目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

「相原 智美」

 アルバイト、というものをわたくし相原智美は初めて経験する。

 普段学園が終わればデスクに座ってパソコンへと向かうばかりのわたくしからすれば、喫茶店業務というものがどういうものなのか未知数だったし、楽しみではあったのですが。


「……ねぇ、鳴様?」

「あによ」

「お客様、一人も来ませんのね」

「これがフツーよ、フツー」


 閑古鳥が鳴く店内で、お犬様たちが鼻を鳴らして眠っている光景は、何とも形容しがたい気持ちになってしまう。


 何より。


「長野様……もとい、店長様は?」

「知らないわよ。けどま、基本わたしたちがいる時は店にいないわよ」

「左様、ですか」


 長野様とお近づきになりたくて、なんて言えばはしたないのですがごまかしようもなくその通りでしたので、現実を知って肩を落としてしまう。


「ったく、この色ボケお嬢様は」

「ななっ!? ひ、否定は致しませんが! 随分なお言葉ですわねっ!?」


 鳴様の言葉に思わず顔が熱くなってしまう。

 確かに、長野様ともっと仲良くなりたいという気持ちは誤魔化しませんが、色ボケなどと汚い言葉を使わずともよろしいですのに!


「わ、わたくしが色ボケなら! 鳴様は猫かぶりお嬢様ですわ! わたくし、鳴様がこんな方とは思っておりませんでした! 立派な志しや行動に感激した気持ちをお返しになって下さいませ!」

「返せるもんを引き合いにだせってんのよ……というか、そこはわたしが一番驚いてるって話よまったく」


 呆れたように、と言いますよりは面白くなさそうに頬杖をついてそっぽを向く鳴様に目を丸くしてしまう。

 何と言うか、本当にこんな方だとは思ってなかったのは事実ですが、どうにも、こう。


「あの」

「あによ」

「鳴様も、長野様のことが好きなのでしょうか?」

「ぶっ!?」


 あんまりにもわたくしと同じ匂いがしたものだから、つい聞いてみれば思いっきり吹かれてしまいました。


「な、ななななっ!?」


 顔を赤く、口をぱくぱくと。

 これも、初めて見る鳴様の表情だ、先ほどとは違ってなんとも愛らしさというかかわいらしさを感じてしまいますが。


「いえ、言わずともがな、でしたわね。よぉく承知しておきますわ」

「ぐ、ぬぬ……」


 何よりも、少し楽しい。

 わたくしだけに限った話ではなく、あの学園に通っている生徒たちは何かしらの立場を背負っている方が多いから。

 こうしてただの学友として接することが出来る今は、色々なことを忘れられるから。


「そういう、あんたはどうなのよ」

「どう、とは?」

「アイツのことが好きなのかって話よ!」

「あ、あらあら、まぁまぁ」


 そう言ったように聞き返すということは、薄くか濃くかはわかりませんが多少なりとも自覚があるということでしてよ? 

 ふしゃーと猫を思わせるような威嚇ぶりですが、猫は大好きですから可愛いが勝ってしまいますわね。


 ですが、長野様のことが好きか、ですか。


「お近づきになりたい殿方であることに間違いはありませんわ。容姿にしても性格にしても、実に好ましい方ですし……はい、恋とは断言できませんが、長野様に好意を寄せていることは、否定できません」

「……回りくどい言い方ね」

「わたくしも、そう思います」


 くすりと自然に笑みが浮かんでしまった。

 カイルさんが鳴様の感情が高ぶったのに気づいたのか、とてとてと寄っていって大丈夫? と言わんばかりに首を傾げられるものだから、余計に。


「立場、というものからわたくしは逃れられません。長野様への好意に従って結ばれても、身体まで結ばれることはないでしょう。そこには長野様が稀人であることですとか、何の権力もお持ちでないことですとか……わたくしが清らかな身体でなければならないことであるとか、様々な理由で」

