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第1話「危ない仕事」

「よく来てくれたね仁君。ゆっくりしてくれ、なんて言いたいところなんだけども」

「大丈夫です、先生。初音さんから少しだけ聞いています。先んじて調査を依頼されたってことは、それだけ急げってことなんでしょう?」


 先生の真面目な表情っていうのは貴重だ。

 貴重なだけに、浮かべている理由を思えばそれだけ暢気に構えていられる現状ではないのだろう。


 事実として、何かを期待するかのような顔でテーブルにコーヒーを運んできたウェイトレスに何もしなかった。

 いつもなら茶化してナンパ紛いのことをしている場面だ、それだけ余裕がないってこと。


「まったく、本当に仁君は優秀だ。じゃあ、甘えて前置きは省いて結論から言おう。ハッキリとコレだという情報は掴めていない。それこそシズクさんが掴んだという向田組の下部組織だけでもクスリを取り扱った組織は無数にあるしね」

「……情報屋である先生をして、掴めていない、ですか」


 先生がどれだけ凄い情報屋なのかはまだいまいち理解が及ばないところだけれど。

 少なくとも優秀とか腕利きって言葉はタカミの頭についているんだろうことはわかる。


 そんな先生であっても掴めない、か。


「いや、単純に量が多すぎるのさ。ドラッグと言うものは今回挙げられた……そうだね、人間を辞められるクスリとでも言おうか。違法、合法含めて多く広すぎる分野だからね。一つ一つを精査すべく追うのは物理的に不可能なんだ」


 なるほど。

 確かにドラッグなんてものは表のニュースでも聞く話題だ。

 それらは言ってしまえば裏から溢れ出てしまった氷山の一角でしかないというのなら、深く入り込めば無数にあっておかしくないものだというのも頷ける。


「絞るための情報が必要、ってことですね?」

「その通り。サンプルとして渡してくれたこの人間を辞められるクスリだが、流石に成分を秘密裏に調査できるツテなんか僕にはないし、黒雨会も同じだろう。見た目もどこにでもある内服薬と変わらないだけに、どの情報を辿れば良いのか判断できる材料が欲しい」


