都会と田舎の学校の違うところを上げようとするといろいろあると思うけれど、一番はどれかと考えたとき、俺は生徒数ではないかと思う。一学年で七クラス近くある都会の学校と違って、田舎の学校は一つのクラスしかない。しかも三十人に満たない人数だ。
もちろん弊害も多いんだろうけど、覚える人の数が極端に少ないというのは大きなメリットだ。学年が違う生徒でさえ、長く学校で過ごしていれば自然と覚えていくものなのだろう。
北海江高校は海江市三日月町にある唯一の高校だ。
ここにやってきたのは一ヶ月ほど前だけど、クラスメイトの顔は一週間あれば覚えたし、今では学年が違う生徒もそこそこ頭に入っている。全生徒を把握するのも時間の問題かもしれない。関わりがないと難しいだろうけど、生徒数が少ないが故か、学年が違う生徒との関わりもそこそこあるのだ。
そんなことを考えながら、自分の席に座っていた俺、上村紘はぼーっとクラスメイトの女子を眺めていた。
「どうした上村。女子をじっと見つめて。恋か? あるいは、変態的妄想の真っ只中か?」
そんな俺にクラスの男子生徒が話しかけてきた。
そちらを向くとにやにやと楽しげに笑っていた。声色からそんな予感はしていたけど、想像以上だった。
「なんでその二択なんだよ。別にどっちでもないって」
彼の名前は五十嵐。
俺がこの学校に来てから何だかんだとよく絡むようになった男子だ。
さらっとした髪と高身長、それに加えて制服である学ランのホックをしっかりと留める優等生っぷり。しかし教師やクラスメイトからはそこまでの信頼を得ていない。その理由を端的に言うならば、彼が優等生ではないからだろう。
「嘘をつくな。無理もないさ、双葉はビジュアルだけで言えば北高トップレベルだからな」
「だから違うって」
言いながら、俺はもう一度眺めていた女子に視線を戻す。
彼女の名前は双葉閑。
前髪をぱっつんに切り揃えた黒髪ロングの女の子だ。白い肌とモデル並みのスタイルを持っており、初めて目にしたときはつい見惚れてしまったほどだ。都会でもあそこまでの容姿レベルを持つ女の子はそうそう見つからない。
けど、別に恋とかそういうのではない。
「なら、どうして熱視線を向けていた? 俺には分かる。あれは恋する男子の目だった!」
「どんな目だよ。熱視線も向けてないし。見てたのは、ちょっと気になったからだよ」
「気になった?」
双葉から五十嵐に視線を戻すと、五十嵐ははて、と眉をひそめていた。
「俺がこの学校に来て一ヶ月くらい経つけど、双葉が誰かと話しているのをまだ見たことないんだよ。いや、もちろん業務連絡的なやり取りはしてるんだけど、その、雑談的な」
彼女の笑っている顔を俺はまだ見たことがない。
もちろん四六時中彼女を監視しているわけではないので、俺の知らないところで笑っている可能性は大いにあり得るんだけど、彼女の雰囲気からそうも思えないのだ。教室ではいつも一人で本を読んでいるし、放課後はさっさと帰っている。誰かと一緒にいるところをほとんど見かけない。
「双葉は入学したときからずっとあの調子だからな。狭い学校、少ない生徒数、双葉閑が人付き合いを好んでいないという情報が回り切るのにそう時間はかからんさ」
「意図的に避けてるってことか?」
「言葉選びを間違えているな。避けているのではなく、彼女の意思を尊重しているのだ。誰だって好き嫌いがある。人と接するのが苦手で避けている人だっているだろう。これが彼女との適切な距離感なのだ」
「適切な距離感、ね」
そう言ってしまえばその通りだ。
そういう人はごまんといるのはもはや調べるまでもない。事実、人との関わりを避けて一人でいる人間はいる。けれど、その中には関わりたくても関われないというタイプの人間も少なからず存在していた。いわゆるコミュ障というやつだ。もしも彼女がそのタイプだったとしたら、周りがみすみすチャンスを潰していることになる。
