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第2話「笑える話」

「あぁ、鳴か? すまないな、任せっぱなしで。今、少し良いか?」

『構わないわよ、これでもアンタの助手だからね。それで? 何?』


 近所のスーパーで買い物をしながら鳴へと電話をすれば、ワンコール終わる前に繋がった。


「もしかしたら……いや、十中八九。明日の昼辺りには野良犬がそっちに押し寄せる。俺の知り合いだからまずはメシをあげて、できれば風呂に入れてやってくれ」

『は? ん、ううん、別にそれは構わないんだけれど。押し寄せるって、何匹くらい?』

「わかんねぇ」

『わかんないって! え、えぇ……? ご、ご飯はストックが一杯あるから大丈夫、だけど』


 あの野良の風格というか、雰囲気から考えればこのあたりのボス犬だろう。

 それだけにどれくらい引き連れていくかはわからないんだよな、なんとなく少なくとも10頭はいるだろうけど。


「カイル君ほどの強者感はないだろうし、大丈夫だと思うよ」

『きょ、強者感? わ、わけわかんないけど、うん。まぁ、わかったわ。智美にも言って、準備しとく』

「あぁ、明日は相原さんもいる日だっけ?」

『しばらく夜が忙しくなりそうだし、お昼間に来れるようにするって言ってたわ。あ、ごめん、報告するべき、だったわよね?』


 ……なんというか。


「別に問題ないよ。というか、随分としおらしいな? 何かあったか?」

『しおらしいって何よ! ちょぉっと素直にごめんなさいって言っただけじゃない!』

「わかった、わかった。今のは俺が無神経だったよ。悪いけど頼む、相原さんにもよろしく言っておいてくれ」

『ふん……しょうが、ないわね!』


 しょうがないって言いながらもちょっと嬉しそうなのはなんでだよ……俺、わかんないよ鳴……。


 まぁいいや。


「じゃあ、またな」

『うん。頑張ってね』


 頑張ってね、ねぇ?


「出会ったころの鳴からは想像もつかない言葉だ」


 思わず苦笑いが浮かんでしまう。

 俺が今の生活を悪くないと思っているように、鳴もまたそう思い始めてくれているのだろうか。

 表向きは平和的な、それこそ裏社会がどうのって匂いはまったくしないが、少しでも踏み入れてしまえばキナ臭い闇の世界だって言うのに。


「……素子を取り戻した、その先に」


 今の生活が続いて、その中に素子も笑って存在しているのなら。

 それは何よりも、素敵な未来なのかもしれない。


「いや、そうするんだ。そうしたいから、俺は今、こうしている」


 決意を新たに、商品棚に並んでいた肉を買い物かごに入れる。

 そうだ、全ては手の中にあった幸せを取り戻すために。


「欲張りになったもんだよ、俺ってやつは」


 あるいはこうなることが裏社会に身を置くということなのかもしれない。

 並んである肉をどれだけでも買い物カゴにいれられるように、なんて。


「そろそろ、だな」


 玉ねぎを間違えて入れてしまっていないかを確認して、レジへと並んだ。




「なるほど、お揃いで」

「……」


 さて、改めて路地裏の奥で再び彼と、その仲間らしき犬たちと面を通す。

 やって来たのはリーダーらしき犬を含めれば8頭か、多いと思うべきか少ないと思うべきかは野良界隈に詳しくない俺には判断が付かないが、少なくとも五反田の調査を手伝ってもらうには十分だろう。


