「じーんっ!」
「っと、奇遇……ってわけでもないか」
出雲鳴たちの安全を確保すべく裏路地に入れば、真紀奈がそこにいた。
「そこはもうちょっと驚くところにゃしよ」
「狼の鼻の良さを舐められちゃ困るな」
近くにいるってことはわかっていたし、ある意味だからこそあの場を離れていいと思えたんだけども。
「次からはもうちょっと考えとくにゃしよ。その上で、にゃしが」
「あぁ。手伝ってくれるって言ってたしな、甘えさせてもらいたい」
「話が早いヤツは好きにゃし」
表情が初めて会ったときと同じだったし、なんなら真紀奈が纏っている匂いが少し重いものになっている。
いやって程に、とまでは言わないけれどこれが裏社会に生きる真紀奈の顔であり雰囲気なのだろう。
場慣れしているというか、特別なことじゃないっていう順応を強く感じる。もちろん、調べるべき情報を集めるために俺や出雲鳴でも、利用できるものは利用する、という意味で。
「基本的に俺は安全を確保する」
「にゃらあちきは釣られるヤツがいるかを警戒するにゃし。仁は前と後ろどっちがいいにゃ?」
「ディアパピーズまでの道のりに詳しいのは俺だろう。だったら先に行くよ」
「りょーかいにゃ。異変があったときの合図は……コレでいいにゃし?」
そう言ってホットパンツのポケットから鈴を取り出して小さく鳴らしてくれるが、なんだろう。
「独特な音色だな? 覚えやすいから助かるけど」
「あちきの力で作った鈴にゃしよ。詳しくはきぎょー秘密にゃ。鈴を二回鳴らせばこっちに来てほしい、三回ならそっちに合流する。これでどうにゃ?」
鈴自体を作ったのか、作った鈴を加工したのか。
どちらでも構わないが、違和感があるほど透き通って伝わってくる。
これなら、大丈夫だと頷いておく。
「それにしても、だけどさ」
「なんで手伝うのか、にゃしか? 話してもいいにゃしが、今はやることがあるにゃしよ」
「ん、そうだな。わかった、ありがとう」
最後にいつもの真紀奈らしからぬ格好いい笑みを向けてくれた後、音もなく姿を消していった。
人それぞれというべきか、稀人それぞれというべきか。
やっぱり裏社会、闇仕事に身を置く奴らの背景は複雑なんだろう、そんな風に真紀奈を見ると思う。
先生にしてもそうだけど、別人のような雰囲気なってしまうこともそうだ。
「俺は、まだまだ、なんだろうな」
裏社会に生きるモノとしては未熟も未熟、そんなことは理解しているつもりだけど。
黒雨会の人たち、先生や真紀奈といった壁はずっとずっと高いと感じてしまう。
「どういう位置、っていうのかな? 裏社会でどれくらい有名なんだろ」
万が一全然名前が通ってないなんて言われたらちょっと挫けてしまいそうだよ。
「いや、そんなこと考えてる場合でもねぇな」
複雑な感情を誤魔化すために物陰から覗いた出雲鳴たちは。
「――ったく、呑気な顔しちゃってまぁ」
実に楽しそうだった。
「ふ、ぅ」
出雲鳴の通う学園からディアパピーズまでの道のりは人間なら一時間かからない程度の距離だ。
今は犬の散歩もしながらだし、一時間を超えるくらいと見積もるべきだろう。
出雲鳴が居た倉庫に張り込みしていた時に実感したけど、警戒しながら待機するっていうのは思った以上に体力が削られる。
今回はというより今回も、だが。相手の像っていうのが割れていない現状、警戒しなければならないことが多いっていうのもそうだ。
「っ……」
裏路地へと不意に入ってくる人間を警戒し、出雲鳴たちにふらりと近寄る人間が現れたのなら足に力を込めて。
流石に野良動物やペットを攫うってのが目的なら、人間か稀人を想定するべきだろうが、少し警戒しすぎているのか、物音一つに気を取られてしまう。
「進歩してねぇなぁ、俺ってやつは」
自嘲してしまうが、やっぱりこれは稀人ならではの苦労とでもいうべきものだろう。
優れていることが必ずしもいいものばかりを持ってくるわけではない、そういうことだ。
けど、この感覚を意識的に拡張したり、絞ることができたのなら?
