夏休みが迫る一方で、生徒を憂鬱な気分に陥らせるのはテストの存在だ。
これは都会であろうと田舎であろうと、中学であろうと高校であろうと変わらない。学生である限り付き纏う呪いのようなものだ。
「どうした上村よ。随分と憂鬱そうな顔をしているな」
来るテストを前に俺が頭を抱えていると、いつもの澄まし顔で五十嵐がそんなことを言ってくる。俺がなんでそうなっているかなど、分かり切っているだろうに。本当に腹立たしい奴だ。
「テストだよ。分かってるだろ」
「まあな」
「紘くんって勉強ダメな人だっけ?」
「……いや、まあ」
今回は転校してきてから初めてのテストなので特に厳しい。いつもはもうちょっと気楽な気持ちで望んでいる。まあ、それは高得点ではなく赤点回避が目標だったからなんだけど。
「玲奈は?」
「わたし? わたしはほら、想像通りだと思うよ」
「苦手なんだ」
「体育は得意なんだけどね」
がっくりと肩を落とす。
確かに見ていると体育のときは最高潮にキラキラした笑顔を浮かべているもんな。
都会の学校だと男女の体育は別々に行うが、この学校は生徒数の関係なのか男女合同で体育を行っている。この文化の違いに最初は驚いたものだが、水泳の授業が始まった時点でありがたみを感じるようになった。
「五十嵐は?」
「想像通りだと思うぞ」
「苦手であってくれ」
「無論、何の問題もない」
「なんでなんだよ……」
「常日頃から予習復習をしていれば、テスト前にそんな焦ることにはならん」
「お前の口から正論なんて聞きたくねえ!」
なんでこんな変人が優秀なんだよ。
いや、そりゃ常日頃から予習復習を繰り返しているからなんだろうけど。なんでそんなことしてるんだよ。真面目か。
「お前、いつも忙しそうにしてるじゃん。そんな暇あんのかよ」
「作っているのだ。おかげでテスト前でも俺の行動は変わらん。総合的に見て、こちらの方が時間を効率よく使えるのだよ」
自慢げにぺらぺらと喋りやがる五十嵐。悔しいけど、何一つ言っていることは間違っていないので、俺は何を言い返せずにぐぬぬと唸るだけだ。
「勉強教えてくれよ」
「悪いが、俺は調査で忙しいのだ。お前の勉強に付き合っている暇など一分もない」
「一分くらいはあれよ」
「そういうわけで、俺は行く。せいぜい勉強に励むといい。凡人共よ!」
言って、五十嵐は颯爽と教室を出ていった。それに関してはいつものことだ。
俺は取り残された玲奈の方に視線を向ける。
「わたしは部活行こっかなぁ」
現実逃避をしようとしている。
が。
「一週間前からは部活休みになるんだろ?」
「そうだったぁ!」
がーん、と頭を抱えて分かりやすくショックを受ける玲奈。
こうして仲間がいると落ち着くな。安心感を得れる。これ絶対に抱いちゃいけない安心感だろうけど。
「一緒に頑張ろうぜ、玲奈」
「ごめんね、わたしは紗夜っちに教えてもらうから」
「は? 裏切るなよ!」
「お互い頑張ろうね! テストを乗り越えた先で落ち合おう!」
早口に言って、ピューっと俺の場を去っていき、紗夜っちのところへ行ってしまった。俺も一緒に教えてくれないかなと思ったけど、女子の勉強会の中に参加するのも気まずいので諦めよう。
頑張って一人で進めるかぁ、と覚悟を決めた俺はちらと双葉の様子を伺ってみる。たまたまこっちを見ていたのか、彼女と目が合ったような気がした。
双葉が帰ってきたのは夕食時だった。
どうやら町の方に行っていたようだ。テスト前一週間は部活動が休みになるので、彼女なりに魔女の活動とやらをしているのだろう。
申し訳ないけど、今だけは手助けをしてあげられる状態ではない。
どうやら北高は赤点を取ると夏休みにがっつり補習が行われるらしい。夏休みの半分が奪われるとの噂を聞くほどだ。さすがにそれは冗談だろうけど、それくらいに面倒であることは確かだということ。
食事をさっと終わらし、風呂も終え、あとは眠たくなるまで勉強をしよう。
それを一週間続ければ、さすがにそれなりの点数は取れるだろう。俺はものぐさなだけで、別にアホではないのだから。
「……」
殺風景な部屋にぽつりと置かれた机にノートと教科書を置き、三十分が経過した。
早々に集中力が切れる。シャーペンを置いて、床に寝転がった。
敷かれているのはこの部屋に似つかわしくない豪華なカーペットだ。赤いふわふわとしたもので、寝転がるとそれが上等なものであることが何となく分かる。もちろん物に執着のない俺が購入したわけではなく、これはもとからこの部屋にあったものだ。
