一歩、バスに足を踏み入れる。
バスの中は電気が点いていなくて薄暗かった。とてもじゃないけど、動いているとは思えない。イメージとしては、それこそ公園にある遊具のような感じだ。明るい中でならともかく、真夜中というシチュエーションが不気味さを際立たせていた。
竦みそうな足が止まる前に、勢いのまま二歩目を前に出す。そうして、完全にバスに乗り込んだ。
次の瞬間。
プシュー、という音とともにバスの扉が閉まった。まるで、俺が乗り込むのをずっと待っていたように。
その瞬間に心臓がきゅっとなる。誰かに心臓を掴まれたような感覚だ。荒くなる呼吸を整えて、俺は近くのイスに腰を下ろした。
もうあとには引けない。
バスはゆっくりと走り出した。
三日月広場から三日月山へと繋がる入口は一つだけ。そこを入ると二つの道がある。右手には車用の広めを道があって、まっすぐ進めば徒歩の人のために造られた階段がある。バスは右折して坂道を登り始めた。
当然、設備はされていないので道は不安定だ。もしかしたら突然崩れて落ちてしまうかもしれない。大きな石を踏めばガタリとバスが大きく揺れる。そうでなくても常にガタガタと揺れてはいるので三半規管が弱めの人は間違いなく酔うだろう。
安全運転を心掛けているのかバスのスピードは非常に緩やかだ。まあ当然といえば同然だけど。こんな不安定な道を普通の道路くらいの感覚で進む奴は怖いもの知らずとかではなく、もはやただの馬鹿。
あれ、ていうか、運転手いたか?
さっきバスの前面を見に行ったときに暗くてよく見えなかったけど、運転手の姿がよく見えなかった。いや、こうしてバスは動いているわけだし運転手がいないはずがない。疑うのはよそう。ぶっちゃけ、確認しに行って万が一にもいなかったらもう心臓が耐えられない。
そうこうしているうちにバスは停車する。
入ったときと同様、プシューという音と同時に扉が開く。普通、バスって出るときは前の扉が開くはずなんだけど、このバスは入口と同じ扉が開いた。そして前の扉は開かれていない。つまり、こっちから出ろということだろう。運転席見たくなかったし、俺としてもラッキーな図らいだ。
バスから降りるとすぐに扉が閉まる。感じ悪いな。
そして、そのまま出発し、来た道を戻って行ってしまう。
「ふう」
息を吐き、そして顔を上げる。
目の前にあったのは大きな建物。なんというか、ホラー映画とかに出てきそうな雰囲気のある洋館だった。入口には『月光洋館』という看板が立てられている。木でできていて年季が入っているのがまたこちらの恐怖心を煽りよる。
ごくり、と喉が鳴る。その音が妙に大きく聞こえた気がした。
ここまで来たんだ、先に進むしかない。
人間不思議なもので、怖いという気持ちは確かにあって、嫌な予感をしっかりと抱きながらも、それでいてどうしてか前に進むことを止められない。好奇心という者は実に恐ろしい。
心霊スポットに行ったことはないけれど、そういう場所に足を踏み入れる人たちの気持ちを今日少しだけ理解したような気がした。
両開きの扉をゆっくりと開けると、ギギっという音がした。
中は明かりがなくて真っ暗だった。俺が扉を開けたことで外の光がエントランスに差し込んだ。外も十分に暗かったはずなのに、さらに暗い場所を目の前にしたせいでそう思えなくなった。
「すみませーん! 誰かいませんかー?」
中には入らず、扉を開けたままの状態で俺は中に呼びかける。
こんな時間にこんな大声を出すなんて非常識にも程があると思った。そのことに気づくのがあと数秒早ければきっとこんな非常識な行動は取っていなかったよ。
しばし待つが中からの返事はない。
普通ならばこんな状態で前に進むという選択はしない。普通に不法侵入だし。
けれど、今俺が置かれているこの状況がそもそも普通ではない。どこか夢の世界のような感覚に陥っている。なんというか、ゲームをしているような感覚に近いかもしれない。RPGをしていてここで引き返すなんて選択肢は有り得ないだろう。
「おじゃましまーす」
今度は控えめに言って、俺は洋館に入った。
周りが見えなくなると困るので、申し訳ないが扉は開けたままにしておいたんだけど、俺が少し進むとギィィと音を立てて閉まってしまった。本当にこの演出はホラー映画そのものだった。ちょっと、というかだいぶビビった。
