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第14話「ここから」

「悪い。素子だけならず、相原さんまで」


 学園でのやり取り後、気を失った相原さんをどうするべきかと悩んだ結果、鳴の力を借りて素子が入院している病院へ口を利いてもらった。


「構わないわよ。アンタに都合のいい女扱いされるのはちょっと慣れてきたし、智美は一応友達だしね」


 都合のいい女扱い……否定できないのが辛いね、どうも。

 というか都合のいい女扱いを自称するならその勝ち誇ったような顔はやめてもらいたいよ、ぐぬぬ。


「で?」

「言われるまでもなく、俺が判断できることじゃないよ」

「……そ。ううん、そうよね。そうあるべきだと、わたしも思うわ」


 何があったのか、どういう事情でこうなったのか。

 身体の一部が異形のまま、ベッドで眠っている相原さんを見れば、聞きたい事なんて山ほどにあるだろう。


 俺に答える権利はない。

 いや、正確に言うのなら話していいと許すことができるのは相原さんだけだ。

 そういう意味で言ったんだけど……あぁ、そうだな。


「こんな時にだけどさ」

「うん?」

「俺、お前の事だいぶ好きだよ」

「――はぇ?」


 別に長い付き合いを重ねたわけじゃないけれど。


「鳴は……いや、鳴も。いい女だな」


 本質、とでも言うのだろうか。

 出雲鳴は外面だけを捉えないで、たとえ真意にたどり着けなくとも図ろうとする思いやりを持っている。


「ちょ、ま……え、えぇ?」

「なんだよ、こういう俺に憧れているんだろう?」

「ばっ――あぁもうっ! アンタってやつはっ! アンタってやつはぁああああっ!! そういうところよぉおおおっ!」

「どういうところだよ。ってか病院ででかい声出すなっての」


 顔を真っ赤に吠える鳴に苦笑いが浮かんでしまう。

 鳴はこうじゃないとな、なんて思う程度には付き合いが浅くとも感じている俺は、やっぱり随分とちょろいらしい。


「……そうですわよ鳴様。怪我人病人に障りますわ」

「智美っ!?」


 当たり前か、それとも気付けにでもなったのか。


「気分はどうかな?」

「うふふ……目の前で仲良しされることに比べたのなら、とでも申しましょうか」

「なかよっ!?」


 顔色は、まだまだ悪い。

 悪いながらに自分の身体へと目を配った相原さんは、もう一段顔色を青くした後に。


「実に、中途半端な人間の止め方をしてしまいましたわね」


 なんて、気丈に苦笑いを浮かべた。


「そうだな。やっぱり中途半端な決意でこういうことはするもんじゃないと思うぞ」

「ちょっと仁!?」


 そんな曖昧な笑みは、少しだけ自嘲的な色を含んだ後に。


「いえ、鳴様。長野様の仰る通りですわ。自業自得は承知の上だったつもりですが、やはり実感としてこうなってしまえば、心へ来るものに押しつぶされてしまいそうになっていますもの。覚悟や決意が足りなかった、それだけの話です」


 相原さんは指先を見つめて口から静かに声を零した。


 見つめた右腕、肘から先は一本の太い針みたいになってしまっていた。

 指は無く、これじゃあ犬も猫も……真紀奈だって撫でる事はできないだろう。


 でも、それでも。


「長野様」

「あぁ」


 まだ、終わってない。

 人間と離別して決別してしまったわけじゃない。


「わたくし、ロジータ代表取締役、相原智美は。黒雨会のお慈悲に縋りたく存じます」


 身体を起こしてゆっくりと、震える肩をそのままに相原さんは頭を下げた。


「条件がある」

「仁っ!?」

「いいえ鳴様、謝意は後ほど今の分も含めてお伝えいたしますので、この場ではご容赦ください」

「う……わかった、わよ。でも、えっと、このまま、聞いていても、いい?」


 まったくどこの出雲さんかと思うくらいしおらしいが、おずおずとした鳴の視線を受けた相原さんは穏やかに微笑みながら頷いた。


「長野様」

「うん」


 覚悟の決まった目だ。

 それこそ、学園で対峙した時よりも遥に強い決意が宿っている。


「その条件を伺う前に、もう一つ……よろしいでしょうか?」

「……」

「もちろん、こちらから条件を告げられる立場でないことなど重々承知しております。ですので、仁様が口にされようとしておりました条件は全てお受けする前提とした上での、お願いです」


