依頼者の名前は真鍋千里。俺たちと同じクラスの高校一年生だった。
この学校にはクラスが一つしかないので、もちろん顔見知りである。俺はそこまで話したことはなく、双葉は皆無といったレベルだったが、さすがは玲奈さんとでも言うべきか、彼女とは友達と呼べるような仲だった。そもそも考えてみれば校内で玲奈の友達じゃない人を探すほうが難しい。
部室に案内し、さっそく依頼についての詳細を確認する。
「えっと、それで依頼についてなんだけど」
友達、ということなのでここは玲奈に任せることにする。
テーブルを挟んで二人は座り、俺と双葉は玲奈の少し後ろにパイプ椅子を置いた。
「えっと、私、その」
真鍋さんは言いづらそうに視線を泳がせる。
長い黒髪を三つ編みに結っている彼女の雰囲気は大人しいものだ。制服を着崩すこともなく、メガネをかけていることもあり真面目な印象を受ける。大きな胸についつい視線が向いてしまうけど、身長は高く全体的にスタイルが良い。
「だいじょうぶだよ。ゆっくりでいいから、教えて?」
玲奈はまるで子どもに話しかけるような優しい声でそう伝える。
お願いがあると教室で話しかけてきたのは彼女だ。その時点で相談する覚悟は決まっていたと思うんだけど、こうしていざ対面すると躊躇ってしまうものなのか。そんな依頼内容なのかな。片付け手伝ってくれ、くらいならすぐに言えるもんな。
「二年の大塚先輩って知ってます?」
知らない。
誰だそれ、と思う俺に対し、玲奈と双葉はどうやらピンときているらしい。
「知ってるのか?」
「え、うん。紘くんは知らない?」
「ああ」
「まあ、こっちに来て間もないもんね」
「興味がないだけでしょう」
フォローするように言う玲奈に対して双葉は冷たく言い放つ。
「そういうお前は知ってるのかよ」
「当然よ。あなたと一緒にしないでほしいわ」
きらりとメガネを光らせる双葉。
そんな俺と双葉のやり取りを見て、真鍋さんはぽかんと口を開けていた。
「どうかした?」
「いえ、双葉さんがそんなに喋ってるのを初めて見たので」
言われて、双葉は恥ずかしそうに顔を伏せた。
真鍋さんの言葉に頷きを見せたのは玲奈だ。
「そうなの。知らない間に二人が仲良くなっててわたしも驚いた」
ねー、と女子特有の同意を見せる二人。こうして話しているのを見ると、別にコミュニケーション能力が低いって感じでもないっぽい。
「それで、依頼の話だけど」
話が逸れそうだったので俺は口を挟む。双葉が視界の隅でほっと息を吐いているのが見えた。
「そ、そうでした。えっと、私、その大塚先輩のことが、好き、で」
さっきまでの威勢はどうしたと言いたくなるように再びしぼんだ声になる真鍋さん。
しかし、そんな彼女の言葉に依頼の方向性を感じたのか、玲奈がガタリと音を立てて立ち上がる。
「恋バナきたーーーーーーっ!」
テンションたか。
立ち上がった玲奈はすぐにハッとしてイスに座り直す。
まあ、この流れで好きな人がいると発言すれば、依頼の内容もおおよそ予想できる。
「それでそれで?」
にっこりと笑い、瞳をきらきらと輝かせながら前のめりになって尋ねる玲奈。その勢いに圧されながらも、真鍋さんはしっかりとこちらを見て口を開く。
「私が大塚先輩に告白できるように、協力してもらえませんか?」
「その依頼、受けます」
玲奈がめちゃくちゃいい顔で即答した。
その隣で俺は少し考えた。
依頼があれば可能な限り対応しようという気持ちではいた。だからというわけではないけど、ぶっちゃけどういった類の依頼が来るかまでは深く考えてはいなかった。ホームページの依頼例には片付けや掃除、買い物といったいわゆる雑用を上げていたけど。
まさか、初の依頼が恋愛絡みとは。これが女子高生ってやつか。
今後の方針とかをいろいろ話し合って、その日は解散することになった。
帰り道、もちろん双葉と一緒に帰るわけにはいかないので、彼女は用事があると言い訳して俺と玲奈は先に部室を出た。
依頼内容についての相談もほどほどに、あとはいつも通り適当に雑談をして玲奈と別れた。
三日月公園に到着し、そのまま山に入っていく。木々が日差しを遮断しているおかげで暑さは幾分かマシになっている。それでもしんどさは変わらないけど。お腹がぐるると鳴る。帰り道にコンビニとかないから、気軽に買い食いできないのは田舎町のネックなところだな。商店街も逆方向だし。
相変わらずしんどい階段を登りながら考える。
真鍋さんの依頼は『告白できるように協力する』こと。そのためにしなければならないことは多くはない。
一つは、そもそもその大塚先輩に彼女がいないのか確認すること。ここで恋人の存在が発覚してしまえば、今回の依頼は終わってしまう。
あとは、大塚先輩に真鍋さんを認知させること。狭い学校ではあるけれど、さすがに接点なしだと知られてはいないだろう。玲奈のように、積極的に人と関わるタイプにも思えないからな。
最後に、告白を実行するだけの自信を真鍋さんに持ってもらうこと。これはデートをするなりして、彼女自身がどうにかするしかない。
つまり、俺たちにできるのは最初の二つくらいだ。もちろん、それ以外にもできることがあれば協力はするつもりだけれど。
考え込んでしまっていたけど、気づけば洋館の前に到着していた。
考えることに集中していたからか、今日はいつもに比べるとあまりしんどさを感じなかった。
