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第9話「壁」

 言われた瞬間、何かが弾けた。


「ハハハッ! あの時は称賛出来なかったが、やるじゃあないか! 駄犬っ!」

「うる、せぇっ!!」


 直線的な動きはしない。

 商品棚を蹴りに蹴って立体的な動きで距離を詰める。


「だが――殺気が隠せていないぞっ!」

「つ、ぅっ!」


 黒い羽根が飛ばされ、頬が少し割かれた。

 このスピードについて来られてる、捉えられてるってことだ。


 もっとスピードを――。


「っ!?」

「おいおい、稀人であることを忘れたか? 狼稀人の脚力に棚如きが耐えられるかよ。減点だ」

「ぐっ!?」


 左腕をざっくりとやられた。

 遅れて背後からドスンと蹴り台にした棚が音を立てて倒れた。


「ふ、ぅ……」

「そうだ、冷静にだ。狼は獲物を狩るのに派手な動きはしない、そうだろう?」


 あぁ、イライラする。

 そんなこと、お前に言われなくてもわかっているんだ。

 らしくない、減点なんて言われても仕方ない。頭の中で先生が苦笑してるっての。


「パズルのようなもの、だったよな……」

「む?」


 フルで身体能力を活かせるのならともかく、ここじゃあ環境的に難しい。

 つまりこういった力で何とかするのは厳しいだろう、なら何がアイツに通用する?


「クク、次は隠れん坊か?」


 先生の予想、アイツがセンサーのような能力を持っているのならこうして物陰に身を潜めるなんて意味はない。


 ないが。


「そこだっ!!」

「ちぃ……っ!」


 隠れていた棚に鈍くドドドと羽が突き刺さる音が聞こえた。


 そうだ、意味はなかった。

 意味はなかったが、アイツが感知能力を持っていることは確かめられた。


 なら、次は?

 次は何を確認すればいい?


 そうだ、次は。


「シッ!!」

「真っすぐ来る――なっ!?」


 羽の威力を確かめる。受けて痛いだけなら問題ない。

 棚から落ちていた鉄板を斜に構えながら突っ込んでみれば。


「小、賢しいっ!」


 突き刺さらずに何回か衝撃が来ただけ。

 鋭さはあっても、重さはない。これなら動きを止められるなんてことはないだろう。

 つまるところ、アイツの羽攻撃は、突き刺さなければ効果を発揮しない類のものだということ。


 確信を得て、間合いを詰める途中で横の通路へと飛び込めば、アイツの舌打ちが聞こえてきた。


「なるほど、なぁ? よく練られている。あの時とは違ってしっかりと頭を働かせている。実に大した進歩じゃないか」


 パチパチと嫌味ったらしい拍手が間近から聞こえた。

 隙間から目に映るアイツは遠い。

 ということはこれもテレパシーのような能力を使用しているということ、か?


