「――ったく、クローズドの看板が読めねぇのかてめぇはよ」
「す、すみません。その、シズクさんがこっちにいるって聞いて」
昼間、というには少し遅くなったころ。
久しぶりに思えるのはなんでだろうか、五反田にあるシープヘッドへとやって来た。
「あぁン? キンの客かよったく……アイツはまだ来てねぇよ。もちっとしたら来るだろうが、客でもねぇのに勝手に人の店を待ち合わせ場所にしてんじゃネェよ」
「うぐ、す、すみません」
言葉通り他の客がいない店内には当然ながらオーナーである海道銀さんしかいない。
クラブってヤツがいまいちどういう場所なのかもわからないし、海藤さんの強面もあって中々慣れたもんじゃないや。
「あーったく、勝手にビビってんじゃねぇ。しゃあねぇなぁ……オラッ! ちょっと来やがれ!」
「えあっ!? は、はいっ!」
どうにも相当情けない顔をしていらしい、呆れたような顔しながらバースペースへと連れてこられて。
「いくつだ?」
「え?」
「年だよ、年齢!」
「じゅ、じゅうはちです!?」
一体何されるんだ俺は。なんて疑問はすぐに解決された。
「テレビでしか見た事なかったです」
「あぁン? シェイカーか?」
「はい。カクテル、ですか? 作るヤツですよね。ほんとにそうやって作るんですね」
「そうかよ」
酒の瓶みたいなのから匂ってくるのは甘い香りだけで、アルコールの匂いはしない。
手慣れた感じで海藤さんが何種類かの液体をシェイカーに入れていって。
「おー」
思わず声が出てしまった、シャカシャカと振っている姿が格好いい。
「ほらよ、オゴってやる。アルコールは入れてねぇから安心しやがれ、モクテルつってな? ミックスジュースみてぇなもんだ」
「あ、ありがとうございます!」
実のところ匂いの時点で美味しいんだろうなって思ってたし、飲みたいなって思ってた。
一口飲んでみれば美味しそうだと思っていた予感は正しくて。
「これ――」
「気に入ったか? プリモアモーレつってな、ザクロがメインのモクテルだよ」
何処となく嬉しそうに海藤さんが教えてくれた。
ざくろって、食べたことないけどこんな感じの味なのかな? 今度見かけたら買ってみよう。
「えぇと、その。ありがとうございます、凄く美味しいです」
「なら何よりだ。次からはオレ様のクラブに来てる時はさっきみてぇな顔すんじゃねぇぞ」
……なんと、言うか。
不器用、いや、乱暴な優しさとでも言うのだろうか。
クラブの中は独特な匂いがあって、気づくのが遅かったけど、海藤さんからはイヤな匂いがしない。
きっと、悪い人じゃないどころか、良い人なんだろう。でも。
「だから、そのツラすんなって言ってんだよ」
「すみ、ません。ただ、その」
「どうして稀人なんざに優しくすんのかって?」
「うぐ」
どうやらお見通しだったらしい。
俺に限らず、だとは思うけれど。人間から親切にされたり優しくされたりした時は、何を考えてるんだと疑ってしまうから。
「まァ……ご機嫌取りみてぇなもんだよ」
「ご機嫌取り?」
「キンを訪ねて来るヤツは人間稀人問わず多い。多いが、どいつもこいつも二回目はねぇ。にもかかわらずテメェは二回目だ、オレ様はそれが嬉しいんだよ」
ちょっとよくわからない。
二回目がないってどういう意味だ?
「アイツが何の商売をしてんのかなんざ知らねぇし興味もねぇ。だが、オレ様にとってキンは妹みてぇなもんだからな。アイツが根暗のぼっちじゃねぇってのが嬉しいんだよ、って言わせんなボケ」
「そう、ですか。いや、その、ごめんな、さい?」
いまいち掴めないのは確かだが、海藤さんはシズクさんのことを家族扱いしているらしい。
そう聞けば納得できるというものだ、俺も素子の友達になら全力でおもてなしする所存で覚悟だからな。
「まぁ、なんだ。クラブが苦手かオレ様が苦手かはわからねぇが――」
「いえ、たった今海藤さんのことが好きになりました。親近感が凄いです」
「お、おう? モクテル一杯で随分ちょろいヤツだなテメェは……まぁいいがよ、ともかくアイツと仲良くしてやってくれや」
仲良くどころか、どういう関係になれるかもわからないが強く頷いておく。
家族を大事にする人に悪い人はいない、これは俺の中にある心理だからな。
「しっかし、キンのヤツおっせぇな。いつもだったらもうとっくに来てんだがな」
よくよく見れば俺にちょっと申し訳なさそうな表情をしてる。
もうこれは疑うまでもないな、海藤さんはめちゃくちゃイイ人だ。
「いえ、大丈夫ですよ。時間はありますし、海藤さんも余裕があるなら――」
もう少し話したい。
……そう思って、たんだけどな。
「お、おい?」
「今度は海藤さんのお客としてきます。だから、申し訳ないんですが包帯とか用意してもらって良いですか?」
「は? 包帯? んなのなんで――キンッ!?」