中途半端に準備だけが進められていたせいなのか、インテリアにも偏りがあった。このカーペットは有り難いけど、どうせなら高級ベッドとかあればよかったのに、とは今でも思う。
ただいまとこの部屋に入ると、俺の持ってきた庶民味溢れるインテリアとこの豪華なカーペットなんかが絶妙にマッチしてなくて違和感があるんだけど、このふかふか具合は捨てられない。もう薄っぺらいカーペットには戻れないところまできてしまっている。これはまずいやつだ。
「……眠たくなってきたな」
ああ、俺ってやつは。
俺が自分の怠惰度合いに落ち込んでいると、コンコンと部屋のドアがノックされた。
「はい?」
返事をすると、ゆっくりとドアが開かれる。
「勉強してないの?」
ごろんと寝転がる俺を見て、部屋に足を踏み入れた双葉が呆れたようにそう言った。
彼女は風呂上がりなのか、シャツにショートパンツというラフな格好に着替えていた。一つ屋根の下で暮らすようになって結構経つけど、夜に双葉が部屋を訪れるというシチュエーションには未だに慣れない。風呂上がりだと尚の事だ。
「さっきまでしてたんだ」
「嘘にしか聞こえないわ」
本当なのに、確かに嘘にしか聞こえない。
いや、けど三十分程度だし、あれはもはやしていないと言ってもいいのかもしれない。
「それで、何か用か?」
「別に。ただ、勉強でも見てあげようかと思って」
「へ?」
双葉からの想像していなかった発言に俺は間抜けな声を漏らした。
日頃の俺に対する接し方から考えると、どちらかというと『勉強くらい一人でしなさいよ。日頃からサボってるから直前で痛い目見るのよ』とか言ってきそうな感じがする。
「教室で白石さんたちと話していた内容が聞こえてきたのよ」
「ああね」
だとしても、まさかそんな面倒な役を引き受けてくれるとは。
そんなことを思いながら、じいっと双葉の顔を見ていると、彼女はハッとしたあとに顔をぷいと逸らす。
「勘違いしないでよね。補習のせいで部活動に参加しなくなると困るだけだから」
分かりやすいツンデレ構文だな、とは思いつつも、そんなことを言えば機嫌を損ねる恐れがあるので言葉を飲み込む。
「……助かるよ」
素直に感謝した。
言うが早いか、双葉は俺の隣に座る。俺も気合いを入れ直した。
が。
隣から漂うシャンプーの香りが俺の集中力を欠いてくる。なんでお風呂上がりに来たの? 有り難いけど、それじゃあ思春期男子は集中できないぜ?
「聞いてる?」
「あ、はい聞いてます」
「嘘ね。顔が集中力を欠いていたもの」
そんな馬鹿な。
表情だけでそこまで察することができるのか?
「分からないことが多いから集中力を欠くのよ。どこが分からないのか言ってみて」
流れる髪を耳にかけ、双葉が俺の手元の覗き込む。
するとより一層、彼女の匂いが俺の理性を撫でてくる。しかし、ここで集中しなければ、せっかく勉強を見てくれようとしている彼女に失礼だ。俺は小さく深呼吸をして気合いを入れ直す。
「ここなんだけど」
「ああ、ここね……ここは――」
双葉の説明は分かりやすく、話を聞くとするりと頭の中に入ってきた。
それからは勉強が捗り、気づけば三時間が経過していた。こんな経験は初めてのことである。
「双葉は勉強できるんだな」
一息つくタイミングでそんなことを言ってみる。
「勉強は学生の本業でしょ。何言ってるの?」
やっぱり冷たかった。
もしかして優しくなっているのかなと思ったけど、俺の勘違いだった。
「そういえばさ」
今から一週間ほど前のこと。
俺達が設立した支援部に初めての依頼者が来た。
その依頼者は恋愛相談をしてきて、結局俺達がどうこうするまでもなく、彼女は一人納得して部室を出ていった。
その際に口にした言葉。
俺はずっとそれが引っかかっていた。
「真鍋さんが言っていたことなんだけど」
「山神様?」
察しの良い双葉に俺はこくりと頷く。
「あれって結局、なんなんだ?」
「前にも言ったけど、この三日月山を守っている神様よ。あなた、結局挨拶に言ってないでしょ」
この家に住むようになってから、そう言えば挨拶に行くようにと双葉に言われていた。また今度と先送りにしたまま、すっかり忘れていた。
「あー、まあ」
「山神様というものが何なのかも含めて、一度挨拶に行ってくることね。話はそれからよ」
そんなことより、と双葉がぱんと手を叩く。
「勉強を再開しましょう」
「え、もう三時間やったぞ?」
「まだ三時間よ」
まだ、という部分をこれでもかと強調した双葉はにやりと笑う。
その後さらに二時間、みっちりと勉強を見てもらった俺であった。