洋館を出て山を下り、三日月広場へと向かう道中にある別れ道を曲がると祠がある。
そこへ向かう道中、二人の女の子とすれ違った。年齢は俺よりも少し低めなので、もしかしたら中学生くらいなのかもしれない。双葉が言うに、この先には祠しかないらしいので、彼女らは恐らく祠に行った帰りなのだろう。
三日月広場から洋館までの道と比べ、こちらの道はあまり整備されていないらしく非常に歩きづらい。ちらと横を見やれば急勾配の坂が奈落の底へ続いている。足を踏み外して落ちたりしたら一環の終わりだろうな。
考えただけでゾッとする。
俺は細心の注意を払いながらさらに奥へと進む。
五分ほど歩いたところで道が開けた。とりあえずここまで広くなると落下の心配もないので安心していいだろう。さっきよりも軽い足取りで歩いていくと祠らしきものが見えた。
「あれか」
生い茂った木々はまるで祠を守護しているようだった。
放置されているにしては祠の周りがえらく綺麗で、明らかに誰かが掃除していることが分かる。双葉の言い方的に彼女ではないのだろう。だとしたら、一体誰がこんな場所までわざわざ来ているのか。
考えても答えのない問いについて考えながら、俺は祠の前へと到着する。
あまりこういうものを見たことはないけど、想像していた通りの祠らしい祠だった。
祠の前には先程の女の子たちが置いていったのか饅頭が備えられていた。神様が食べるなんてことはないだろうから、適当にそこら辺に生息している動物に食べられるのがオチだな。いや、動物は饅頭は食わんか。
そういや供え物を持ってくるのを忘れたな。
そもそも俺がどうしてここへやってきたのかと言うと、この祠が祀っている山神様とやらに挨拶をすることが第一の目的であり、せっかくなので赤点回避できるよう神頼みしようと考えていたのだ。
さすがに供え物なしにお願い事をするわけにはいかないな。
よくよく考えれば挨拶にも土産物は必要か。俺は神様そのものを信じてはいないのですっかり忘れていた。
「これでいいか」
なにかないかとポケットの中を漁ると五円玉があったので、それを饅頭の横に置いた。
手を合わせて、心の中で赤点回避ができるよう唱える。
「あれ、紘くん?」
唱え終え、目を開けたタイミングと同時だった。
俺の名前を呼ぶ声に振り返ると、そこに玲奈がいた。白のシャツに黒のミニスカートと、山登りには適していない格好でやってきた彼女は、俺を不思議そうに眺めていた。
「お、おう。どうしたんだ、こんなところで」
「それはこっちのセリフなんだけど」
双葉の家がこの上にあり、そこに居候しているという説明はできない。
なのでここは嘘をつかずにシンプルに答えることにした。
「赤点回避できるよう、噂の山神様ってのにお願いしに来たんだ」
真鍋さんの口から山神様の名前を聞いた頃くらいからだろうか、校内で時折その話題を耳にした。次第にその回数は増えていき、今では校内でその名を聞かない日はないほど。
「さすがの山神様も、赤点回避は難しいんじゃない?」
「こういうのは気持ちの問題だろ。別に俺だってこれで問題解決したとは思ってないよ。それより、玲奈こそどうしたんだよ。こんな僻地まで」
「僻地って……」
がくりと項垂れながら言った玲奈はおかしそうに笑いながら俺の隣までやってきた。
「わたしはちょっと、雑草の手入れとかをね」
「ここの手入れは玲奈がしてるのか?」
「まあ、そうなのかな」
「そりゃまたどうして?」
まさかこんな身近に実行者がいたとは驚きだ。
俺の疑問に玲奈は曖昧な表情を浮かべる。
「んっとね、わたしもあんまりしっかりは分かってないんだけど、うちの家族が昔からここのお世話をしてたから流れでって感じかな」
「どういうことだ?」
疑問に答えが返ってきたかと思えば、さらに謎が深まった。
俺は眉をひそめながらさらに尋ねると、玲奈はどうしたものかと顎に手を当て考えた。
思い出そうとしているとから、彼女の表情は険しいものというか、真剣なものになる。玲奈のこういう顔はあまり見ることがないからちょっと新鮮だ。
「わたしのひいおばあちゃんが山神様に助けてもらったことがあったんだって。それから、ひいおばあちゃんは感謝の気持ちを持って、この祠のお世話をして。それを自分の娘にも引き継いで、おばあちゃんはまたお母さんに同じことを伝えて、わたしもそれに続いているって感じかな」
「助けてもらったっていうのは?」
俺は思いも寄らない話に興味を示す。
しかし、玲奈は気まずそうに笑って首を横に振る。
「あはは、ごめんね。あんまり詳しくは教えてもらってないんだ。ていうか、わたしが覚えてないだけかもだけど。お話を聞いたのはまだ小さい頃だったから」
「そっか。まあ、そういうことなら仕方ないか。ちょっと興味あったんだけど」
「また聞いとくね」
こういう伝説とかって、適当に誰かが言い出して、それが何となく広まって今でも曖昧に語り継がれているのだと思っていたけれど、ちゃんと理由はあったんだな。
