主人公と魔女――双葉泉の出会いによって物語は急展開を迎えた。
自分の目的、つまり都市伝説の解明が目的であると説明した主人公だったが、双葉泉はそれに対し協力的な姿勢は見せなかった。そりゃ無理もない。なにせ、自分の生活が一変してしまう恐れがあるわけだし。
主人公は考え方を改めた。
突然現れた相手に対し、自分の大事な情報を簡単に話すはずがない。そう思い至った主人公はシンプルに双葉泉と仲良くなることにした。
何度も、何度も。
彼女は月光洋館に足を運んだ。
そうしていくうち、徐々に双葉泉も主人公に心を開いていった。
こいつは敵ではない。
彼女がそう思った時、ついに魔女についてが語られる。
「俺が双葉から聞いたことだな、これ」
「そうね。私が母から聞いたことでもある」
そこで双葉泉が話したのは魔女の役割について。
謝儀を受けなければ体調を崩し、最悪の場合は死に至ること。そのために魔女は町に出て謝儀を受けるような活動を続けていること。そして、与えられた魔法によって夜な夜な活動をしていること。
「ところでさ」
「なに」
「この双葉泉っていうのは、本当にお前の曾祖母ちゃんなのか?」
「そんなの知らないわよ。名前が一致しているってだけで」
「でも、そんな偶然ってないだろ」
「私もそう思うわ。だから、多分そうなんだと思う。この本は本当に、私のひいお祖母様と作者の物語なんだわ」
ということは。
つまり、この本がノンフィクションで、作者の見たこと全てが書き綴られているのだとしたら。
この本の結末は……。
泉さんが体調を崩した。
彼女から聞いていた魔女の呪いによるものだということはすぐに分かった。
発熱し、数日寝込むことは珍しくなかったらしい。そのとき、たまたま月光洋館に来ていた私は彼女のお世話をすることにした。泉さんの容態が良くなるまで、つきっきりで看病した。
謝儀。つまり感謝の気持ちを受け続ける必要がある。
泉さんが言うに、魔女はこの呪いから解放されることはないらしい。
その命の灯火が消える瞬間まで、蝕まれるそうだ。
うなされる彼女を見て、私は何とか彼女を助けられないかと考えた。けれど、そう思ったところで解決策が見つかるわけでもなく、結局、私にできたのは苦しそうな彼女の体調が戻るのを近くで祈ることだけだった。
彼女の体調が戻った頃、私の夏休みも終わりを迎えようとしていた。
結局、この町の都市伝説を解き明かすことはできなかった。けれど、それ以上に大切な存在に出会うことができたのは私の人生にとって、間違いなく最高の財産だ。
私はこの出会いを忘れることはない。
彼女の存在を忘れることはない。
たとえこの先に待ち受けるのが、残酷な運命であったとしても。
「……今日はこれくらいにしておくか?」
ふう、と双葉が一息ついたところで俺は彼女にそう投げかける。
気を遣ったつもりなんだけど、彼女は「どうして?」と首を傾げた。
「いや、疲れたかなと思って」
気づけば本は半分以上読み進めていた。あと三分の一くらいだろうか。
そうは言ったけど本音は別にある。普通に、その先を彼女が見るべきではないと思った。
「別に気を遣わなくていいわよ」
俺の空っぽの言葉が嘘であるとすぐに察した彼女がそんなことを言う。
「むしろ、この目でちゃんと見たいくらいよ。魔女の運命というものを。それは、私がこの先辿るかもしれない道なわけだし」
「でも……」
「お茶、なくなったわね」
これ以上は言わないで、とでも言うように双葉は立ち上がってキッチンの方へ向かう。ピッチャーを持ってきて俺の分も含めてお茶を注いだあとに再び腰を下ろした。
「さ、読みましょう。このままじゃ気になって眠れなさそうだわ」
「……まあ、そう言うなら」
俺達は再びページに視線を落とす。
