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思い出の中に

 駄文劇部は、半年間だけ文劇部に戻った。それから廃部となった。

 私たちが披露した劇は、予想外の盛り上がりを見せた。それには二つの理由がある。

 一つ目は、内容がノンフィクションだったことだ。文劇部、特に鏡花は全校から窃盗犯扱いされていた。私たちは、その知名度を利用したのだ。結果、「鏡花が冤罪をかけられた」という内輪話を最大限に活かすことができた。

 夏祭りに行った神崎鏡花は、推薦を狙う女子生徒によって窃盗犯に仕立て上げられる。学校中からつまはじきにされる鏡花と、彼を信じたいにもかかわらず、周りと違う意見を出せない桜井宇野。お互いに苦しんでいると、それぞれの元に、美優演じるフランチェスカが現れる。

「大切なのは、自分を信じること」

 それを聞いた鏡花は、自分はやってないと主張する。

「大切なのは、そばにいること」

 そう教えられた宇野は、一人で戦う鏡花の隣に立つ。

 自分を信じてくれる大切な友達がいるおかげで、鏡花はありのままを周りに伝えることができた、というストーリーだった。

 まるごと全部事実だ。起きたことを再現すればいいだけだから、私たちの演技が下手でも構わなかったのだ。

 二つ目の理由は、私がアドリブを入れてしまったことだ。しかも、宇野と鏡花がお互いを信じ合うという、クライマックスの場面のことだった。

「大丈夫。前島さんと清水さんには負けないよ」

 名指しだったから、そのシーンだけ騒々しかったことを覚えている。しかし先生は止めない。文化祭の真っ最中だからだ。視界の端には、白石先生と乙黒先生が並んで立っていた。二人とも、子供のように笑っていた。

「俺たちは共犯者だ」

 美優には不思議に思われたが、私たち二人は、これを最後の台詞にすると譲らなかった。「共犯者って、悪人みたいじゃないか」と銀が抗議すると、鏡花は「それを含めて仲間だと伝えた方がいい」と強く反論した。そして、無事に「共犯者」は採用された。

 幕が閉まり、見えない観客席からの大歓声を聞いていた。劇の内容ではなく、劇を通してありのままを伝えたことに対する敬意だったのかもしれない。いや、中学生がそこまで考えられるとは思えない。私だって、鏡花に言われて初めて考えた可能性なのだから。

 案の定、劇が終わってからすぐに、職員室に呼び出された。「特定の生徒の名前を出すな」と学年主任に注意されたものの、去年と違って、私たちは文化祭に復帰できた。再び体育館に戻った私たちには、大きな拍手が待っていた。

 あれほど文劇部を馬鹿にした生徒たちからの拍手。何が彼らを変えたのかと言われれば、きっと願いだろう。物語には願いが込められているのだから。

 結局、周りの視線に耐え切れなくなった清水さんが、先生に自供したらしい。前島さんがお金を要求していたことも発覚して、すぐに噂が広まった。二人は停学になり、前島さんが狙っていた推薦も絶望的になったと聞いた。

 それでも、鏡花が前島さんを殴ったことは消えない。推薦の権利は、私が名前も知らないような生徒に渡った。

 文化祭が終わってからは、教室にも居場所が生まれていた。私のように前島さんに虐げられてきた女子たちが、「桜井さん、すごいね」と話しかけてくれたのだ。彼女たちとは、卒業するまで関係が続いた。

 その一方で、銀と美優が部室に来ることはなくなった。受験勉強に専念しなければならなかったからだ。放課後にふらりと立ち寄っても、そこで四人が揃うことはなかった。

 とはいえ、文劇部全体の関係が薄れていたわけではない。三度だけ、四人で集まる機会があった。

 一度目は、文化祭を終えた後の部室。役目を終えた『劇場版フランチェスカ』は、『フランチェスカ』と一緒に、机の中央に置かれた。いつフランが部室に来ても大丈夫なように、私と鏡花は毎日来ていた。鏡花は相変わらず一番乗りだった。

 二度目は海だ。受験前、最後の息抜きと題して海水浴に行ったのだ。スイカ割りをしようとしたものの、途中で落として粉々になってしまって、四人で落胆した覚えがある。今ではいい思い出だ。