「よし……」
新選組だ三段突きだとばかりに気を取られていたが、これも伸ばすべき力に変わりはない。
ぐっとまずは意識を耳に集中させて、凝縮させたものを濃度に変わりがないまま広げ――
「うるさっ!?」
――ようとした瞬間、周辺の音量が急に跳ね上がった。
めちゃくちゃ耳が痛い、どころか頭がぐわんぐわんする。
「う、ぐ……こ、これ、たぶん正解の一つなんだろうけど、あ゛ー……」
これはキツイ。
音でこれなら匂いもこりゃ同じ轍を踏むことになるな。
っと、出雲鳴たちは――うん、無事だな、変わりない。
「やっぱ、知っているものを辿るって方向のほうが良いんだろうな、コレ」
知っている匂いを多くの中から探り当てる、とか。
知っている音や声を聞き取る、とか。そういう面には強みを及ぼせるだろうけど未知から引き当てるなんてのは難しそうだ。
じゃあ結局、俺の能力でこういった尾行だなんだっていう場面で活かせるものは少ないのだろう。
先手を打つことに弱みがあるということでもある。仮に攫われた出雲鳴たちを追跡するだなんだなら自信はあるが、攫われるなって話である。
「ボディガードにはつくづく向いてないんだろう、俺ってやつは」
稀人の戦いはパズルのようなもの、ってのは先生の話だけど。
多分能力という観点から見れば生活というか、社会の歯車としてもそうなんだろう。
人間にできることは稀人も学習すればできる、問題は学習する機会を簡単に手にできないという部分だがそれは置いておいて。
「出雲鳴が唱える稀人の社会進出の形ってのは正しいんだろうな」
仮に人間と同等の教育を受けられたのなら、稀人は人間よりも優位な位置からスタートできる。
例えば工事現場での仕事なんかはわかりやすい。おおよそどんな稀人であっても単純な腕力は人間より強いんだから、優先的に雇われるのは自然の流れだ。
逆に見ればそれ以上のものを人間は有していなければ見向きされないということだ。
だからこそある意味、稀人に人間と同じ環境を与えない今というのは、感情を抜きにすれば上手く共存できる形の一つではあるのだろう。
「今の環境を変えず、社会の形を変える。うーん、ちょっと出雲鳴を見直してしまった」
上から目線にもほどがあるけれど、俺と同い年でそこまで考えられるってのは凄いことだろう。
あるいは、人間だからこそそういった考え方が出来るのかもしれない。
自分たち人間という種を今の形で保存しつつ他種を迎え入れようとする考え方は。
「まぁ、稀人と人間っていう括りを完全に切り離す考えを強めることにはなるんだろうけど」
どうにも社会ってやつは難しい。
俺みたいな学のないヤツが知ったかぶって考えても穴があれば抜けもある。
小難しいことを考えるくらいなら如何に早く素子の目を覚ますことができるかって考えるべきだと思うし、考えたいとも思う。
「けど……あぁいうのを、見るとなぁ」
出雲鳴が友人たちと笑いながらカイル君たちの散歩をしている光景を見れば、思わず頬が緩んでしまう。
カイル君たちは出雲鳴たちをエスコートしている気になっていつになく張り切っているみたいだし。
「人間と犬、ああいう形とは言わないけれど。人間と稀人も、隣り合うことができたのなら、なんてな」
あり得ないと思いたくない夢であり理想なんだろう。
生きにくい世の中ではあるけれど、ああしてプラスの感情を向け合える社会が訪れたのなら、それはきっと幸福なことで、俺が素子と笑いあって生きていけるという願いの後押しとなってくれる。
「
驕りではあるが、そうできる自分になりたいとは思う。
その第一歩としてが、この影からのなんちゃって護衛だってんだから何とも言えないが。
「……ん? 二回、か。何かあったか?」
そんなことを考えていれば教えてもらった鈴の音色が二回耳に届いた。
こっちに来い、って。何があったんだろう。
「とりあえず、急ぐか――って!?」
真紀奈のもとへ足を向けたその瞬間に。
「きゃあああああああっ!?」
相原さんの悲鳴が、聞こえてきた。