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第5話 魔女の魔法

 ひりひりと痛む頬をさすりながら待つこと五分。

 ようやく痛みもマシになってきたかなというタイミングで彼女は俺の前に再び姿を見せた。


「迷える子羊よ。よくぞここまで辿り着きました」


 驚いた。

 彼女の学校でのイメージからかけ離れたわけの分からない口調にもだけど、コスプレでしか見たことがないような黒装束に身を包んでいることにもだけど、それ以上に気になったのは。


「よくさっきの今でそのテンションに持っていけるな」


 こいつ五分前に裸見られて顔真っ赤にしてビンタしてきたんだけど。

 なのにそんなことなかったみたいにわけ分からん格好でわけ分からんこと言っている。理解が追いついてくれない。


「……迷える子羊よ。よくここまで辿り着いたわね」


「ああ、もうなかったことにするのね」


 ここは恐らくレストラン的な場所だろう。一階のエントランスに戻った俺は彼女の言うとおりの部屋に入った。するとここだったのだが、映画なんかで見る長い机に背もたれがやけに長いイスが添えられている。


 俺が座る向かいの辺りを右へ左へ目的地を見失ったように歩いている。


「それで、えっと、なんだ。なにを言えばいいんだ?」


 俺は都市伝説のことを調べようとあのバス停へと向かった。すると目の前にバスが現れて乗ってみるとここに連れてこられた。そして、なぜかコスプレをしたクラスメイトがそこにいた。


「ここはどこなんだ?」


「あら、知ってると思っていたけど。もしかして何も知らない?」


 双葉は目を丸くして言った。その割には声色がさっきまでと変わらないので、彼女の本心がどうなのかは分からない。


「俺は都市伝説が真実かどうかを確かめるためにあそこにいたんだ。そしたらここに連れてこられて。まさか、クラスメイトの湯浴みの瞬間を目撃できるとは思わなかったけど」


「それは忘れろっ!」


 双葉が被っていた黒い大きな魔女帽子をこっちに投げてきたので俺はそれを避ける。まあ、あの程度ならば当たっても大したダメージにはならなかっただろうけど。人間、目の前に何かが飛んできたら咄嗟に避けてしまうものだ。


 帽子がなくなると顔がはっきり見えて、改めて彼女がクラスメイトの双葉閑であることを実感した。

 しみじみとそんなことを思っていると、双葉は仕切り直すようにこほんとわざとらしい咳払いをした。


「ここは誰でも来れる場所ではないの」


「というと?」


「悩みを持つ人間が、叶えてほしい願いを持つ人間が、あのバスによって導かれる特別な空間」


「悩み? 願い?」


 俺は眉をひそめた。

 確かに五十嵐もそんなこと言っていたな。

 魔女が願いを叶えてくれる、だっけか。


「双葉が都市伝説に出てくる魔女ってことか?」


 これみよがしに魔女のコスプレしているし、まあ間違いないだろう。俺の予想通り、彼女は「そういうこと」と澄ました顔で肯定した。


「それじゃあ、双葉が俺の願いを叶えてくれるってことか? ていうか、そもそもお前は双葉だよな? クラスメイトの」


「ノーコメント。私は三日月の魔女。言えるのはそれだけよ。双葉閑なんて知らないわ」


 俺、名前は言ってないんだけど。この子、嘘が下手くそだよう。

 そういうスタンスだと言うのならば、とりあえずはその設定に従ってあげようか。ここで引っかかっていたら話が進まないからな。


「お前がそう言うなら、そういうことでいいや。それで? その魔女さんが願いを叶えてくれるのか?」


「そういうことになるわね」


「なんでも?」


 俺はついつい険しい表情になってしまう。

 願いを叶えてくれるって、それはつまり理想が叶うってことだろ? あんなことやこんなことでさえ叶ってしまうわけでしょ? 青少年が望むようなムフフな展開になることも容易ってことなんだろ!?


