誘拐未遂事件から初めての日曜日を迎えた。
なんだかんだで忘れていた、と言えば真紀奈に失礼な話だが。
あの日、ディアパピーズについたと同時に彼女から電話があって無事を教えてくれた。
同時に、色々なことは今日に話そうと言うことになったわけだが。
「お手柄でした、仁様。流石わたくしの番犬、いえ、番狼と言うべきでしょうか」
「いつの間に俺は初音さんのモノになったのでしょう?」
まず先にと初音さんから顔を出すように言われてしまって、黒雨会アジトにいる。
誘拐犯の二人は黒雨会に引き取ってもらった。
というよりはここしか頼る所がなかったというべきだろうか。
先生にとも一瞬考えたけれども、結局先生も黒雨会に引き渡すことになるだろうし、こっちでよかったはず。
けど、お手柄、ねぇ?
「わかっておりますわ。ですが、先にこちらを」
「……えぇ?」
説明はしてくれるらしいけど、いきなりテーブルの上に札束ドンはやめてほしい。
「今回の仕事料です。どうぞ、お納めくださいな」
「い、や。初音さんから仕事を引き受けた覚えはありませんし、何なら頼ったのは俺ですし」
「お納めくださいな」
「あ、はい」
問答無用というか、遠慮は無用というか。
凄まれたわけでもないのに、初音さんには相変わらず妙な迫力があるよな。
何にしても受け取らなければ話が始まらないと悟って一先ずカバンの中にしまっておく。
正直お手柄とは言われたが、俺はただ状況に流され続けただけだ。
自発的に何か目的をもって動いていたわけじゃないし、何なら鳴たちをエサに誘拐犯をおびき寄せるなんて最初から考えていたわけじゃない。
それでも。
「さて、改めて今回の件はお手柄でした、お疲れさまでしたわ」
そうだと言うのは無粋、というものなのかもしれない。
あるいは、俺の手柄だとして処理したいなんて意志も薄っすらと感じる。
だからこの場では納得しておくしかないのだろう。
「ありがとう、ございます。で、良いんでしょうか?」
「もちろんですわ、タカミより犬猫の誘拐事件がとは聞いておりました。気になることもあったので、本格的に誰かへ調査を依頼しようと考えていたところでしたので」
「気になること、ですか」
どうにも本当に何かしら考えていたらしい。
しかも片眉が少し吊り上がったところを見るに、黒雨会へと喧嘩を売られたと捉えているのだろう。
「シズクの占いに凶兆が出ました。出たと同時に今回の誘拐事件ですから。何かしら裏に繋がるモノがあると睨んでおります」
たかが占いで、と思う気持ちはあるけれど。
「何より主犯かどうかはわかりませんが、実行犯は稀人です。しかも、わたくしが、黒雨会が掴んでいない稀人でしたから」
「黒雨会が知らない稀人の流入ルートがあるってことですか」
怒っているというよりは、プライドみたいなものが傷つけられたってところか。
繋がる先をみれば、何処の誰かは知らないが黒雨会の存在を無視して稀人を手中にしているって事実は喧嘩を売っていると同義なのかもしれないが。
「その通りです。黒い翼の男……いえ、今回は白い翼のようですが、その者に関してはまだ足取りが掴めていません。申し訳ありませんわ、仁様」
「……いえ、あの場で別のことを優先させた俺です。責める資格も、気持ちもありませんよ」
「ありがとうございます。そして、実行犯の二人、ですが」
「あの二人が、どうしました?」
黒い翼の男、らしき人物と背中越しではあるが出会ったことはもう報告している。
ただ、あの時見たのは白い翼だ。声も匂いも同じだと言っているが、果たして同一人物なのかは断言できない。
「一人は猪稀人、これは確かです。確かでしたがもう片割れ……彼は、稀人として言うのなら蜂稀人と言えましょう。尋問の際に、爪を針のように伸ばせることを確認しておりますし、その針で二度刺した相手にアレルギーを発症させる効果を持っていることも確認しています」
蜂稀人だったのか。どうやって確かめたのかは考えないことにして。
そんな能力を持っているのならあの時俺に向かってこなかった理由も頷けるな。
鳴に針を刺して、そう話したのなら確かに俺は身動きが取れなくなっていただろう。
「しかし……」
「しかし?」
「彼は人間、でした」
「……は、い?」
え、えぇと? ちょっと言っている意味がよくわからない。
そんな能力を持っているのなら、そりゃ稀人他ならないって話なんだけど?
