だから、玲奈とは付き合えない」


「……そっか。うん、わかった。ちゃんと答えてくれて、ありがと」


 弱々しい声が暗闇に消えていく。


「わたし、ちょっとだけここにいるから、紘くんは先に帰ってくれるかな?」


 震える肩に触れる権利は俺にはない。

 出かけた言葉を飲み込んで、俺は彼女から視線を逸らした。


「分かった。じゃあ、また」


「うん。またね、紘くん」


 無理やりに作った玲奈の笑顔はひどく痛々しくて。

 彼女にそんな顔をさせてしまった自分をぶん殴ってやりたくなった。


「……はあ」


 一人になって、息を吐く。

 断ることはなかったのではないだろうか。


 確かに今は双葉の問題が目の前にあって、それを解決することが俺にとっては大事で。


 でも、それは……。


 いや違うな。


 玲奈は自分の気持ちに素直になって、気持ちを伝えてくれたんだ。


 俺も自分の気持ちとちゃんと向き合わないといけないよな。じゃないと、玲奈に失礼だ。


 立ち止まり、夜空を見上げる。


 もう一度、息を吐いた。


「俺が好きなのは玲奈じゃなくて、あいつなんだな」


 玲奈のことは好きだ。それは間違いない。

 けれど、そんな玲奈の告白を断ったということはつまり。




 それ以上に、双葉閑という一人の女の子のことが好きなんだ。



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