 判断材料に出来る情報が欲しい……。


「難しい、注文ですね」

「うん。無論、今のままでも時間をかけられたのなら突き止められるだろう。だが」

「その頃にはそれこそこのクスリが蔓延していてもおかしくない、ですか」


 難しい顔をしながら先生は小さく頷いた。


 正直なところ、稀人のような力を身につけられるクスリなんてものはヤバすぎる。

 どういった副作用があるとかいう話じゃない、稀人しか持ちえない能力が誰にでも手に入れられるってことは、見方を変えれば稀人の存在価値を奪うことに他ならないんだ。


 社会貢献に繋がるような能力を持った稀人は、数が少ないながらも社会で成功を手にしている。

 そう言った稀人は、俺たち持たざる稀人にとって希望の一つではあるんだ。


「わかりました、何とか辿ってみます」

「……できるかい?」


 先生をして念を押す、というよりは心配そうな顔をするくらいだ。

 相当、考えている以上に難しいことなんだろう。


「一介の稀人としても、裏社会に生き始めた俺としても、やらざるを得ない。そういう面があるのは確かです、でも」

「でも?」


 不思議と、予感がする。


「この闇は、ものすごく深いものなんでしょう」

「そう、だね。ヒト待ち少女の話もそうだが、社会に存在を認知されているモノ程その背景は深く広い」


 この闇深い匂い、その奥先に俺が求めているものがあるという、予感が。


「だからこそ、やる、やってみせますよ先生。そして見事獲物を手にします。この程度のことで、躓いてなんか、いられない」


 そうさ、この程度のことを障害にしていたら、この程度の障害に手をこまねいてしまうのなら、素子を助けるなんていつになってもできない。

 何よりこの香りは、あの黒い翼の男と似ている香りがするんだ、きっとどういう形であれど繋がっている。


「……まったく」

「え? 先生? って、わぷっ」


 決意を胸に先生を真っ直ぐに見れば、困った困ったと表情を緩めた先生が俺の頭を撫でてきて。


「無理はしないこと。仁君は確かに強くなった、そして更に強くなりつつある。それでも、あんまり染まりすぎないでおくれ? 素子君を前に、真っ直ぐ笑える位には、ね」

「は、はい」


 どういう意味かは、まだ少しよくわからないけれど。


「うん、それじゃ、よろしく頼むよ。この件が片付くまでは、仁君を優先できるようにタスクを管理する。いつでも連絡してきなさい」

「はいっ!」


 頼もしい声援ではある、先生の一言を力に変えてイスから立ち上がった。




「とは、言ったものの」


 実際のところどう動くべきかという指針すらないのは確かな話だ。

 参考にと渡された最近耳に入りだした新たなドラッグに関する情報ってのも、大概に多い。

 先生が現実的じゃないって言ったのに頷いてしまうほどには、ここから人間を辞められるクスリに関する情報を見つけるのは至難の業だろう。


「なら、やっぱり」


 この薬にこびり付いている、名前の付けられない香りを辿るしかない。

 悪意、というか悪徳、というか。

 少なくとも俺が知っている言葉の中で一番近いものがあるとするのなら、それは陰謀ってものが近いか。


「向田組、か……」


 唯一動かない情報は、大本が向田組であるという一点のみ。

 ならばそこから探っていくべきだろう、入り口というにはあんまりにも大きすぎる組織だが。


 何にしてもまずはどう動いているのかを知るべきだ。

 シズクさんはこれを五反田で手に入れたと言っていたし、五反田で向田組の息がかかっているらしきところと言えば……さて。


「着想は正しい、んだろうけどなぁ。流石に企業間のやり取りなんてわかんねぇっての」


 どの企業や組織が向田組と繋がっているのかなんて想像もつかない。

 それこそ、表向き向田組は善の組織だ。今の社会を築き上げた立役者なんて言われている組織だけに多くの企業と繋がっていておかしくないだろう。


 その中でも裏と繋がりが深そうな、なんて条件で探すのは難しいって一言では済まないはずだ。


「んー……わっかんねぇ」


 結局、この薬についた匂いを辿ることが第一歩になるだろうか。

 あるいは鳴に聞けば目星をつけてくれるかもしれないが、今回の件が終わるまでディアパピーズに戻るのは可能な限り控えた方がいい。


「五反田、か」


 ひとまず向かって、忘れたいと思ってももう忘れられないだろうこの匂いを辿ってみるとしますかね。




 そうして降り立った五反田の街ではあるが、何と言うか見方が少し変わった。


「……なるほど、ね」


 町並みは変わらない。変わりようがない。

 でも薬の匂いを意識してみれば、街の中に薄っすらと匂いの導線が浮かび上がる。

 雑多な匂いを感じるのは確かだが、それでも捉えたいと意識に置いた匂いだけが、明確に見えた。


「なら、例えば……あぁ、これはギンさんの匂いか」


 シープヘッドのマスター、ギンさんの匂いを思い出して意識を切り替えれば……どうやら近くの酒屋で買い物をした後に店へと向かったらしい。

 途中、薬局に寄ったのはあれかな? シズクさんにいるかも知れないって考えたからかな? だったら、とても嬉しいし、良い人だなぁと好感度が大変なことになるんだけれども。


「いかんいかん。まずは、っと」


 一旦頭の中をリセットする。

 薬の匂いを意識して導線を確認したが、あっちこっちに飛び回っていて一つ一つしらみつぶしに探してなんかはいられない。


 更に言うのなら、嗅ぎまわれば嗅ぎまわるほど俺って存在が露見する可能性は高くなるし、高くなれば当然警戒されるわけだ。


 そうなって完全な裏社会に隠されてしまえば元も子もない。ならば。


「――なぁ」

「……あん?」


 昼間にも関わらず暗い路地裏で、日差しから身を守るようにゴミ箱の傍で横たわっていた野良犬へと声をかけた。


「取り引き、しないか?」

「とりひき?」


 胡乱な瞳を向けられながら、人間とはあまり関りがなかったのか独特なイントネーションで言葉が帰ってくる。


「そうだ、取り引きだ。俺はお前に、いやお前たちに一つ仕事を任せたい」

「しごと」

「そう、仕事だ。わかるか? 言ってしまえばお願いとも言えるが、叶えてくれたのなら当面エサに心配せずとも生きられるように計らおう」

「……」


 目つきが少し鋭くなった。

 この目よくは知っている、不信の色を宿した瞳だ。


「お前が過去どんな体験をしたのかはわからない。だが、約束しよう。俺は、お前を、裏切らない」

「よく、いう」


 呆れたように。でも、話を聞いてくれる態勢のままで。


「まぁまずは話を聞いてくれよ。そうだな、多ければ多い方が良い。お前の仲間か手下か、何でもいいが多く集めて日が落ちる頃にもう一度この先にある袋小路で会おう」

「……」

「警戒するなってのは無理な注文だろうが怯えるな。怖いならそれこそ集められるだけ集めて、俺を襲ってしまいにすればいいから」

「……いい、だろう」


 そう言って、むっくりと煩わしそうに身体を起こした後、もう一度俺を振り返って。


「なまえ、は?」

「仁。長野、仁だ」

「じん……わかった」


 何かを確かめるようにじっと見た後、少しだけ足を速めて立ち去った。

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