 そして、三度目は空港。

 鏡花を見送るためだ。

 私たちは、空港の保安検査場の前にいる。卒業式から数日後のことで、既に進学先も決まっていた。

「長野で一番の高校だよな。すごいなあ、うちの鏡花は」

「銀だって、結構頭良いところじゃないか」

 案の定、鏡花は長野で一番頭が良い高校に合格した。しかし、銀も進学校に合格したのは衝撃的だった。空港で再会したとき、高校の名前を聞いて震え上がったものだ。

 美優も、札幌ではそれなりの高校に進学したという。一方の私はというと、平均より下の高校だった。学力が全てじゃないとは分かっているものの、学歴コンプレックスのような状態になっている。現に今も、高校の話をしている二人が少しだけ憎い。

「長野に行っても元気でね。わたし、手紙送るから」

 転勤のことは、二人も夏の時点で知っていたらしい。乙黒先生から聞いたのだとか。それでも「知らないふりをしよう」と心に刻んでいたようで、私が「空港で鏡花の見送りをしよう」と二人に連絡したときも、やけに素直だと思っていたものだ。

「じゃあ、文劇部は廃部だ。僕たちもお別れしよう」

「あとは共犯者同士で話してね」

 文化祭以降、二人と廊下ですれ違うたびに「共犯者」とからかわれるようになった。でも、何度言われたって構わない。事実なのだから。

 そして私と鏡花が取り残された。美優には勘違いされていたが、私たちは恋人ではなかった。告白もまだしていない。一番大事なことを伝えるのに、生半可な勇気じゃ申し訳ないと思ったからだ。それをずるずる引きずって、現在に至る。

 保安検査場は空いていて、今から並べばすぐに通過できるだろう。それをしないのは、鏡花が何かを伝えようとしているから。

「宇野」

 鏡花が呼ぶときだけは、自分の名前が好きだった。

「色々ありがとう」

 その色々は、虹のように多彩だった。転校してきた鏡花に話しかけてから、私の学校生活は、雨が晴れた空のように輝いていた。

「あのさ」

 私は、期待していたのかもしれない。鏡花が想いを伝えてくれることを。自分から行動しなければいけないことは、とっくに分かっている。でも、それ以前に私は女子だった。どうしてか、彼に引っ張られたいと思っていたから。

