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第9話 閑の提案

 扉を開き、中に入るとそこには夢の中で見た景色と同じものが広がっていた。あの日のことがすべて俺の夢の中で繰り広げられていたことなんだとすると、ここに来るのは実質初めてということになる。


 が、そんな気は全くしない。これがデジャヴとか既視感ってやつなのだろうか。


 夢の中と違うのは今は明かりが点いていて部屋の中が明るく見渡せるところだ。一階には幾つか部屋の扉があって、奥ヘ進めば二階へ繋がる階段がある。ぐるりと四角形に続く二階の廊下にも扉が見えた。夢の中では、あれのうちの一つに入って床が抜けた。そしてたまたま湯浴みをしていた双葉と遭遇した。ていうか、よくよく考えるとなんで双葉は夢の中だというのに湯浴みをしていたんだ?


「そもそもなんで俺はここに連れてこられたわけ?」


 こちらの要望は詳しい話が聞きたいというだけで、別にこの場所に連れてきてほしかったわけではない。


「人前で話すようなことではないから。それに、私が人といるところをあまり見られたくないの」


 そう言った双葉の表情が少し陰ったように見えた。

 すぐにいつものクールな顔に切り替わったので、俺の気のせいだったかもしれない。


「なんで人といるところを見られたくないんだ?」


 双葉閑はいつも一人でいる。

 それは別にクラスメイトに避けられているというわけではなく、五十嵐が言うに、むしろ双葉の意思を尊重しているらしい。彼女が自らそれを望んでいると言っていた。そんな馬鹿なと思っていたけど、さっきの彼女の言葉だと、それが事実ということになる。


「一人でいたいから。それだけよ」


 嘘だ、と思う。あるいは、何かを隠している。

 俺の勘がそう言っていた。特別な理由はないのだけれど、これまで人の顔色を伺ってばかりいたからか、何となくそういうのが分かるようになった。


 ただ、彼女が隠そうとしていることを無理に訊くべきではないと思う。というか、ここで俺が何を言おうと彼女は話してくれないだろうし。だとすると、それは時間と労力の無駄だ。今するべき話はきっとそれではない。


「それは、まあいいや。話を戻そうぜ。都市伝説について、話してくれるんだろ?」


 そうだったわね、と言いながら双葉は俺を奥の部屋へと誘導した。従ってあとに続くと、夢の中で一度訪れた食堂的な場所に到着した。促されるまま着席すると、お茶を出してくれる。


「お茶とか出してくれるんだ」


「一応、ね」


 言いながら、双葉は長いテーブルを挟んで俺の前に座り、お茶の入ったコップに口をつけて唇を湿らせる。俺ものどが渇いていたのでありがたくお茶をいただくことにした。


「巷で広まっている都市伝説のもとになっているのは私達、魔女の活動のことなの」


 双葉は話し始める。


「私達?」


 その言い方だと、双葉以外にも魔女がいることになる。

 もしかして、俺が知らないだけでこの世界には魔女が複数存在するのだろうか。箒に跨り空を飛ぶ魔女が行き交うウィッチタウンが存在するとでも?


「ええ。双葉家の女は代々、魔女の使命を背負って生きているのよ」


 そう言葉にした双葉の表情は、決して楽しそうなものではなかった。

 今どき、使命なんて言い方をすることもないしな。わざわざその言葉を遣うということは何か意味があるのだろう。


「さっきも話したように、魔女の魔法というのは記憶に干渉するものなの。その魔法を使って、人の心のなかに秘めた願いを覗き見る。そして、明らかになったその願いを叶えるのよ」


 そういえば、俺も夢の中でそんなこと訊かれたっけ。

 結局、答えないまま終わったんだけど。双葉の言うとおり、俺には向き合わなければならない問題がある。その問題を解決に導くことが、言ってしまえば俺の願いになるんだろう。けど、それは俺が自分の力で解決しなければならないと思った。だから、彼女の質問には答えることができなかったのだ。