「まずは……足労をかけた詫びとして、これでも食ってくれ」


 さっき用意した犬用のご飯を地面に置く。

 もちろん、紙皿に乗せて衛生面にも気を使っている、んだが。


「どうした? 別に、食えないものやら毒は入れていないぞ?」

「……」


 中々一歩を踏み出さない。

 いや、すぐにでも飛びつきたい気持ちはあるんだろう、リーダーの後ろにいる犬たちの口からは涎が溢れている。


 どいつもこいつも、それこそリーダーだって痩せていた。

 それこそ、このままの栄養状態じゃあ先は長くないとわかってしまうほどに。


 それでも。


「まぁ、気持ちはわかるよ。俺も、そうだったからな」

「っ……なに、を」


 思い出すのは素子に拾われた時のこと。

 俺も、彼らと同じように温かさを信じられないで、ひたすらに空腹を気にしないように相手を警戒していた。


 ……素子のように、というには下心があるから言えないけれど。


「安心、したいか?」

「っ!」


 無害であるっていう保証が欲しい。

 そう言う気持ちも、わかるよ。俺だって、そうだった。


「じゃあ、先に俺をボコボコにしていい。殺されてしまうのは勘弁してほしいけど、身動き取れない位にまでなら、構わないぞ」


 両腕を広げて、ご自由にと示す。

 そうだ、下心があるから、あの時の聖母を思わせる素子のようになんて言えない。

 だけど、今の俺にとってこいつらは必要だ。

 救いたいなんて気持ちがあるとは言えない、全て自分のためだから。


「どうした? 安心して、このメシを食ってくれよ」


 一歩、踏み出す。

 覚悟を持って、俺のために使われてくれとお願いするために。

 取り引きを完遂するための第一歩だ。


「う、うぁ……」

「ほら、ヤれよ。思う存分、安心するために」

「うあぁあっ!!」

「づっ……」


 リーダーの一番近くに控えていた犬が、追い詰められたかのように飛び掛かってきて、腕へと噛み付いて来た。

 当然、痛い。何なら不衛生の極みと言って良い彼らだ、明日を待たずして熱でも出てしまうかもしれないが。


「そ、れで! 安心できるのか!? ほら、まだまだ俺は喋れるし、脚も手も動くぞっ!!」


 信頼することを止めた、諦めた連中から信用を得ることほど難しいことはない。


 緊張の限界が来たのか、ガブリ、ガブリと一つ、また一つ牙が俺の身体に突き立てられる。


 ……あぁ、素子。

 本当に、お前は最高の女で、姉だよ。

 こんなにも、痛くて、苦しくて、覚悟の必要なことを、やってくれたんだな。


「ぐ、ぅ」


 痛い、熱い。

 それでも膝は折らない。

 受け止める、受け止めて見せる。


 俺が今示せるものは、絶対にお前たちを害さないという覚悟だけ。

 覚悟の先に、俺の覚悟を受け止めてもらえた先にこそ、信用と信頼を紡げるチャンスがある。


「ったく、さぁ……笑える、と思わないか?」


 痛みを堪えながら、リーダー犬に話しかける。


「血の匂いなんてしない、平和で幸せな明日が欲しいがために、こんな血を流すなんて、さ」


 世界の、社会のルールとでも言うんだろうか。

 ちっぽけで、ありふれた日常って幸せが欲しいってだけなのに、こんなことが必要だ、なんて。


「ったく。生きづらい、世界で社会だよ、なぁ……!」


 人間も、稀人も、動物たちでさえも。

 自分が幸せであるために、誰かを害したり、何かを奪う必要があるなんて、たまったもんじゃない。


「そう、アンタも、思わねぇか? ここらで、ちょっとだけ、歩み寄っても、いいんじゃねぇか?」

「……」


 じっと、リーダー犬を見る、問いかける。

 瞳は揺らいでいた、稀人と会話できると知ったからか、返事はない。

 それでも揺らいだ瞳からは葛藤を感じた。


 一歩歩み寄るべきか、否か。

 恐らくも何もない、今俺が突き付けた選択は、一歩間違えれば破滅へと繋がるものだと彼はよく知っている。

 リーダーだから、苦しくても辛くても、ただ生きるだけを維持するのなら、俺の誘いなんて知ったことかと言うべきだと、理解できているから。


「あ、ぐ……」


 稀人は頑丈だ。頑丈だけど、やっぱり血を流し過ぎれば意識は遠のくし、限界って言葉は割と人間と共通した位置に存在している。


 今俺は、まっすぐに彼を見ていられているだろうか。

 少しの不安、影が心に過った時。


「ぜんいん、はなれろ」

「っ!?」

「はなれろ、といったんだ。すぐに、そうだ。すぐにそいつからきばをはなせ。そいつは……なかま、だ」


 そんな言葉が、聞こえてきて。


「ありがと、さん」

「……まけた、よ。くがいをしるわれらが、おなじせかいをしっているものに、つきたてるきばは、なかった」


 ゆっくりと、悲しい温もりが身体から離れて行った。


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