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「高尾 高美」①

 稀人は生きにくい。

 それはこの僕、高尾高美にとっても逃れられない事実だ。


「――クソッ!! てめぇだったのかよ! 騙されたっ!!」

「は、はは。僕は一言も自分のことを男と言った覚えはないよ?」


 張られた頬を撫でながら、突き飛ばしてきた男に笑みを浮かべる。


「く、クソッ! クソクソッ!! 覚えてやがれっ!!」

「あぁ、そうだね、覚えていたら、また遊んであげても良いからね」


 振りかぶられた男の腕は、僕の笑みを前に振り下ろされた。

 そうだとも、僕を殴るなんてとんでもない話だ。

 キレイなものを汚したいという欲望に理解は及ぶところだが、キレイなものはそのままにしておくべきだろう?


「ふぅ」


 ベッドから逃げ出していった男の背中を見送って、立ち上がる。

 忘れ去られていった男のサイフを検めればしわくちゃになった5千円札が一枚だけ。

 なるほど、どうやら相当自信があったらしい。満足させてもらえたのならタダでいいとは言ったけども、ね。


「これじゃあ欲求不満というものだ、困ったものだねぇ……ん?」


 落とし物として届ける交番は何処にあったかと頭に地図を思い浮かべながら顔をあげれば、こういう場所にはよくある大きな鏡があって。


「まったくもって、美しさとは罪なものだね」


 困ったように笑う、美しい僕がいた。


 本当に、罪なことだと思う。

 テレビか何かで可哀想は可愛いという至言を聞いた覚えがあるけれど、実のところは違う。


「可愛いから、いや、美しいから可哀想なんだ」


 優れた容姿を持っていなければ可哀想なことに出会うこともない。

 とは断言しすぎかもしれないが、実際何かしらの悪質なトリガーは他者の秀でた何かによって引かれるものだ。


 貧乏人の家へ泥棒に入ろうとは思わないだろう? つまりはそういうこと。


 理性や良心というブレーキを無視してしまうほどに美しいから。

 美しい僕だから、男だろうが女だろうが汚したいと本能に従って動いてしまうんだ。


「なんて、ね」


 外見を利用して小悪党に身をやつす自分を思えばなんとも言えないものだ。

 生きるために必要だから、そんな理由があるのは確かだが、武士は食わねど高楊枝という言葉があるのも事実。

 身も心も美しくありたいと願うのならば、僕も言葉通り楊枝を咥えているべきなんだろう。


「割り切るべきなんだろう。そうした方が楽になるんだよ、僕」


 この世界で、この社会で。

 そんな気高い理想を体現できる稀人が何処にいると言うのか。

 力があれば、とは思う。

 それでも力を身に着ける機会さえ奪われてしまったというのならどうしようもない。


「……はぁ。今日は、ここで寝てしまおう。また、明日、だね」


 いまいちだった日はどうにも気分が落ち込んでしまう。

 さっさと眠って、昇った太陽を見ればまた気分を変えられるだろうことを期待して、やけに反発力のあるベッドへと身を沈めた。




 そうだ、この世界は稀人にとって生きにくいものだ。

 誰に教えてもらうわけでもない、ただ生きにくいと思い知る機会だけが与えられる。


 ――お前がそんなだから悪いんだ。


 僕の場合、それを教えてくれたのは父親と言われる存在だった。

 まだ少年と呼ばれていい頃に、美しいことは罪であると同時に、稀人には守護者となってくれる家族は存在しないんだとも教えてくれた。


 だから、かも知れない。


「覚えとけって、言ったよなぁ?」

「……はは、そうだね。もちろん、大歓迎だよ? あぁ、でも。顔は止めてくれると嬉しいね」


 無意識にでも人を騙すという、相手がいてこそ成り立つ悪事を行っていたのは。


「じゃ、遠慮なく――なぁっ!!」

「ぐ……」


 お腹を狙った拳を合気で合わせることもできた。

 でも、敢えて甘んじる。


「はは! そうだ、わかってたんならなぁ! てめぇが男だってんなら遠慮はいらねぇってもんだ!」

「ぐ、ぅ。は、はは。別に、男でも女でも、遠慮なんかいらないというもの、だよ」

「うるせぇっ!!」

「ぐっ!?」


 痛い、とても、痛い。

 それ以上に心地が良いと感じるのはもうとっくに僕の頭がおかしくなってしまっているからなんだろう。

 暴力であっても、触れられている。すなわち、繋がっている。


 あぁ、そうだ、そうだとも。

 あえてもクソもない。もっともっと上手く誰かを騙すことなんて容易だ。

 容易だと言うのに、足取りがつかめるように、隙を穿てるようにと、報復においでよと誘っているのは。


 繋がりを求めている心を、否定できないからだ。


「おらぁっ!!」


 こんなモノ、であっても繋がりだ。

 僕はここに居る、居るんだと痛みが教えてくれている。


「は、はは……」

「なにがおかしいんだってんだよ!!」


 おかしいさ、とても可笑しい。

 他にこんなことで生の実感を得ようとする存在が何処にいるというんだい?

 僕だけとは言わないさ、それでも間違いなく歪であり異端であることはわかる。


「ち……」

「も、う。終わり、かい?」


 もっともっと痛めつけて欲しい、そして生を実感して欲しい。

 僕を愚かだと責めて欲しい、痛めつけて従えて、従属させて欲しい。


 そうじゃ、ないと。


「ほ、ら。まだまだ僕は大丈夫だよ? 稀人は頑丈だ、これだけボロボロに見えても明日には何でもなかったようにまた美しくなる。遠慮、することは、ないんだよ?」


 何をするかわからない。

 何を望むかわからない。


 怖いんだよ、キミたちが僕に向ける怯えた視線の源泉は僕の心にもある。

 僕は、僕が怖い。

 生を実感するため小悪党することに飽きたら、次は何を望んでしまうのか。


「さぁっ! もっと僕を痛めつけてくれたまえよっ! キミが満足するまで、いや! 満足してももっともっと! 飽きることない、飽きられるはずもない永遠の饗宴を! 僕に教えてくれたまえ!!」