「なんでそんなことをするんだ?」


 双葉が魔女で、魔女には記憶に関する魔法が使えて、それを使って人々の願いを叶えている。

 そこまでは理解した。実際に昨日、体験したからこそそれに関してはまあ納得できる。ただ、力があるからといって、それを実行し続ける理由が俺には分からない。


「……言ったでしょ。それが魔女の使命だからよ」


 また、彼女はなにかを隠した。

 俺がそんなことを考えていると、双葉が「そんなことより」と話を変えるように言ってきた。


「私が気になるのは、どうしてあなたの記憶が消えていないのか、なのよね。これが由々しき問題なの」


「なんで?」


「私が魔女だというのは知られたくないことだから」


 真剣な表情を見せる双葉。

 どうして魔女だということを隠しているのか。気になるところではあるけれど、彼女の目がこれ以上の詮索を拒否しているように見えて、俺は言葉の続きを吐くことを躊躇ってしまった。


「魔法が効かなかった原因は分からない。考えてみたけど、見当がつかないの」


「願いを叶えなかったからとか?」


「夢の中で叶えることができる願いなんて数が知れている。そんな人なんてこれまで何人もいたわ。けど、魔法はちゃんと効いていた」


 双葉が言うに、こういう事態は初めてらしい。

 これまで何十、何百という相手に魔法をかけてきたが効かなかったという例はなかったそう。

 俺だけが、どういうわけか魔法が効かなかった。そんなこと言われれば俺だってその理由が知りたくなるものだ。まさか知らないだけで、何か特別な存在だったりするのかもしれないし。だとしたらめちゃくちゃ燃える展開なんだけどな。


「そこで、一つ考えたの」


 凛とした声色で双葉が言う。

 腕を組んでむうっと考えていた俺は顔を上げて彼女を見た。


「私はあなたに魔女のことを言いふらされると困る。そして、あなたがそれをしないという保証はない」


「いや、そんなことしないけど」


「それと」


 俺の言葉は見事にスルーされてしまった。


「魔法が効かなかった原因をはっきりさせたい。今後のためにもね。そのためには、きっとあなたのことを知る必要がある。どこかに他の人とは違う何かがあるはずだから」


 顎に手を当て、眉を吊り上げた双葉が俺の顔を見た。

 アメジストのようにきらきらと輝く瞳は、じっと見ているとそのまま吸い込まれそうになってしまう。それに、普通に美人だからこうも目が合っていると少し照れるので、俺はさすがに視線を逸らした。


「あなた、ここに住みなさい」


「え」


 予想の斜め上な提案に俺は間抜けな声を漏らした。

 いやだって、これまでの話の流れでまさかここに住むことを命じられると誰が思う?


「それは双葉と一緒に住むってことですか?」


 ドキドキしながら確認する。

 自分のことを魔女だというちょっと変わった女の子だけど、双葉の容姿はまじで芸能人レベルだ。そんな女の子とひとつ屋根の下で暮らすとか全男子の憧れじゃね?


「私にホームレスになれと?」


「そういうわけじゃないけど」


 つまり、やっぱりそういうことだよな?


「言っておくけど、あなたの想像しているようなことにはならないから」


「なんだよ、俺の想像していることって。俺は今、お前と朝から晩まで将棋を指すことを考えていたんだが?」


「鼻の下がこれでもかというくらいに伸びていたけれど。あなたの性癖って相当歪んでるのね」


 まじか、と思いながら俺は自分の鼻の下を手で隠す。


「これに関してあなたに拒否権はないから。魔法が効かなかったこと、あなたが想像しているよりずっと由々しき問題と捉えているわ」


 どうやら冗談ではないらしい。

 まあ、俺としても彼女の提案は別に悪いものではない。一緒に住んで変な薬の被検体になれと言われているわけでもない。ただ、俺が余計なことをしないか監視するためというだけ。


 こんな美少女と一緒に暮らすとか最高すぎるし、お金の面でも助かりはする。学生寮だってタダではないからな。無茶をしてこの町まで来たので、そこまでお金に余裕もない。だから、ある程度融通が効くのは有り難い。


 なにより、このまま中途半端に関係を失うのは納得できない。ここまで関わったのだから、納得するまで魔女について知ってやろうじゃないか。


「分かった。一緒に住もうじゃないか」


「……鼻の下」


「おっと」


 俺はもう一度、自分の口周りを手で隠した。


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