「んー」
俺は自室でベッドに寝転がりながらスマホを触っていた。
これまで恋愛というものをしたことがない俺に、どこまで協力できるだろうかと考えてしまった。経験はどうしようもないので、せめて何かしら知識を得ようとネットの海を泳いでいたところだ。
そのとき、コンコンとドアがノックされた。
「はい?」
「私だけど」
ドアの向こうから双葉の声がする。
それは分かってるだろう。むしろ双葉じゃなかったらホラーだって。
「どうした?」
「入ってもいいかしら?」
「あ、ああ」
動揺してしまった。
双葉が俺の部屋を訪れることなんてなかった。
なにか用事があれば食事のときなんかに話してくるし、夜は各々の部屋で自由に過ごすというのが、何となく暗黙の了解的なものだと勝手に思っていたのだ。
「失礼するわ」
がちゃり、とゆっくりドアが開けられる。
入ってきた双葉を見て、俺の息が一瞬止まる。
何も考えずに招き入れたら、双葉のやつ、風呂上がりじゃねえか。
サテン生地の薄水色のパジャマ。体のラインが強調されていて、思春期男子的には刺激が強い姿である。メガネもかけていなくて、完全にオフモードであることがその外見から分かる。
「まあ、適当に座ってくれ」
「ええ。ありがと」
言って、双葉は部屋の中を見渡してベッドに腰掛けた。
他に座るところなかったんだろうけど、風呂上がりに男の部屋に来てベッドに座るのは良くないと思うよ。これ場合によっては襲われてるからね。俺が理性の塊じゃなかったら終わってたからね。
「どうしたんだよ、珍しい」
「お礼、言おうと思って」
「お礼?」
俺は首を傾げた。
なにかしただろうか。買い物のときの荷物持ちか。掃除をしたことか。もしかしてこの前ゴキブリ排除したことかな。お礼を言われることではあるのかもしれないけれど、改まってお礼を言われることではないような気がする。
「部活のこと」
「え? ああ。ん?」
なんだろう。俺はやはりクエスチョンマークを浮かべた。
「あなたが私のためにしてくれた。そして、今日、ちゃんとお願いを持ってくる人が現れた。心のどこかでは、どうせ無駄だって思っていたから。それを謝りたくもあった。ごめんなさい」
「なんだ、そんなことか。別に気にするなって。結果的に成功しただけだし、そもそもまだ成功と呼べるかも分からないぞ」
双葉にかかっている魔女の呪い。それは謝儀を受け続けなければ死んでしまうというもので。
それが本当かは分からないけど、事実、彼女は体調を崩した。聞けば過去に何度もそうなっていたという。
それが少しでもマシになれば、と思ってのことだ。
問題は問題を抱えている人がいることではなくて、双葉が謝儀を受けることができるか、なのだ。それはきっと、今すぐに分かることじゃない。
「そうかもしれないけれど。でも、ちゃんと伝えておきたかったの」
「余計なお世話と思われてないだけで、俺は十分だよ」
それに、俺がやっていることはある種、その場しのぎでしかない。
本当に彼女を助けたいと思うのならば……。
「それにしても、まさか最初の依頼が恋愛絡みとはな」
なんとなく、しんみりした空気が肌に合わなかったので俺は話題を変える。
「そうね。恋愛の経験がないからどこまで協力できるか分からないけれど」
双葉もそれに乗ってくれる。
そして、彼女の言葉に俺はどうしてか安堵していた。なんでだよ。
「なによ?」
「いや、容姿はいいから彼氏くらいいたことあるのかと思って」
「中身はともあれ、という言葉を意図的に抜いたように聞こえるわね」
「気のせいだよ」
多分、照れ隠しだな。
わかりにくかったけど、ちょっとだけ頬が赤くなっていた。
「全くないのか?」
俺が訊くと、双葉はどうしてか難しい顔をした。
「……子供の頃、好きな人がいた……ような気もするわ」
「なんで曖昧なんだよ」
「思い出そうとしても思い出せないからよ。なんとなく、そんな気がするだけなのかもしれない。随分前のことだから、もう忘れているだけでしょうけど」
言ってから、双葉は「あなたは?」と尋ねてくる。
「俺もないな。いろいろ忙しくて、それどころじゃなかったんだ。そういう普通のことがしたくて、ここに来たっていうのもある」
「恋愛をしにきたの?」
なぜか少し引いたような顔をする双葉。
「言葉の綾だ」
俺が言うと、彼女はくすくすと笑った。良かった、冗談だったらしい。
「けど、なるほど。上村君は恋愛がしたいのね、なるほどなるほど」
そう口にした双葉はどこか上機嫌のように見えて。
彼女に言われたから、かもしれないけれど俺も子どもの頃のことを少し思い出していた。
けれど。
不思議なことに思い出せない部分がある。子役としていろいろ仕事をしてきたことは覚えている。鮮明とまでは言わないけれど、それでも話せるくらいにはちゃんと記憶にある。
なのに、子どものときにこの三日月町に来たときの記憶って思い出せないんだよな。霧がかって邪魔しているような感じ。そんなに楽しい思い出がなかったのだろうか。
「それで、上村君は恋愛について調べていたわけ?」
「そんなとこだな」
適当に置いていたスマホの画面を見ていたのだろう、双葉が言ってきたので俺は素直に頷く。
「私も一緒に見てもいいかしら?」
そんな感じで、それから俺たちはしばらくの間、一緒にいた。