「オレの能力を確認したいんだろう? ソレはサービスだ」

「……てめぇはいちいち俺をイラつかせなきゃ喋れねぇのかよ」


 見抜かれている、よな。

 その上でこれだけ余裕を見せられるってのは、まだまだ底は深いらしい。

 何よりこっちの居場所を感知できているはずなのに何もしてこないってことは、アイツも俺を測っているということだろう。


 対する俺と言えば身体能力はフルで発揮できず、新しく身に着けた犬を指揮し力を与える能力も活かせる場面じゃあない。


 ……ったく、準備はちゃんとするべきだよ本当に。


「わかっただろう? キサマは俺に届かない。いつか届く日が来ることを否定しないが、間違いなく今は無理であり無駄だ。そろそろ大人しく話をしようじゃないか」


 わかる、理解できる。

 でも、断じて、決して理解したくない。


 いつか届くなんて甘えない。

 今だ。今なんだ。喉元を食いちぎることは難しくとも、牙を突き立てられると証明しろ。


「ふ――ぅ」


 呼吸を整える、気持ちを整える。


 逸るな、怯えるな、怒りに囚われるな。

 膝に力を込めて、立ち上がり、大きく深呼吸を一つ。


「……やれやれ。諦めの悪さはまさしく狼、というべきか」


 姿を見せて相対すれば、呆れられたような顔に迎えられた。


「良いだろう待ってやる。キサマの全力全開を、オレに見せてみろ」


 ズン、と。

 重たい何かが身体に伸し掛かって来た。


 雰囲気が、空気が変わった。


「なん、つー……プレッシャーだよ」


 久々に乗り越えたつもりだった本能が逃げろと囁いている。

 確認するまでもなく、尻尾は情けなく巻いてしまっていることだろう。


 ……わかっているさ。

 今の俺にアイツを打倒するためのピースが揃っていないことくらい。


 それでも。


「……」

「……」


 正面で、向き合う。

 お互いの距離は約5メートルと言ったくらいか。

 地面は流石に倒れないし崩れない。なら思いっきり踏み込める。


「なんで、素子をああした」


 後は燃料だ。

 心を燃やす燃料が欲しい。


「必要だったからだ」

「何のために」

「オレがオレになるために」

「我欲のために素子を奪ったのか」


 そう問えば。


「そうだ」

「――十分だっ!!」


 ニヤリと笑って告げられた。

 瞬間、尻尾が逆立った。脚に力が漲った。漲った力で踏み込んだ、蹴り飛び込んだ。


「――」


 5メートル先にいた雨宮が目の前にいた。


 拳を放った、逸らされた。

 逸らされた勢いを殺さず反対の手を伸ばした、受け止められた。

 だから。


「な――」


 受け止められた手の爪を伸ばして、喉元を狙った。


「ぐ、ぅ……」


 爪先から何かを裂いた感触は伝わってきたけれど……。


「見事、と言っておこう」

「く、そ……」


 いつの間にか、追い打ちをかけられないように、黒色ではない赤色の羽で足を縫われていた。




「這いつくばるのがお似合い、とはもう言わん」

「……」


 文字通り指先、いや爪先しか届かなかったという無力感に膝をつきたくなるが、どうにもこうにも身体が動かない。


「紅を出したのは初めてだ、オレとしても賭けだったよ。まだちゃんと扱えない力だからな」


 動かせないのは口も、だ。

 言葉を発することすらできない悔しさだって言うのに、涙すら浮かんでこない。


「やれやれ。本当は、言葉を交わしての会話を望んでいたんだがな。このままでもまぁ構わないだろう。返事も何もいらん、ただ聞け」


 拒否権は、ない。

 コイツが能力を解除するまで、俺はただ黙って不格好なまま突っ立っていることしかできないのだから。


「オレの目的は強い稀人の力を手に入れることだ。そしてキサマの力は、オレのものとするのに相応しいと思っている」


 意味が、分からない。


「そうだ、オレはキサマが欲しい。だが今ではない、そう改めて思ったよ。もっともっと強くなれ、強くなったキサマの力をオレに寄こせ」


 あぁ、それでも一つわかった。

 こいつは。


「狂っている? そうだな、その通りだ。オレは力というものに狂っている。いいぞ、力と言うものは。煩わしい社会を問答無用で壊してしまえる。向田組のニンゲンでさえそうだ。稀人であるオレに逆らえないヤツがほとんどだ」


 狂っている、そうだ狂っている。

 俺を見る目がそうだと言っている。

 目が合っているのに、その俺を見ないで狼稀人の能力を見つめて欲している。


「今日、改めて確信したよ。だから、そうだな……素子といったか、あのニンゲン。ひとまず・・・・目を覚ませる方法を教えてやろう」

「っ!?」


 は……?


「意味が分からんという顔をしているな? もちろんオレに益があるからこそだ。だがそうだな、重ねてひとまず・・・・このままあのニンゲンがずっと目を覚まさないということはなくなるという点は間違いない」


 素子が、目を覚ます?

 言われていることが、理解できない。

 こいつは、素子の意識を奪った宿敵、そのはず、なのに。


「良いか? 今出回っているクスリ、ニンゲンに稀人のような能力を与えるクスリだが……与えるクスリがあるのなら、消失させるクスリもあるわけだ。そのクスリを使えば少なくとも意識を取り戻す程度は出来るだろう」


 なんで、そんなことを教えるんだよ。


「あぁ、もちろんオレが能力を解除するという方法もあるが……それは却下だぞ? まぁ、キサマの選択次第だよ。オレとしてはどちらに転んでも強くなったキサマと再び相まみえることになると確信しているからな」


 そういって、雨宮は。


「心配するな、紅の能力はあと15分もすれば解除される。強くなったキサマに期待しているぞ?」


 呆気なく、その場を去って行った。


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