いや、そんなことは考えてもどうしようもない。
俺がなにかをしたところで余計なお世話にしかならないかもしれないのだ。
「そんなことを気にして。やはり双葉のことが……」
「だから違うって言ってんだろ」
「その話、もうちょっと詳しく聞いてもいいかな?」
俺が五十嵐に冷たく言い放つと、ずっとやり取りを聞いていたのか少し離れたところにいたはずのクラスメイトの女子がこちらにやってきてそんなことを言う。真剣な表情をしているので、彼女は至って真面目なようだ。
「詳しく話すもなにも、追加情報はこれ以上ないって」
俺が言うと、その女子生徒は訝しむような視線を向けてきた。女子ってのは、どうしてこう恋愛話に興味津々なんだろうか。
「紘くんはイジワルだなぁ。わたしをのけ者にしたいんだ?」
「そんなつもりはないよ。別の話なら喜んで応じるぞ。むしろ五十嵐の野郎を放ったらかして二人で話したいまである」
「そ、それはちょっと緊張するなぁ」
言いながら彼女は頬を赤らめた。
白石玲奈という名前を上げればこの学校で知らない生徒は恐らくいない。
まあ、もともと生徒数が少なく大きくもない学校なので生徒の名前を覚えるのは難しくないんだろうけれど、そういう意味ではなく、それくらいに彼女は人気者だということだ。
亜麻色のミドルヘア。肩辺りまで伸びた髪はさらさらと揺れていて日頃から気を遣っていることが伺えた。化粧は最低限で、しかしその可愛さは他の追随を許さない。全体的にスラッとしたスタイルは申し分なく魅力的だけれど、五十嵐曰く本人はあまり胸が大きくないことを気にしているらしい。どこでそんな情報を得たんだ。
「白石みたいな可愛い女の子と喋ることになれば、緊張するのは男子の方だろ」
彼女はこれほどの容姿レベルを持っていながら、それでいてコミュ力がとにかく高い。五分話せば友達になれるらしい。きっとその柔らかい雰囲気が自然と肩の力を抜かせてしまうのだろう。
「あー、また名字で呼んだ。わたしのことは親しみを込めて名前で呼んでって言ってるでしょ?」
むうっと白石はわざとらしく頬を膨らませた。
これ初対面の自己紹介のときからずっと言ってるからな。誰にでもこういう感じで接するのだとしたら人を勘違いさせる魔性の女だということになる。果たして、表沙汰になっていないだけで、何人の男子が彼女に思いを寄せているのだろうか。
「慣れないんだよ。女子を名前で呼ぶのは」
「そうなの? 都会ではそういうの当たり前なんじゃないの?」
「なんだその偏見。むしろこっちみたいに人と人の距離が近くない分、他人行儀な方が多いよ」
そう言うと、彼女は「へぇーそうなんだぁ」と間の抜けたような返事をした。
「ていうか、よくよく考えると五十嵐は白石って呼んでるよな?」
「だからどうした?」
「これはいいのかよ?」
「へ? いいけど?」
急にどうしたのさ、みたいな空気が流れる。
え、これ俺が間違ってるの?
「親しみを込めて名前で呼んでほしいんじゃないのかよ?」
「呼んでほしいよ?」
白石はなおもきょとんとしたリアクションだ。
「でも五十嵐は名前で呼んでないじゃないか」
「五十嵐くんは別にどっちでもいいもん。わたしは紘くんに呼んでほしいんだよ? わたしはちゃんと名前で呼んでるのに」
確かにそうだけど。
それはそれでなんというか、くすぐったい気持ちはあるんだけどな。
というか、なんで俺だけ? そんなこと言われると勘違いしてしまいそうになるけど、出会って少ししか経っていない俺と彼女の間にフラグなんか立っているはずないし。まあ、彼女なりの優しさなんだろうけど。途中から学校に入ってきた俺と少しでも打ち解けようとしてくれているに違いない。
「……まあ、このやり取り毎回するのもそろそろ面倒だしな。名前で呼ぶようにするよ」
「わかればよろしい」
ていうか、なんの話してたんだっけ?
話が脱線し過ぎて忘れちまった