その翌年。
私は再び、泉さんのもとを訪れた。
都市伝説を解明したい、という気持ちがなくなったわけではなかったけれど、そのときの私はただ泉さんの顔を見に行こうと思い至っただけだ。
三日月町を訪れ、私は月光洋館に足を運んだ。
再び姿を見せた私に泉さんは驚いた顔をしていた。久しぶりに顔を見た彼女は、少しだけやつれているように見えた。
それから、私達はたわいない雑談をした。
歳は少し離れていたけれど、それでも友達のように笑いあった。
どうやら泉さんには子供がいるらしい。驚きだった。そんなこと、去年は教えてくれなかったのに。まあ、それも心を開いてくれた証拠なのかな、と少し嬉しくもあったのだけれど。
楽しい時間は続いた。
その時間の終わりは突然訪れた。
『ぐ、うう』
魔女の呪いだ。
泉さんの苦しむ姿はこれまで何度も見てきた。
だから、今回のそれが異常だということにはすぐに気がついた。
いつもは発熱を起こし体が弱まって寝込む、というような症状がしばらく続くだけ。続くだけ、というのも変な話だけれど、そう思えるくらいに眼の前の泉さんの表情は苦しそうだった。
体中に激痛が走っているそうだった。
その激痛にも波があり、落ち着いたときにそう話してくれた。
これまでにない症状に、泉さんの表情は不安げだった。私はそんな彼女に『きっと大丈夫』と声をかけることしかできなかった。
収まったかと思えば、再び激痛が訪れる。
そんな症状が続き、ろくに食事もできず睡眠も取れないせいで泉さんは衰弱していった。
『……はぁ、はッ、はぁ』
息は荒く、焦点は定まっていない。
見るからに苦しそうで、私は目を逸らしてしまいそうになる。
けど。
きっと、私は彼女のすべてを見届けなければならないと思った。それは義務感とか、使命感とか、そういうのじゃなくて、ただ泉さんの友達として、それが最も正しい行動だと思ったのだ。
きっと、泉さん自身も自分が長くないことを悟ったのだろう。
死を目の前にした彼女は最後にこんなことを言った。
『私の、部屋の奥に古い本が、あるの。それを、娘に……渡してくれる?』
『……はい。わかりました』
『……好奇心の強いあなたは、見るなって言っても、きっと中を覗いてしまうだろうから、あえて見るなとは言わないわ。好きにして』
『……はい』
『あなたに会えて、よかった。私にとって、あなたは、大切な友達だった……』
泉さんの手が私の頬に触れた。
『ありがとう。百合子』
それから数時間が経って。
双葉泉はこの世を去った。
そこから先はエピローグが描かれていただけ。
双葉泉に言われた通り、娘さんに本を渡して、それから三日月町に足を運ぶことはなくなったという締め方だった。
結局、双葉泉の言っていた古い本の中身がなんだったのかは分からないまま。この作者さんは中を見なかったのだろうか。それもわからないままだ。
「結局、確かな情報はなかったということかしら」
少し寂しげに双葉が口にする。
「そうかな」
しかし、俺はそうは思わない。
俺の言葉に双葉は驚いた顔をした。
「確かに確実なことは言ってないけど、でも情報はあったよ」
「まあ、そうかもね」
この本に書かれていることは恐らくノンフィクションだ。
魔女の呪いについても、それに苦しめられていた双葉泉も、すべて実際に起こったことに間違いない。
俺は本を閉じ、表紙を見る。
「……本庄百合子」
作者の名前は本庄百合子。双葉泉が作中で最後に呼んだ名前も、百合子だった。
もしも。
この物語のような運命が双葉を待っているのだとしたら、そう考えるとどうしても心臓の動きが速くなってしまう。
だって。
双葉泉……双葉閑の曾祖母は間違いなく、魔女の呪いによって命を落としたのだから。