「……あんた」

「ですのでご安心ください。この気持ちが恋であったのなら、わたくしは既に失恋しているのですわ」


 だから今ここにわたくしがいるのは本当に個人的な興味を満たすためである部分が大きい。

 図らずとも、学友と笑い合う経験は出来てしまったし、恋らしきものも経験することができた。


「張り合い、無いわね。だったらなんで智美はまだここに居るの? 諦めてるなら、届かないと決めているなら、無駄でしかないじゃない」

「厳しいお言葉ですのね」

「不思議で疑問なのよ。わたしなら無理だもの」


 素直な方です。

 だからこそ好ましくも思えるのでしょうが、このあたりは猫を被ってようがいまいが関係ないのですね。


「一つ、決めていることがありまして」

「決めていること?」

「動物を、大事にしようと」

「う、ん?」


 今度はわたくしに近寄って来たカイルさんの頭をしゃがんで撫でる。

 先ほどまで鳴様へ向けていた大丈夫? という目に対して、大丈夫だよと応えるように。


「昔、わたくしは猫を飼っておりましたの」

「ペルシャ?」

「何故ペルシャが出てきたのかは気にしないと致しますわ。ともあれ、猫を飼っていたことがあって、逃げられた経験があるのです」

「……そう」


 正確には逃げられたのか、帰って来られなくなったのかわからないけれど。

 とても大事にしていたつもりで、とても愛していたつもりだった猫がいた。


「わたくしの何が悪かったのかはわかりません。わたくしの前から姿を消した、それが事実です。でも……何故でしょう? いつも傍で見守られている、あるいは監視されているかのような気がするのですよ」

「見守られてはわからないでもないけど、監視って」

「願望なのかもしれませんね。何らかの理由があって姿を現せないだけのか、それともわたくしがあの子に無自覚ながらも悪いことをしてしまい、その二の鉄を踏まないか。どちらであっても遠くない何処かで生きている。そんな気がして見られている。だからあの子に怒られないように振舞おうと決めているのです」


 我ながらおかしい感覚だと思う。

 どうせならもっと必死にあの子のことを探すべきだと今でも思うのに。

 どうしてか、今はそう望まれていないような気がして。


「……戻ってきた時、迎えられる自分でいるように、ね」

「……ふふ。そう、その通りですわ。流石鳴様、よくお分かりになっておられます」


 そうとも、だからわたくしはこの都合の良いきっかけを多くの意味で利用しているに過ぎないのだ。

 好意であっても恋かどうかを定めなくていいままに恋する乙女を演じられて、欲を言えば猫カフェが良かったけれど、動物と触れ合える機会を持てるこの環境を。


「嫌ってくださっても、構いませんわよ?」


 ずる賢い、というのか。少なくともずるいことをしている自覚はある。

 でも、学生であっても社会に立場を背負って参加している人間であるわたくしには、お題目を並べないと動けない現実がある。


 そしてその現実が、まだ社会を知らない人間にとっては汚く映ることだって知っている。

 だから。


「冗談」

「え?」


 やけに明るい声に目を向ければ、そこにはにんまりと笑った鳴様がいて。


「むしろ気に入って好きになったわよ。わたし、そういうのはキライじゃないわ」

「さ、左様で、御座いますか。でしたら、その、安心致しました? ありがとう、御座います?」


 何がそんなに嬉しいのか。もしかしてライバル足りえない存在であることがわかって嬉しいとか? い、いや流石にそんな程度が低い方ではないとわかっておりますが。


「わたしも、ね?」

「は、はい」


 動揺するわたくしの隣まで来て、一緒にカイルさんを撫でながら。


「この気持ちが、恋なのかとかなんてわかんないの」

「は、はぁ」

「でもね? アイツにね? 負けたくないのよ、なんか。恥ずかしい自分でいたくないの。そうとしか言えないの」


 い、いや、それが恋というものなのではないでしょうか?

 なんて、すっぱり言える雰囲気でもなく。


「だから、智美を責めたりとか、バカにしたりする権利なんてない。わたしも、今を利用しているって面がある。多くのお題目が、根っこの自覚を許さないし、許されちゃダメだって思っている部分だってあるから」


 少し抽象的な話ではありますが、なんとなく理解できるような気がします。


「お互い、さ」

「は、はい」

「ゆっくり、確かめようよ。多分、このディアパピーズってそう言うことが許される場所なんだと思う。素直になれるって言うか、自分の心を確かめられるって言うか。そんな素敵な場所なのよ。お客さんも来ないから、なおさら自分とゆっくり向き合えるわ」

「くす。経営に携わる者としては、この店の経営が心配になりますが、ええ、そうですわね」


 多分、鳴様も戸惑っているのでしょう。

 ディアパピーズを知るまでの鳴様であれば、自分と向き合うなんてことはしなかったのかも知れない。

 あるいは、知ろうとしなかったと言えるのかも知れませんが。


「その先で、自分の心を確かめ終わった後、もしも智美がライバルだったのなら、負けるつもりはないって今言っておくわね」

「……ええ、そうですわね。望むところですと、お応えしておきますわ」


 あぁ、わたくしは良い友人に恵まれた。


「願わくば……」

「うん?」


 願わくば、本当に心の底から願って良いのなら。


「いえ、何も」

「そ」


 ロジータの代表取締役、相原智美が、それを許してくれますように。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?