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第8話「邂逅」

 念のためで貸倉庫前で張り込みはしていたが、何と言うこともなく相原さんはあの後一時間ほどで、小さな紙袋をいくつか持って外に出てきた。

 出てきた様子におかしいところは少なくとも外見上は見当たらず、少し待ったと思えば迎えに来たらしい高級車の中に乗り込んで行った。


「……さて」


 改めて追跡開始だ。

 出てきた時に相原さんの匂いを覚え直したが、どうやらディアパピーズに来ていた時とは違い特徴的な香水をつけているみたいで、これなら匂いを辿るのに苦労はしない。


 時刻は、23時。

 お嬢様が起きているにはよろしくない時間だ。


「願わくば、安全なご帰宅ってなもんだが」


 辿る匂いは相原さんと、相原さんが身に纏う香水に。


「……あぁ、少しどころじゃなく。俺はショックを受けているんだな」


 紙袋の中にあるものだろう、危ないオクスリの香り。

 本人にヤバイものを持っている自覚の有無は関係ない。


「もう、どうにも言い訳が出来ない位に、キミは関わってしまっているんだな」


 車を追いかけながら、胸に沸いて来た苦みを噛み殺す。


 ……真紀奈との約束、取り引きを忘れたわけじゃない。

 アイツが動けない間、俺は彼女の頼まれている。


「縋り処に、したくはなかったな……」


 あの真紀奈のご主人様が悪事を率先するわけがない。

 何か理由があるはずだと理性でもって、この裏社会では至って普通のことだという本能めいた直感を打ち消す。


 俺は、嫌だぞ?

