「仁ドノ? 何ヲ読ンデルンダ?」
「日本書紀の現代語訳書。今は日本武尊に関してかな」
「ヤ、ヤマトタケルノ、ミコト?」
「うん、大丈夫だよカイル君。こうして読んではみているけど俺にもさっぱりだから」
平日の昼下がり。
カイル君以外の犬はお休みモードになっている静かな店内で、買った本を読んでいる。
やっぱり稀人がやってる店だからかお客さんなんて一人もこないし、丁度いいんだよな。
こんな時間ばかりだからか、カイル君とよく話す。
少しだけ人間、つか稀人と上手に話せるようになったカイル君とのおしゃべりは楽しい。
「ワカラナイノニ、読ンデルノカ? 楽シイカ?」
「楽しくは、ないね。けどまぁ、興味深くはあるよ」
「ウン?」
自分で言っててあんまりよくわかっていないけれど、興味深いのは確かだ。
今読んでるところは白い狗が山に迷った日本武尊を美濃まで導き助けたなんて一説だが。
「狼、というか犬っていうのは古から人間の良き友として存在していた。けど、よくよく伝わっている話を読めば友達というよりは眷属、要するに従者的な立ち位置にいる」
「助ケル、トイウカ、仕エル存在、トイウコトダナ?」
「あぁ。多分に人間側の都合良い解釈が混じっていると言えなくもないけれど、稀人みたいに動物と会話ができるわけもないし、こう描かれたとしても仕方ないだろうけどね」
「フゥム。シカシ仁ドノ? ワタシハオ嬢ノ番犬ダ。ソノコトヲ誇リト思ッテイル、オ嬢ヲ主ダトモ思ッテイルゾ」
カイル君が出雲鳴のことを大好きだってのは、まだ短い付き合いながらよくわかってるよ。
俺だって素子のことが大好きだし、周りから素子の召使いのようだと言われても誉め言葉だとしか思わない。
だからこうやって昔から捉えられていたとしても、異を唱えるつもりはないんだが。
「何らかの特殊な力に繋がる要素が見えてこないんだよな……」
少なくとも日本にあるニホンオオカミの伝承だなんだからは、だが。
何気に妖怪として数えられる狼や犬は少なかった。西日本じゃ真神様なんて祀られる対象にすらなっていたりしたが、それだけにあり得ないだろう能力っていうものが見当たらない。
「やっぱ先生のヒント通り、北欧神話だなんだを調べていくほうが掴みやすいのかも」
「仁ドノ?」
「強くなるって大変だなって話だよ、カイル君」
「ソウ、ダナ。ダガ、仁ドノガ強カロウガ、弱カロウガ、ワタシハ幸セダゾ」
え? 幸せ?
「急に何の話だよ?」
「オ嬢ノタメニ強クナロウトシテクレテイル、ノダロウ?」
「は、はい?」
どうしてそうなった? どうしてその答えに至ったんだカイル君。
「ココデ見ルオ嬢ハトテモ楽シソウダ。ソレガ仁ドノノオカゲダト、ワタシハワカッテイル、ツモリダ。オ嬢ノ幸セハ、ワタシノ幸セダカラナ、仁ドノニ心カラ感謝ヲ」
「え、あ、う、うん? こ、こちら、こそ?」
出雲鳴が楽しそう? え? そうなの?
いやそうじゃない、どうして俺が出雲鳴の保護者的立ち位置だと思われてるんだ。
今の生活を悪くない程度には受け止めているけれど、出雲鳴の親か兄になったつもりはないぞ。
「いやカイル君、俺は――」
「長野仁っ! 来てあげたわよっ!!」
「……えぇ?」
まだ二時になったところだけど? なんでこんな時間に来るの?
「何よ、別に学園をサボったわけじゃないわ。というか、サボったとしてもアンタに何か言われる筋合いはないはずよ」
「別に何か言うつもりはない、けど」
先生、俺は多分タイミングの神様に愛されてはないと思う、むしろ呪われてると思うんだ。
「サボりじゃないなら、何だ?」
「ふふんっ。お客を連れてきてあげたのよ! 感謝しなさい!」
「お客様は神様です、ってか? いや別にこの店は――」
「つべこべ言わない! いい? ちゃんとおもてなしするのよ! あ、カイル? お願いね?」
任せろと言わんばかりに一鳴きするカイル君が実に頼もしいね。
いやいやいや、そうじゃなくて、お客って何? え? うん? カイル君以外の皆もそんなようやく出番かみたいな雰囲気出さないで?