「わたくしは稀人かそうではないかを判別する術を持っています。その結果が示したのですよ、彼は人間だと」
「そんっ――い、いや、初音さんを疑うわけじゃない、んですけど、本当に?」
「間違いなく。それに、仁様もおかしいと思ったのではありませんか? 稀人にしては、弱すぎる、と」
「……それは」
猪稀人に対して感じた力強さを、もう一人からは感じなかった。
それは確かだ。あの時どうされようが対処できるって思った理由の一つでもある。
「だからこそお手柄でしたと言ったのです。彼への尋問はまだ続いておりますが、ここまでで判明したことで一つ、今まで考えていなかった可能性が浮上してきたのですから」
「考えていなかった、可能性、ですか?」
なんとなく、だけど。
初音さんが口にしようとしている内容がわかる。
まさか、そんな、あり得ないという気持ちが強いけれども。
「ただの人間へと、人為的に稀人が持つような能力を付与する技術が存在している可能性、ですわ」
「っ……」
あぁ、気づくべきだった。
初音さんが思わず片眉を動かしてしまうほど怒りを感じているのはここだったんだ。
「……ふふ、見事です。成長されましたね、仁様」
「え……?」
複雑な感情にいつの間にか落ちていた顔をあげられたのは、雰囲気と声色が変わった初音さんの声によって。
「わたくし、これでも言葉を選びましたし感情も抑えに抑えていたつもりです。観察眼を養ったのであろうことはもちろん、随分と感情を嗅ぎ分けられるようにもなったのですね」
さっきまでの雰囲気は何処へやら、自分のことのように嬉しいと思ってくれているとわかる、あまりにも綺麗な初音さんの笑顔があって。
……あぁ、いや、そうだ。
「ありがとうございます。そう、かもしれません。だから今、どれだけ初音さんが怒っている……いや、激怒しているのかも、わかります」
「……あらあら、うふふ」
正直、ぞっとしている。
背中に氷柱でも突っ込まれたみたいな感覚だ、血の気が引くってことのことか。
「その通りですわ、仁様」
「……」
意図的にか、抑えきれずにか。
なるほど蜘蛛稀人らしいと思うべきだろう、上犬歯両方が鋭く長く伸びて牙と言える形になっている。
「この件は既にタカミへ調査を依頼しています。じき、仁様へもタカミを通して依頼が渡ることでしょう。ですので、今は多くは語りません」
「でも、この感情は知っておいてほしいと」
脅しとも言えるんだろう、この件だけは絶対に捨て置かないという熱量と覚悟が伝わってくる。
ちゃんと知りましたからと頷けば初音さんは、一瞬だけきょとんとした表情を浮かべた後に。
「……あぁ、やはり、仁様は素晴らしい。欲しい……いつでも……えぇ、そう、いつでも言ってくださいませ? わたくしと共に生きたいと思って下されば、直ぐに……欲しい、本当に、あなたが、仁様が、欲しいです」
蕩けた表情で、ゆるゆると俺の頬へと手を伸ばし触れてきた。
ものすごく、熱い手だ。それこそ、溶かされてしまうかもと思ってしまうほどに。
うっすらと吹きかかる吐息は甘く、俺を見つめてきた目は随分と妖しい。
もしかしなくても、ここまで誰かに欲されるっていうのは、初めてだ。
「忘れられませんよ、これだけの美人に誘われたんですから」
添えられた手を握って、頬から離す。
生憎と、まだまだ頷けない理由が多くあって、頷きたいと思える理由がないから。
「うふ、うふふふふ。ありがとう、ございます。ですが……いけずですと、申し上げておきますね」
ひとまずは、飲まれなかった俺を褒めておくことにしよう。
「ぷ、はぁ……」
黒雨会のアジトから外に出て、腹の中に溜まっていたナニかを大きく吐く。
ゲロったわけじゃないけれど、随分と重たいものが詰め込まれていたらしく、幾分かすっきりした。
「やっぱあの人、怖いわ」
心底、そう思う。
特に最後迫って来られたときなんか、興奮やら恐怖やら他にもなんやらで情緒がぐちゃぐちゃにされちまったよ。マジで自分を褒めてやりたい、素子って大切な人が居なかったらどうなっていたことやら。
「人為的に稀人みたいな能力を付与する技術、かぁ」
あるいはそれ以上に話の内容で気になることがあったおかげだろう。
本当に、そんな技術があるのだろうか? むしろ、あっていいのだろうかと。
「キナ臭くなり始めたな……なるほど凶兆。シズクさんの占いとやらがこの感じを示していたって言うのなら、随分と的中する占いだ」
一度会って話を聞いてみようか。
初音さんに聞いた話じゃ昼間はあのシープヘッド、だったか? あのクラブにいるらしいし。
「いや、とりあえず先に真紀奈と会おう。あの後の話も聞きたいし」
黒い翼の男に繋がるかもしれない情報だ、これ以上後回しになんてしたくない。
マレビトムラへ、急ごう。