閉まったのなら仕方ない。開けてまた突然閉まられたら心臓に悪いのでこのまま進む決意をする。
真っ暗だった館内だけれど、一分もいれば目が慣れてくる。
完全にとまでは言わないが、それでも薄っすらと内装は見え始めた。
まっすぐ進んだところには受付のようなスペースがある。左右にはテーブルとソファ。受付のすぐ近くには二階に上がるための階段があった。一階にも幾つか扉があるがどこに繋がっているのかは不明だ。
慎重に歩みを進めていく。
ホラーゲームをしているような気分になってくる。そこら辺からゾンビとか出てきても驚かないぞ。いや、驚きはするけど。
受付までやってきたがもちろん人はいない。
さて、ここからどうしたものか。一階を散策するか、それとも二階に上がってみるか。あまりこういった類のゲームをしないのでセオリーは分からないけど、きっと一階の散策を先にするもんだよな。重要なアイテムとかある可能性もあるし。
まあ。
それはゲームの話であって、これは現実なのでそんなセオリーは知ったこっちゃないんだけどな。
ということで、俺は二階へと続く階段へ向かう。
ギイ、ギイと古い建物特有の軋む音がする。ホラー的な恐怖とは別に壊れたりしないか不安になってくる。できるだけゆっくり、そろりそろりと階段を上がっていく。
階段を上がっていくとそのままぐるりと廊下が続いている。それぞれ部屋に続いているのだろうか。だとしたらそこまでの部屋数は用意されていない。そもそも大勢を対象とした宿ではなかったということか。
天井には大きなシャンデリアがぶら下がっていた。明かりを灯していたら綺麗なんだろうけど暗闇の中だとただただ不気味だ。
二階に到達し、俺は一番近くにあった部屋の扉に手をかけた。二階は廊下がぐるりとあって部屋の扉があるだけなので、結局どこかしらの扉は開けることになるだろうし、ならば手っ取り早く一番手前のここを開けるとしよう。
開けた瞬間になにか飛び出してくるか?
一応、警戒だけはしておこう。
そう思いながら、俺は心の中でせーのっと唱えながら扉を開ける。
「……」
何もない。
真っ暗な部屋があるだけだった。
部屋に一歩入って、扉のすぐ近くの壁を触ってみる。普通この辺に電気のスイッチとかあると思うんだけど。そう考えて探してみると、やっぱりそれらしい出っ張りがあった。俺は再びせーのっと覚悟を決めてスイッチを入れる。だって、こういうのって明かりが点いた瞬間に何かいたりするもんでしょ?
しかし、これまた拍子抜けだった。何もいなかったのではなく、そもそも明かりが点かなかった。
なんだよ、と俺は吐き捨てるように呟きながら部屋の中に入っていく。
その時だった。
ガコンっと、大きな音と同時に床が抜けた。
いや、というよりはもともと空いていた穴に俺が落ちていったのか。音は多分、穴に俺がぶつかったのだろう。一瞬すぎて脳が理解するのに時間を要してしまった。
ていうか、これもしかして死んだか?
そう思ったときには落下していて、次の瞬間にはバシャンと温水に着水した。そのおかげで死にはしなかった。おしりは痛いけど。温水、というよりはこれ風呂か?
「……」
温水から顔を出し、ついた水滴を手で拭う。
目を開けると、目が合った。
誰と?
「……えっと」
黒髪の美少女と、だ。
長い黒髪で、前髪は綺麗に切り揃えられたぱっつんで、綺麗な白い肌と女の子らしい丸みのある体躯。ついつい視線は胸元の大きな膨らみに行ってしまうが、俺はハッとして視線を改めて上に戻していく。
「あれ、あんた」
彼女には見覚えがあった。
なんというか、記憶の中にある彼女とのイメージとは微妙に異なるんだけど。それはきっと裸を見られた恥ずかしさのあまり、頬を真っ赤に染めてわなわなと唇を震わせているからに違いない。
そう、彼女は。
「双葉、閑……?」
クラスメイトの美少女その人だった。
どうして彼女がここに、という衝撃のあまり俺は大事なことを忘れていた。
それでは盛大な悲鳴とともにいただきましょうか。
「きゃあああああああああああああああっ!」
バチン、と。
思いっきり頬にビンタを浴びせられた。