「今になって、愛おしいんだ。文劇部で駄弁ってた日々が」

 彼はリュックから何かを取り出した。『青い鳥』だ。私たちが出会うきっかけとなった本。友達に参考書を投げるほど我を失っても、この本だけは、本棚に留まっていた。

「幸せって、本当に近くにあったんだな」

 その本を手渡された。置き土産ということだろうか。私が両手で受け取ると、鏡花はえくぼを作って微笑んだ。

「宇野」

 ダメだ。何度も名前を呼ばれたら、感情が抑えきれなくなる。爆発する。本に鏡花の温かみを感じて、もっと苦しい。好きの一言で説明できない感情。

 心の中にあるベーキングパウダーに似たものが、段々と熱を帯びて、膨らんでいる。甘いお菓子になろうとしている。でも、これ以上温めたら砕け散ってしまう。

 鏡花が、片手で私を抱き寄せた。ほんの数秒だった。きっと、共犯者としてではない気持ちが含まれていた。そう思いたい。

 私が好きだから、鏡花にも好きでいてほしい。

 私を離した鏡花は、まるで大事なことを伝えるように、おもむろに口を開いた。

「さようなら」

 一瞬、何を言われたか分からなかった。理解する頃には、鏡花が保安検査場に入ってしまう。ここから先には行けない。伝えたいことがあるのに。届かない。

 まだ、好きだって伝えていないのに。

 右足だけを踏み出した途端に、胸に熱いものが込み上げた。感情を温めすぎたのかもしれない。立ち尽くしたまま、燃え尽きたようにうなだれる。

 すると、『青い鳥』にしおりが挟まっていることに気が付いた。それは名前入りの押し花しおりで、小学校の頃に誕生日プレゼントとして、鏡花にあげたものだ。

 そっと取り出すと、鏡花の名前の横に、私の名前が書かれていた。桜井宇野。桜の絵まで描いてあった。

 そのとき、しおりが挟まっていたページの間から、メモ用紙が落ちた。ぱさりと音がしたので、屈んで拾い上げる。不思議に思いながらも、そのメモを開いてみた。

 好きだ、と書かれていた。

 胸で抑えていた熱いものが、目頭まで上ってきた。何度も息を激しく吸い上げて、メモとしおりを水滴で濡らした。声を抑えることができない。正常じゃない。

 お互いに、自分の口からは言えなかったなんて。

 やっぱり子供だ、私たちは。

 心配したのか、通りすがりのおばあさんが声をかけてくれた。何度も背中をさすって、頷いてくれた。今の私にとって、それがどれだけ必要だったか。

 ひとしきり出すものを出した。おばあさんに礼を告げて、保安検査場を後にした。

 銀と美優は展望デッキで待っているはずだ。長い間待たせてしまっているが、二人の会話が尽きることはないと思う。劇も受験も終えて、肩の荷が下りた二人のことだから。

 展望デッキは屋上にある。通年三月は閉鎖しているのだが、予想よりも早く雪が溶けたようで、今年は三月から入ることができた。幸運だと思った。

 銀と美優は、飛行機が見えるベンチに座っていた。私の姿を見て、手招きしてくれる。四人用のベンチだから一席余っていた。どうせなら、フランが呼べたらよかったのに。

「そういえば、美優。卒業アルバム見たよな」

「うん。しっかりフランが写っていたよね」

 卒業式前日にアルバムを配られた。すると、クラスの大半が私と美優の元に集まってきた。そして「この生徒は誰なのか」と訊いていた。

 私たちは、必ず「文劇部の部員だよ」と答えていたものだ。

 わずかに雲はあるものの、今日はよく晴れている。太陽に照らされて、つい眠りそうになってしまった。二人は「高校の制服がカッコいい」とか「芸能人が同級生かもしれない」とか、既に高校の話を始めていた。

 私だけだ。向き合えていないのは。大人になれないのは。

 頭がふらふら揺れて、視界が暗くなる。授業中にも同じ感覚に陥るときがあった。眠たいのだろう。泣き疲れたからだろうか。いい天気だからだろうか。

 どちらにせよ、混濁した意識だ。素直に身を委ねることにした。


 次に見た光景は、一面の青だった。水色と空色のグラデーションが、海のように透き通っている。

 ゆっくりと視線を下ろした。私は足を伸ばして座っていて、木にもたれかかっていた。足元には草むらがあって、さあさあと風に揺られている。スカートごと隠してしまうくらいに背が高い雑草の群れ。

 目の前で、銀がラインカーを押しながら走っていた。隣にはオオカミ。銀たちは競争しているようだ。その横では、美優がウサギと踊っていた。くるくると回って、飛び跳ねている。

 遠くには、私に背を向けた人影が立っていた。乳白色を基調としたフリルのドレスからは、雪のように白くて頼りない手足が伸びている。栗色の髪は腰まで届くほど長い。そよ風が吹けば、髪が洗濯物みたいにふわりとなびく。

 隣には、鏡花が私と同じように座っている。さざ波の音が聞こえるのは、きっと空耳だろう。

「宇野」

 彼が、私の名前を呼ぶ。

「悩みがあるのか?」

 私を心配してか、銀や美優、ウサギとオオカミまで駆け寄ってくる。私を囲むようにして、見下ろしている。

「ううん、大丈夫」

 私は、すくっと立ち上がった。それから、ただ真っ直ぐに歩く。風が強くて、どこまでも青くて、ただ無性に楽しかった場所。

 時間を巻き戻そうとして、魔法陣を描いた。何も考えずに談笑して、突拍子もないことをした。ただ笑っていられた。子供だったから。

「フラン」

 懐かしい名前を呼んだ。髪が揺らめいて、彼女が振り返った。

「私も、飛び立つよ」

 ヴォリエラ。この鳥かごから飛び立って、私は大人になる。

 段々と視界が白くなって、全てが空想に還っていく。神様の空想が創り出した理想郷は姿を消して、いつかは現実のことで精一杯になる。

「寂しくなりますね」

 それでも、物語に願いが込められているのならば。

 空想に人を動かす力があるのならば。

「お気を付けて」

 私は、彼女のことを忘れたりはしない。


 飛行機のエンジン音で目が覚めた。鏡花が乗る飛行機だった。ゆっくりと動き出し、それから速度を増して、やがて空へと舞い上がる。

 間に合え。大人になれ。

 私はすぐに立ち上がり、雲をかき消す勢いで叫んだ。

「鏡花、大好きだよ!」

 それから大きく手を振った。たとえ彼が見えていなかったとしても、横の二人に聞こえていたとしても、ありのままを伝えることが大事だって知っているから。

 飛行機は、エンジンを轟かせた。雲を穿ち、青空を翔けた。私の知らない世界に、翼を広げて飛び立った。

 どこまでも飛んでいけ。私たちの、青い鳥。

 飛行機が見えなくなっても、私は手を振り続けていた。

 どこにもない場所で眠る友達が、「素晴らしいです」と褒めてくれることを願いながら。

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