「――どうぞ、こちらですわ」
「お、おじゃま、致します。ほ、本当に稀人がお店をされているのですね」
呆気に取られているうちに、出雲鳴の後ろから金髪ドリルな初めて見る女の子が入ってきた。
あー、えっと、こういう、時は?
「いらっしゃいませ、ディアパピーズへようこそ。是非当店の犬たちと、料理で癒されて行ってくださいね。ほら、皆、おもてなしだ」
「あぁおおんっ!」
「きゃっ!? ん、ふふっ、く、くすぐったい、ですわぁ!」
開店時にみんなと打ち合わせしておいてよかったよね、思い出せてよかったともいう。
「……ねぇ」
「なんだよ」
「アンタって、ほんっと腹立つわ」
「意味わかんねぇっての」
何故か出雲鳴に睨まれた。ほんと意味が分からないっての。
「シェ、シェフを呼べっ! ですわ!」
さてとりあえずとパンケーキを作ってお出ししてみたところ、響いた第一声はこれだった。
「どうしましたか?」
「えあっ!? な、長野様がお作りになられていたの、ですね。そ、その大変おいしゅうございました、ので……えぇと、か、感謝のお気持ち、を」
「……あら嫌ですわ? シェフとして召し抱えるなんて豪語されてましたのに」
「唐突な暴露っ!? お待ちになってっ!? 裏切りが酷すぎますわっ!?」
なんだこれ。
さっきまでののんびり空間は何処に行った? カイル君たちにきゃいきゃい言ってたのも含めていきなり賑やかになった。
「料理を気に入って貰えて嬉しいです。お嬢様の口に合うのかどうか心配でしたので」
接客業なんて経験が無かったが、笑顔が大事なんだろうとできるだけ心がけて言ってみる。
「はうぅっ!? め、滅相もございませんわ! も、もう! とっても! 頬がとろけてしまいそうになるほど! あいまくりですわっ!?」
「あはは、だったら良かったです。お代わりの用意もありますが、どうですか?」
「いっ、いただきますわっ! 食べずにはいられませんわっ! モグモグですわっ!」
何ともまぁ可愛らしいと思うべきか、それとも単に年頃の女の子はかくあるべしとでも思うべきか。
少なくとも店に入ってきた時に感じた警戒心はもうとっくにない。それが料理を褒めてくれた以上に嬉しく思う。
だから、じゃあないけれど。
元々利益なんて考えなくていいわけだし、大判振る舞いしても構わないだろう。
「じー……」
「なんだよ出雲鳴」
「べぇっつにぃ?」
普通の女の子って枠でカウントするべきか、しないほうがいいのか。
出雲鳴だけは俺にジト目を向け続けては、話を振られた時だけ気持ち悪い笑顔で取り繕っていたけど、なんだってんだ。
「お待たせしました。ほかにも何かリクエストがあれば、教えてくださいね」
「ひゃ、ひゃいぃ! おこ、お心遣い、感謝、いたします、わぁっ」
なんだってんだと言えばこの反応もそうだな。
警戒されないっていうのは気分がいいもんだけど、緊張されてるんだろうか?
「では、また何かあったら気軽に教えてください。あぁ、一応含まれている成分は犬に害がないものですので、少量でしたらあげてもらっても構いませんからね」
そういった瞬間カイル君以外の皆が目を光らせた。いいぞ、存分に食らえ。
背を向けた方から困ったような、それでも嬉しいような悲鳴を聞きながらキッチンへ戻る。
むしろ二階に上がっといた方が気兼ねなく過ごせるかな? ちょっと様子を見て大丈夫そうならそうするか。
「鳴様は、いいお店を見つけられましたね」
「そ、う……ですね。稀人との縁は多くの形で持てましたし、これも良い巡り合わせの一つだと思っております」
どの口が言ってんだ。あとやっぱりその喋り方は俺にとって違和感の塊だわ。
なんて思ってつい出雲鳴へと目を向けてしまったせいだろうか。
「店長? 事務処理の仕事があるのではございません? ここはわたしが責任をもって対応いたしますのでどうぞ上がってもらっても大丈夫ですよ」
「あ、はい」
目が笑ってない笑顔で、とっととどっかに行けって言われてしまいましたとさ。