後ろから聞こえたドアが開く音と、外から入ってくる空気の中に混じっていた血の匂い。
「や、はは。ごめん、ちょっと、ドジった」
入って来たのは匂い通り、怪我をしたシズクさんだった。
「心配、させんじゃねぇよ……」
「この程度で心配する、ギンが悪い」
見た目という意味では結構な重傷ぶりではあるけれど、稀人からすればシズクさんの言う通り。
けど、海藤さんから本気で心配した、安心したって匂いが漂ってきて、もうどこまでこの人はいい人なんだって株が上がり続けてしまうよね。
「はぁ。ま、ンな口叩けるなら一安心ってもんか。ワリィな、ってええと」
「長野仁です」
「仁、か。ならてめぇはカクだ、カク。わぁったな?」
「はい? え、あ、ちょっと海藤さん?」
カクって。いや俺には仁っていう名前があるんだけどもと、立ち上がった海藤さんの背中にちょっと待ったと声をあげれば。
「ギンだ、ギンで良い。オレ様には稀人のフツーってのはわかんねぇ、だから任せたぜ、カク」
「え、あ……わかり、ました」
「諦める。アイツ、問答無用」
クラブの中に個室なんてあるのが普通なのかわからないけれど。
ベッドとタンス、それしかない殺風景な部屋から海藤さん、もといギンさんは出て行った。
「ふぅ……まぁ、うん、お待たせ」
「お待たせって。いや、もう何が何やら。これでも俺だって心配してるんですよ?」
すぐに治るとはいえど、やっぱり痛いは痛いだろう。
シズクさんは大きく息を吐いた後、ベッドに横になって力を抜いた。
「うん? 今なら、すきほーだいできる、よ?」
「好き放題って。はぁ、生憎そう言う趣味はないですよ」
シズクさんらしいと言うべきなのか、らしいと言えるほど付き合いがあるわけじゃないんだけども多分この人の地というか素はこんな感じなんだろうな。
「残念」
「襲って欲しかったんです?」
「興味あるから」
「ちょっとヒきますね」
見た目幼い女の子で更に怪我してる相手を襲うって絵面やばすぎるだろ。
最近会う人会う人ちょっと濃すぎやしないか? あぁ、素子が恋しい……って、アイツも大概濃いなぐぬぬ。
「それよりも、この怪我はどうしたんです? ドジったって言ってましたけど」
「今日、仁が来るって占いで知ってた。来る理由も。だから、先に確かめてた」
「確かめてた?」
「凶兆」
凶兆? そう言えば初音さんが言ってたな。
えぇと、つまり? シズクさんは今日俺が来るってわかったから来る前に凶兆が何なのかを調査しようとしていたってことか?
それでその結果、いわくところのドジして怪我をした、と。
「……いや、それこそ俺を使うとかしてくださいよ。俺が上手くできるかどうかは別に、わざわざ危ない橋を自分で渡る必要ないでしょうに」
「なんで?」
「忘れました? 俺、シズクさんには借りがあるんですよ?」
そう言ってみれば忘れてたと言ったように首を傾げられた。
タダより高いものはないとか言ってたくせに、抜けてるんだなぁ。
「それで使ったら、今から使えない」
「っ……」
前言撤回、しっかり取り立てるためにってことね。
「コレ、見る」
「……薬?」
だぼついたパーカーのポケットから取り出されたのは、ひどく嫌な匂いのする薬だった。
「服用すると、強くなる」
「強く?」
「人間、辞められる、くらい」
……アブナイお薬止めようねっていうキャッチコピーの話、じゃあないよな。
「裏で、最近になって流れてる違法ドラッグ。大本、向田組の下部組織。そこまで調べられたけど、ドジった」
なるほど、ね。
「より詳しい調査を、と」
「そう。黒雨会として仁、使えない。だから」
「借りを返せと」
「ん」
ぷすぷすと、心の中で燻ぶっていたモノに火がついた感触がある。
こう言っちゃなんだが都合が良い。
人間に稀人の能力を付与する技術だとか、真紀奈のように動物を人間モドキにする技術とか。
あぁ、そうだとも。
「喜んで、引き受けます」
「喜ぶんだ」
「借りっぱなしは落ち着かなくて」
「……ふふ。そういう、ことにしておく」
待っていた。
ようやく、ようやくだ。
濃くか薄くかはわからない。
それでも、それぞれが繋がっている可能性は高いだろう。
しかも向田組の下部組織がこの怪しい薬を捌いているって話なら、そこから向田組にも迫られるかもしれない。
なら、つまりは黒い翼の男の情報も、掴めるかもしれないということだ。
……やってやる。
追跡するのは大得意だ、狼のしつこさを、舐めるなよ。
「……あ、今更ですけど。怪我、大丈夫ですよね?」
「温めて?」
「どうやって?」
「人肌。ヘビは、体温調整、苦手」
かもーんと両腕をベッドから無表情に伸ばすシズクさんにちょっと毒気を抜かれたけれど。
「依頼終わってまだしんどそうなら、お礼にということで」
「……いけず」
動こう。