 止めて欲しい、とは思わない。

 だから満足させて欲しい、これ以上何を求めずとも良いのだと。


「こ、この――」

「さぁっ! さぁさぁっ!!」

「イカレやろうがぁっ!!」


 都合よく落ちていた棒切れを振りかぶって、ヤってる側のくせにヤられているような表情で。


「――おまわりさんっ!! こっちです!!」

「っ!?」


 何処からかそんな声が聞こえた瞬間に、止めてくれたと救われたような表情をして。


「ちっ!」

「ま、待ちたまえよっ!? あづっ……」


 さっさと何処かへと姿を消していってしまった。


 ……あぁ。


「ちょっと! 大丈夫!?」

「……まったく、無粋な真似を、してくれたもの、だねぇ……」


 大丈夫だと自分で言ったくせに、結構限界だったんだね。

 目の前が真っ暗になって、倒れると思った瞬間に。


「うわっ!?」


 柔らかくて温かい何かに、包まれた。




「今思ってもミスったなって思ってるわ」

「自業自得だと思うべきだろうね。責任を取ってくれたまえよ、素子君」


 助けてくれた、とは言わない。

 助けられたと、皮肉を込めて言うべきだろう。


 ただ、こうしてジト目を向けてくれる長野素子と言う女性は、どうにも悪くない人間だった。


「助けた責任をと言われてたのなら素直に頷いていたんだろうけどさぁ。何よ、お楽しみを邪魔したなら、新しい楽しみを与えるべきだって」

「自覚、無自覚を問わず稀人を助けるという意味は重いということさ」

「わけわかんないっての」


 僕が求めている形とは別に、彼女は責任感の強い女性で、稀人だからという考えをあまり持っていないのか見せないのか。

 とにかく、話をしても居心地の悪くならない相手だった。


「ターニングポイントを迎えていたのだと理解したまえよ。最低限稀人なんかを助けたのなら、懐かれるくらいは覚悟しておくべきだと思うがね」

「何よ、懐くならもう少しわかりやすく尻尾振ってくれてもいいんじゃない?」

「これ以上ないほどわかりやすくしているつもりなんだけれどもね」

「わかんないっての」


 素子君と出会ったことで痛感したが、どうにも僕は親愛の情というものを見せるのが下手らしい。

 元より歪んでいると自認している僕だ、伝えられたとしてもそのまま受け取ってもらえるかどうかに疑問は残るが、それはいい。


「なら、そうだね。何か困っていることはないかい? 他ならぬキミになら助力を惜しまないよ」

「急にぶっ込んでくるわね? まったく、そうね、私が悪かったわよ。アンタはどうやら私に感謝しているらしいってのは認めるわ」


 彼女を付け回して話すのはこれで何度目かは忘れたが、ようやく最低限を認めてもらえたらしい。


「なら、そうね」

「うん、何でも言ってくれたまえよ」


 助けられたから、というわけではない。

 今もなおお楽しみのところを邪魔されたという考えはある。

 あるが、それ以上に付け回して、会話して、彼女のことを気に入ったから。

 だからあの時のことを言い訳に、何とかしてこの縁を繋げ続けようとしているに過ぎない。


「稀人について、教えてよ」

「稀人に、ついてかい?」