玲奈の曾祖母が助けられたという話と、最近になって巷で噂になっている山神様の噂っていうのは同じものなのだろうか。それとも、また別のものなのか。今は考えても分からないな。
「せっかくだし、俺も掃除手伝うよ」
「え、でも悪くない?」
「少しでも山神様に媚び売っとかないとな」
俺が冗談めかして言うと、玲奈は嬉しそうに笑った。
「そういうことなら、お願いしようかな」
ざわ、と木々が揺れた。
まるで彼女の笑顔に反応するように、この場に漂う空気が一変したように感じた。
「きっと、山神様も応えてくれるね」
時間が過ぎるのは早いもので、夏休み前の期末テストは無事終わり、俺達はようやく夏に片足を踏み入れようとしていた。
テストの結果はというと、無事赤点を回避することに成功し、俺は楽しい夏休みを手に入れることができた。双葉が勉強を見てくれた成果か、過去最高得点だったのは誇らしく思える。
お礼に何かご馳走でもしようかな。
「上村よ」
来る夏休みに胸踊らせていると、五十嵐が相変わらず涼しそうな顔をしながら突然現れた。
「なんだ?」
「夏休みの宿題にある自由研究。お前は何をするか考えているか?」
「夏休み前から夏休みの自由研究のこと考えてるヤツなんかいないだろ」
いや、こんな話題を振ってくるということは、こいつはウキウキしながら考えているということか。そして、それについて話してくるということは、俺に何かしら面倒をかけようとしているに違いない。
「喜べ、上村」
「絶対に喜べない情報を与えられるような気がしてならないが、何を喜べばいいんだ?」
「お前の今年の夏の自由研究の研究課題が決定した」
俺の肩をガシッと両手で掴みながら、満面の笑みを浮かべる五十嵐。
「いや、決定したとか言われても。してないし」
「俺に協力しろと言っているのだ」
「言ってなかったぞ?」
そんなことだろうとは思っていたけど。
やっぱり、面倒事だったな。こういうときの俺の勘っていうのはどうにも的中率が高いらしい。
けど、協力して行うということは逆に考えれば一人ひとりの作業量は減るってことか。放っておいても五十嵐は好きに研究するだろうし、存外悪い話ではないのかもしれない。
「ところで、その研究課題ってのはなんなんだ?」
大事なことを聞いていなかった。
まさか五十嵐がアサガオの成長記録だとか、カブトムシの育成日記とか、女子高生の夏休みの過ごし方のようなありふれたものを研究課題にするとは思えない。
こいつのことだ、きっと……。
「御存知の通り、俺は三度の飯よりもオカルト話が好きなわけだが」
一拍置いてから、五十嵐がくわっと目を見開きテンション高めに声を上げる。
「俺はこの夏、山神の都市伝説を解明するッッッ!」
唖然とした。
それは俺だけでなく、聞こえていたクラスメイトもぽかんとした顔をしている。
五十嵐だけは堂々と、誇らしげな笑みを浮かべながら満足げに頷いていた。
「近頃、よく耳にするこの伝説について調べ上げようと思っているのだが、これを夏休み中にとなると人手が足りなくてな。協力を要請したという次第だ」
「なるほどな」
ただでさえ悪くない話だと思っていた上に、まさかその対象が山神の都市伝説とは。
願ったり叶ったりってやつか。
それについては、俺もちょうど興味を持っていたところだったからな。
「そういうことなら手伝うよ。俺も興味あるし」
「フフ、同志よ。お前ならばそう言ってくれる信じていたぞ」
棚ぼた展開に喜んでいると、さっきの五十嵐の声を聞いたのか玲奈がこちらにやってきた。
どういうわけか、双葉もいる。同じ部活で活動を始めてから、二人は少しずつ仲良くなっていた。たまに俺の入る余地のない会話とか繰り広げるようになり、時折部室に俺の居場所がなくなることがある。
「それ、わたしたちも手伝うよ。大勢の方が捗るでしょ?」
「珍しいな。どういう風の吹き回しだ?」
俺が尋ねると、玲奈はなぜかにこりと笑う。
「わたしも興味あるんだ。山神様のお話。双葉さんもそうだよね?」
「そうね。そんな感じかしら」
双葉は魔女の呪いに山神が関係している可能性がある。魔女の呪いは三日月の神様にかけられたもの、みたいな感じのことを言っていた。そして、山神っていうのは三日月山に祀られた神様だ。この山神の伝説を調べる中で、何かが分かるかもしれない。
玲奈も曽祖父と山神が繋がっているという話をしていた。その繋がり自分にも引き継がれていることを考えると、無関係とも言い切れない。
そう考えると、二人が興味を示すのも不思議じゃないのか。
「人手は多いに越したことはない。そういうことなら、その協力要請は有り難く受けることにしよう」
こうして、俺達は四人で山神の都市伝説についてを調べることになった。
この選択の先に待ち受ける運命がどんなものかなんて、このときはもちろん考えてもいなかった。