昼を過ぎると海を訪れる人の数はさらに増していく。
俺はクラスメイトとビーチバレーを楽しんでいたんだけど、少し疲れたので飲み物を買おうと海の家へと向かっていた。
さっきのことがあったので、一応変装という名目でサングラスをかけている。
快晴の今日、別におかしいことなんて一つもないだろう。
「ちょっと待って、紘くん」
一人てくてくと歩いていると、後ろから玲奈が追いかけてきた。
声に気づき、彼女を振り返る。
ようやく俺に追いついた玲奈は膝に手をつき、ぜえぜえと切れた息を整え始めた。
なので俺は足を止めて彼女の回復を待つ。
「毎年、こんなに人が来るのか?」
沈黙もどうかと思い、俺はたわいない雑談のパスを投げてみた。
ちょうどその頃、体力が回復し始めたのか、膝は手についたままだけど、玲奈から返事があった。
「うん。そうだね。だいたいこれくらいは来るかな」
ふう、と大きく息を吐いて、玲奈はようやく顔を上げた。
彼女はビーチの方に視線を移す。砂浜から出たコンクリートの道であるここからは、全体がよく見える。きゃっきゃとはしゃぐ人々は皆が笑顔で、誰もが夏を満喫していた。
「ていうか、どうしたんだよ?」
そういえば、と思い出して俺は尋ねる。
わざわざ息が切れるくらい走って追いかけてきたということは、何か用事があるんだろうけど。
「えっと」
しかし、玲奈はどういうわけか言い淀む。
視線をあっちこっちに泳がせる玲奈は気まずそうな声を漏らす。俺が彼女の言葉を待っていると、諦めたように溜息をついてからこちらに上目遣いを向けた。
「……別になにもないけど。紘くんとお話でもしようかなって」
拗ねたように唇を尖らせる玲奈の子供っぽい表情にどきっとしてしまう。
「そっか」
平然を装うのに必死だった。
こっちに引っ越してきてから半年も経っていない。どころか、まだ二ヶ月程度しか経っていない。
新しい環境に慣れ、周りと上手くやったり、授業に追いついたりと、いろいろ大変だったけれど、それもようやく落ち着いてきた。だからこそ、これまで見えていなかったものも見えてきたりする。
「行こ? 飲み物買いに行くんだよね?」
「ああ、うん」
俺と玲奈は並んで歩き始める。
白石玲奈。
俺が転校してきて、初めて話した女の子だ。
担任に頼まれて俺の校内の案内なんかを受け持ってくれた。フレンドリーで、気づけば一日一緒にいただけで最初に抱いていた緊張はなくなってたんだっけ。
教室での玲奈の振る舞いを見ていれば、彼女が周りから人気を集めているのも頷けた。
友達も多くて、いつも誰かといて。
それでも、まだクラスに馴染みきれていなかった俺のところに話しかけてきてくれたのは、間違いなく彼女が優しい女の子だったからだ。
俺がクラスに馴染めたのは玲奈がいてくれたから。
「双葉さんは今日、これなかったんだね」
「みたいだな」
二人とも前を向いたまま言葉を交わす。だから、彼女の表情は見えない。
「残念だった?」
「なんで?」
「いやあ、双葉さんってスタイルいいし? 紘くん的には水着見たかったかなって」
「……別に」
「いま絶対想像したでしょ?」
「いや、してな……」
にた、と笑ってからかうように言ってくる玲奈。
しかし、その表情はすぐに陰った。
「双葉さん、可愛いもんね」
「まあ、そりゃ客観的に見たら可愛い部類なんだろうけど」
言わずもがな、双葉は可愛い女の子だ。
普段は地味めな格好をしているから、クラスの連中はその事実に気づいていないけど、噂の美少女とか言われるくらいには容姿が整っている。
なんで、咄嗟に回りくどい言い方をしてしまったのか。
あいつを可愛いと認めてしまうのは悔しかったのかな。
「それを言ったら、玲奈だって可愛いだろ」
「あはは、そうかな」
照れたように言う玲奈は頬を掻く。
それは本音だ。
こんな可愛い女の子に校内案内をしてもらえるなんて、と思ったほどだから。
こういう女の子と普通に仲良くなって、楽しい毎日を過ごせればいいなと思った。それが俺の思い描いていた理想の青春だった。
そんな話をしていると自販機の前に到着した。
三つほど並んでいる自販機を眺める。
「なに飲む? 付き合ってくれたし、奢るぞ?」
「え、悪いよ」
「これくらい何でもないよ。むしろ奢らせてくれ」
たかが、なんて言い方をするのもおかしいけれど、女の子にジュース一本奢るくらいはさせてほしい。自己満足みたいなものだ。
「んー、それじゃあ、アクエリで」
「おう」
玲奈にアクエリ、俺はファンタを購入する。
ガコン、と自販機から出てきたジュースを手に取り玲奈に渡し、ファンタのペットボトルのキャップを開ける。ぐびっと喉に流し込むと、炭酸のしゅわしゅわが体内に広がっていく。
「うま」
「ね。喉乾いてたのかな」
ぷはー、とペットボトルを口から話した玲奈の手元を見ると、半分くらいなくなっていた。
どんだけぐびっといったんだよ。めちゃくちゃ喉乾いてたんじゃん。
「一気にいったな」
「自分でも気づかなかったよ」
「そういう感じで熱中症になるのかもな。水分補給はこまめにって言うし、意識しとかないとな」
「だね」
そのまま少しの間、たわいない雑談を交わして、そろそろ戻ろうかってことになって、俺達は来た道をゆっくりと歩く。
「そういえばね」
会話が途切れたとき、タイミングを伺っていたように玲奈がそう話を切り出した。
俺はちらと彼女の方を見る。
視線は前に向いたまま、しかし頬は少し赤くなっていて、どこか緊張している感じが伝わってきた。
「来週、三日月神社でお祭りがあるんだ」
「三日月神社?」
「知らない?」
「ああ。行ったことない」
それほど広い町ではないので、十分行き尽くしたと思っていたけど、まさかまだ知らない場所があるとは。それも、神社となれば結構な大きさのはず。なんかちょっと悔しい。
「ちょっと歩くからね。学校の帰り道に寄るって場所でもないから無理もないかな」
んー、と考えながら玲奈が俺をフォローしてくれる。
「それで? そこで祭りがあるのか?」
「そうなの。毎年この時期にやってるんだ。貼り紙とか見てない?」
「言われてみたら、そんなのあったような気もするけど」
意外と意識的には見てないんだよな。
思い返すとぼんやりとしか記憶に残っていない。
「それでね!」
自分を奮い立たせるように声を振り絞った玲奈に俺はびくっと体を震わせる。
「そのお祭り、一緒に行かない?」
潤んだように揺れる瞳。
足を止めてそう言った玲奈と向き合って、俺も歩く足を止める。
心臓がさっきよりも激しく動く。俺はそれを落ち着かせようと小さく深呼吸をした。
「予定はないから行くのは全然いいんだけど、それってみんなで?」
玲奈は口をつぐむ。
彼女の視線は俺の瞳をじっと捉え、ゆっくりと口を開く。
「ううん、ふたりで」
彼女の言葉に、俺の心臓がふたたび跳ねた。