「それがあなたの本当の願いならね」


「言ってもいい?」


「どうぞ」


 ごくり、と生唾を飲み込む。

 いやちょっと待てよ。なんでもいいとなるとこれは悩むぞ。巨乳で美少女の彼女が欲しいと言えばいいのかもしれないけど、全男子の憧れである透明人間になりたいという願いも捨てがたい。いや、でも時間停止の能力だって持ってみたいし、それを言うならば超能力者になってヒーロになるという子供のときからの夢だって叶えたい。億万長者になりたいしモテモテになってハーレムを築くというのも悪くないし、考えれば考えるほど悩ましい。ああくそ、自分の強欲さが憎い。


「悩んでいるわね」


「まあな」


 俺が言うと、どうしてか彼女は溜息をついた。

 それに俺が怪訝な表情を向けると、呆れたような顔をしたまま口を開く。


「その願いはたぶん叶わないわ」


「え。なんで」


「それは本当の願いではないはずだから」


「その心は?」


「本当に叶えたい願いっていうのは他のものとは比べる必要がないくらいに大きいはず。悩むってことはいろんな願いが同じ大きさだってことでしょ。そんなの、よっぽど強欲な人間じゃないと有り得ないもの」


「俺がそのよっぽどの強欲な人間という可能性もあるだろ」


「そうは見えないわね。必死に見ないようにしているつもりだろうけど、表情は嘘をつかないわよ」


 双葉の言葉に俺は眉をぴくりと動かしてしまう。

 できるだけ表情を変えないまま、いつもの自分を取り繕う。


「どういう意味?」


「私が最初に、ここに来る人間の条件を口にしたときに図星を突かれた人みたいな顔を一瞬見せたから。まあ、ここに来れた時点で何か悩みがあるのは確実だけれど」


「……お見通しってやつ? それも魔女様の魔法なのか?」


 冗談めかして言ってみると、双葉もおかしそうに笑う。


「そんな超能力は持ち合わせていないわ。魔女の使える魔法は一つだけ」


「それは?」


「さあね。あなたに教える必要はないわ。さあ、そんなことより願いを言って?」


 澄ました表情は変わらない。

 それは彼女の意思が固いのだということを伝えてきているようだった。


 どこか急かすような彼女の物言いに違和感を覚えながら、俺は自分の中にある悩み……問題についてを話すかどうかを悩んでいた。ここで話せば解決するのだろうか。そもそも解決することを俺が望んでいるのか。

 結果的に言えば、俺は自分が望んでいたものを手にしている。


 普通の人間が送るような青春の日々というやつを。


「……やっぱりいいや」


「なんですって?」


 俺の言葉が予想外だったのか、双葉は険しい表情を見せた。


「お前の言うように、俺は悩み……というか、背を向けている問題があるよ。それを解決することが、もしかしたら俺の願いなのかもしれない。けど、だとしたら、それは自分で解決しないといけないことだと思うから。やっぱりいいやって」


 驚いた顔を見せた彼女は、しかし数秒経ってさっきまでのようなポーカーフェイスを改めて作った。それでも、やっぱり教室で見る顔とは少し違うんだよな。


「ところでさ、都市伝説ではここから帰れないってオチがついてるらしいんだけど、俺はもしかしてここから帰れないのか? まあ、双葉と二人で暮らすっていうのも悪くないのかもしれないけどさ」


「そんな尾鰭がついているのね。どうりで近頃、人が減ったわけだわ」


 双葉はぶつぶつと何かを言っている。聞こえはしたけど意味は分からない。


「心配しないでも帰れるわ」


 双葉は俺を安心させようとしたのか、優しく微笑みそう答えた。

 ただし、と彼女が続ける。


「ここに来たことはすべて忘れるけどね」


「どういうことだ?」


 ゆっくりと、長い机を回って俺のところまで歩いてきた双葉が不気味に笑んだ。

 そして、こんなことを言う。



「魔女の魔法よ」


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