 さて、どう考えるべきか。

 隣でハラハラしてる鳴にちょっと癒されながらも、何と言うか……。


「わかった。聞こうか」

「ありがとうございますわ」


 いたずらっ子な顔とでも言うのか。

 少なくともロジータなんて企業を纏める取締役の顔ではない。


 だからだろう。


「わたくし、相原智美は。長野仁様のお慈悲に縋りたく願います」

「……まったく、俺が言える言葉じゃないんだろうけど。人も稀人も、成長するのは一瞬なんだな」


 悪い話じゃないって言うことだけは、先に理解できていた。


「ちょっと、仁? 何よ、そのあくどい笑顔は」

「あくどいってな。いやこんな顔にもなっちまうよ、本当に……都合が良いってのはこのことさ」

「うん?」


 相原さんは言っているのだ、黒雨会にロジータを売ると。

 その上で、相原智美という個は俺に委ねると。


「正直に、申し上げても?」

「あぁ、聞かせてくれ」


 中途半端な決意しかできなかった相原さんが、今度は正真正銘全てを懸けた決心をした。


「黒雨会に関してわたくしはまったく信用しておりません。信用に至る機会が無かったとも言えますが……いえ、しかしながら、個で組織を左右するなど現実的ではないのも事実」

「だからロジータは明け渡しても、あくまでも相原智美という人間は俺の意でしか動かない、と」


 にっこりと頷かれた。

 あるいはこの腹黒いにも程がある笑顔こそが、相原さんの本性なのだろう。


「だって言うのに、随分信頼か信用かわからねぇが。頂いちまったもんだな、俺は」

「あら? 勝ち取ったのはあなたで、奪われたのはわたくしですわ」

「あはは。そう、そうだったな。悪い男に捕まったってことで一つ」

「いいえ。至上の男に巡り合えたと認識しております」


 買い被られたもんだよ、本当に。

 もう誰が一番上にいるのかすらわからない。

 黒雨会か? 相原さんか? それとも俺か?

 えらく混沌としてしまったものだ。まぁ、この社会自体がそうなのだから仕方ないと言えばそうだけど。


「ちょっとじ――」

「なぁ、鳴」

「――あによ」


 お口のチャックがもう限界だったのか詰め寄ろうとして来た鳴を制して笑う。


「社会……いや、世界になるのかな」

「世界?」

「あぁ。変えようか、俺たちで」

「……はぁ?」


 今この場に生まれた混沌のように、ぐちゃぐちゃにしてやろう。


「表も裏も、人間も稀人も……混ざりきっちまえば関係なくなるだろう?」


 人間だから、稀人だから。

 あぁ、なんてくだらないのか。


「変えるためには力が必要? 従えるためには力が必要? あぁ、そうだ、その通りだ」


 素子を守るために強くなりたいと思った。

 ちっぽけな幸せを守るために強くなってやると決意した。


「でも。泥水で咲く花だって、あるんだよ」


 たとえ今は弱くとも、世界から見ればちっぽけな種であろうとも。


「鳴」

「う……あに、よ」

「あいは――いや、智美」

「へぁ? ひゃ、ひゃいっ!?」


 出来る気がする、出来る。


 いや、やってやる、やってみせる。


「力を貸してくれ。俺には、二人が必要だ」


 鳴が騒いで、智美がおろおろしてて。

 お客なんて全然来ないのに賑やかで、楽しいあの店に、素子のだらしない笑顔を加えてみせる。


「ま、わたしはアンタの助手だし? アンタがやるって言うなら、手伝うだけだけど? でも、取り引きを忘れちゃいないでしょうね?」

「わかってる。鳴の目的を忘れちゃねぇさ」

「なら、よし」


 にぱりと、久しぶりにか初めてか。

 鳴は人懐っこい猫のような笑顔を向けてくれて。


「長野様」

「仁でいいよ」

「じ、じんさ……仁さん」

「あぁ」


 自分で大胆なこと言った割に照れるポイントがよくわからない智美はともかくとして。


「わたくしはあなたに救われました」

「救った覚えはないけれど?」

「あるいは救われつつある、というのが正しいのかも知れません。ですが」

「うん」


 目には葛藤が、頬にはまだ赤みを残したまま。


「わたくしは、仁さんに懸けて、賭けます。オールベッド、オールインワンのありったけ。どうかわたくしに、この世界での生き方を、ご教授下さいませ」


 それでも真っすぐに、俺の目を見据えて。


 俺も、鳴も、智美も。

 目的を果たすためには裏社会で力をつけるしかないと思っていた。

 もちろん間違いではないのだろう、そうすることで得られるものは確かにあって、叶う望みもあるんだろう。


 でも、やっぱり俺たちの目指すところは光が何にも遮らずあたる場所だから。


「……裏社会成り上るんじゃない。そうとも、裏社会から・・成り上るんだ。俺たちは、今、ここから」


 鳴の信頼を裏切らない、智美の瞳を裏切らない。


 そうさ、ここから始めよう。俺の復讐を、幸せに変えるための一歩を。

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