 彼女を守ろうとする真紀奈とやり合う未来を迎えるなんて。

 でも、それでも。


「ほんっと……無性に会いたいよ、素子っ!」


 駆ける脚に力を込めて、零れた弱音を踏み潰す。


 今はただ、あの車を見失わないよう走るだけ。


 そうして。


「……ここに戻る、か」


 いつかの茶番が行われた舞台、五反田の貸倉庫へと辿り着く。

 距離は少し遠く、しっかり入り口に止められた車の中から出てきた相原さんが倉庫の中に入っていくのを確認して。


「気づかれてた、よなぁ。あぁ、もう。こりゃ、逃げられねぇや」


 後部座席から出てきた二人の男が、拳を鳴らしながら俺を見据えて歩いてくる。


「修行? 訓練? そうだというにはまだちょっと時間が足りなすぎるけど……いいさ」


 知ってか知らずか、最後に相原さんの視線とぶつかった気がした。




「ふっ!!」


 そこら辺のチンピラやゴロツキじゃあない。

 それは今、一人の男が繰り出してきた拳の風切り音が教えてくれた。


「くた、ばれっ!」


 避けた瞬間の隙を打ち消すかのように、もう一人の男が糸のような何かを口から吐き出してくる。


「ふ、ぅ」


 自分がいた場所から思い切り飛び退けば、空ぶった糸のような何かがアスファルトを少し切り裂いて。

 なんともまぁ、殺す気マンマンだことで。なんて妙に冷静になってしまった。


「見た目は、二人とも稀人じゃあないよな。ってことは、アレを使った……でいいのか?」


 返事はない。

 ただ、薬に副作用でもあるのだろうか、少し動いただけにも関わらず、二人は大きく肩で息をしていた。

 バテている、って感じでもない。あえて言うのなら自分の身体の動きに強い負担を感じている、とでも言うのだろうか。


「……あんま簡単に人間離れするんじゃねぇよ」


 再び吶喊してきた男の拳を避けて、合間を縫うように放たれる糸も避ける。


 別に、俺が急に達人と呼ばれるほど強くなったわけじゃない。

 単純に。そう、単純にこの二人が稀人のような能力を使って戦うことに慣れてなさすぎるだけ。


「愚痴じゃ、ねぇけどさ。俺みたいな稀人でも、強くなるには色々必要なんだよ。手合わせって話なら、そのクスリを使う前のアンタらとヤってみたかったな」


 目を見張るのはコンビネーションだけ。

 元々この二人は用心棒か何か知らないが、一緒に誰かを打倒するなんてことをしていたんだろう。

 だからこそ、慣れていない力を使っていても呼吸だけは噛み合っていた。


「っ!?」

「悪い、とは言わねぇよ」


 脚力を見るに馬とかだろうか。

 素早く踏み込んで放たれた拳、その間合いの更に中へと踏み入って身体を持ち上げ、もう一人へと投げ飛ばす。


「ほら、こうなったらもう、何もできない」

「ん、なぁ!?」


 放とうと構えていたのか、迫ってくる相方を前に糸は飛ばせず、簡単にもう一人の後ろが取れてしまう。


 あぁ、本当に。


「人間のアンタらと、ヤりたかった」

「ぐぅっ!?」

「あ、ぐ……」


 飛んでくる男と、糸使いの男の頭をごっつんこ。

 少しの間どころか、しばらくは目を覚ませないだろう。


「これ、かな? あぁいや、見た事あるや、これだ」


 昏倒した男の服を調べれば、いつか見た事のあるカードキーがあって。


「行くか」


 倉庫へと足を運んだ。




「――ほう。駄犬は卒業したと思って良いか」


 もしかしたら、俺はこうなるということを期待か予想していて、本能で確信していたのかもしれない。


「さてな。これでも必死だよ、お前を見て飛び掛からずに我慢するのはな」


 中は相手が誰かわかる程度に点けられている灯りに照らされた黒い翼の男と。


「長野、様……」

「こんばんは、相原さん。お嬢様の夜遊びは感心しないな」


 その陰に隠れるように顔を覗かせる相原さんがいた。


「我慢している割に冷静じゃないか」

「我慢してるつってるだろ」


 何が面白いのかくつくつ笑う黒い翼の男に苛立ちを隠せない。

 正直、予想や期待をしていたかもしれないが、当たり前に混乱もしているんだ。

 どうするべきか、どうなるべきか、どうしたいか。疑問や欲求が頭の中でぐるぐる回っている。


「お察し、だと嬉しいが。この場をセッティングしたのはオレだ。駄犬を卒業したキサマと話をしたいと思ってな」

「話、ね……そうだな。俺もそうだよ、ボコボコにしてからだけどな」


 無意識に足へと力が入っていた。

 本当にちょっとでも気を緩めたら考えなしに突っ込んでしまいそうだ。


「逸るなイキがるな。あの二人を倒して自惚れたか?」

「まさか。噛ませ犬相手で自惚れられるほど、簡単な自分じゃないつもりだよ」


 我慢だけじゃないこともわかっている。

 さっきの二人を相手にしたから余計にかも知れないけど、やっぱりコイツは……強い。


「……雨宮、様」

「ん? あぁ、忘れていた。荷運びご苦労、向田組にはよく言っておいてやる。帰っていいぞ」

「ありがとう、ございますわ」


 うつ向いたままで相原さんが男の影から出てくる。


 俺と目は合わない。

 ディアパピーズで居るときのような真っ直ぐな姿勢からは想像もできない程、背中を丸めてビクビクと。


「猫派なのにディアパピーズで働いてくれてありがとうな」

「え……」


 すれ違いざまに、取り引きの無事継続を願って小さく言う。


「もしも、ディアパピーズでの日々を日常に変えたいと願ってくれるなら……話そう」

「……」


 返事は、無かった。

 それでも、香水の奥からディアパピーズでよく嗅げた彼女のいい香りがした気がした。


「さて、だ」


 後ろで扉が閉まる音がしたと同時に、男がニヤリと癪に障る笑みを浮かべて。


「自己紹介をしておこうか、オレは雨宮悠アマミヤ ユウ。見ての通りカラス稀人だ」


 両手を広げて、キザったらしく。


「いいのかよ」

「何がだ?」

「名乗って」


 苛立ちは止まらない。

 理性がドンドン削られていく感触がする。

 相原さんも居なくなった、この倉庫の中にコイツ以外の匂いはない。

 正真正銘の二人きりだ、冷静でいられるわけがない。


「構わないさ。オレを知られたところで何も変わらん。変わらんと言うのに、コソコソ嗅ぎまわられるのもいい加減鬱陶しくてな。あぁ、いや、犬は嗅ぎまわるのが仕事だったな。失礼した」

「っ……!」


 あぁ、ダメだ。

 頭の中にある何かが焼き切れそうだ。


 話は、するべきなんだろう。

 コイツをどうにかする、どうにかしたいってのは俺の欲望だ。

 素子を助けるために何でもするというのなら、土下座でも何でもしてどうすれば助けられるのかを乞うべきだってのに。


「ふん。まぁ、そうか。そうだな」

「なん、だよ……!」


 震える拳を抑えつけていれば、何を面白くないと思ったのか、雨宮は。


「来い。そんな調子では話もできん」


 纏う気配を一つ重くして、かかってこいと言った。


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