「ええ。あの時あの場で何があったのか、あるいはあの男と何があってああなったのかは別にいい。けど、あれは、えぇと……アンタにとっての日常なの? 日常だと言うのなら――」

「――どうしてそんなことが日常になっているか、かな?」


 言葉を遮って言えば素子君は小さく頷いた。


 どうしてそんなことに興味があるのかと聞くべきだろうかと悩む。

 だが、単なる興味ではないと思える光が素子君の目には宿っていて。


「稀人は、この世界では生きにくい」

「生きにくい?」

「素子君、キミは実の父親や母親から性的に狙われたことはあるかい?」

「は、はぁっ!?」


 突拍子もないことを聞いてしまっただろうか。

 あぁそうだ、この常識の違いこそが生きにくさを産んでいるのだ。


「僕は、ずっと狙われていたよ。母は生まれた僕が自分より美しくなっていくのに見かねて失踪し、父はいなくなった母親の代わりを僕に求めた。それが異常だと気づいたのは、それこそ父親が死んで少し経ってからだ」


 幸いだったのだろう、身元保証人となってくれる人がいた。

 感謝を伝えるために僕は父親にしてあげていたことと同じことをしようとした。


 その結果、身元保証人の話は無くなった。


「今、僕の言葉を聞いてキミは驚いた。けど、僕はこういった種の話を他の稀人から聞いても何も思わないだろう。そういうこともあるよねと納得することはあるだろうがね」

「……それ、が」

「そうだ、僕たち稀人の常識だ。こんな常識を培ってきた稀人が、どうして人間社会で人間と同じように生きていける? 歪みを抱えているのは僕だけじゃない、皆なんだ。致命的であろうがなかろうが、必ずキミたち人間とは違うものを抱えている」


 まさしく絶句してしまった素子君に僅かながら申し訳ない気持ちが湧き起こる。

 彼女にとっての稀人観であったり、常識に異物を差し込もうとしている自覚はあるから。

 でも、珍しいこともあるものだと思う。

 繋がりを求めていた僕が、こんな聞かせたら繋がりが切れてしまうようなことを口にするなんてね。


「……すまないね、だからこれでキミを付け回すのは最後にしようと思う。だから重々気を付けて欲しい、稀人に気安く、じゃあないね。稀人と関わるには覚悟が必要だ、人間らしい生活を送りたいのならなおさら、ね」


 立ち上がって、歩きだす。

 僕の背中を見送る素子君はどんな顔をしているだろうか。

 振り向きたい気持ちはある、けれど。


「これで、いい」


 温かいものは、怖い。

 温かいと思ったものが、実は冷たかったと知る時は、何より怖い。

 だからこれは僕なりの彼女に対するお礼だ。お礼だから、後ろ髪引かれる何かを振り切れる。




 そう、だったはずなのに。


「――探したわよ」

「も、とこ、君?」


 久しぶりに会った、素子君は。


「稀人のこと、教えなさい」

「……は、はは」


 傷だらけで小汚い小さな稀人を抱えて、僕をして負けたと思ってしまうほどに、美しく覚悟が決まった目をしていたんだ。

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