「仁君はほんとにタイミングの神様に愛されてるよね」
「はい?」
「いやなんでもないとも。こっちの話だよ」
「そうですか」
部屋に入るなり先生の困ったような笑顔で出迎えられた。
タイミングの神様って言われてもな。
「それより仁君。だいぶしごかれているようだね、大丈夫かい?」
「おかげさまで」
「含みがある言い方はやめてくれたまえよ。色々悪かったとは思っているんだよ? 本当に」
出雲鳴には当たり前に言えないが。
結局、出雲鳴は多くの意味で利用されたといって良いだろう。
先生が議員からよりよい条件を引き出すためにもそうだし、俺が裏社会に足を踏み入れるためってのもそうだ。
「挙句、出雲鳴のおもりみたいな真似までするハメになったわけですし。先生が先生じゃなかったらやっぱり殴ってます」
「僕が僕だから許されたと受け取っておくよ。ありがとう、流石僕の仁君だ。お礼に今晩……どうかな?」
「やっぱり先生でも一発殴らないと気が済まなくなってきました」
「別の意味な一発なら大歓迎だよ! はっはっはっ!」
だから笑って誤魔化さないでくれっての。
あー、そうだな。じゃあこの流れを使って。
「稀人の能力は成長する、というより進化すると聞きました」
「む」
「出雲鳴のおもりを押し付けられた対価として、進化について教えてください。差し当たっては、この地下に広がる光景は、先生がどうやって作っているのかとか」
「……はぁ。稀人の、というより仁君の成長を喜ぶべきか、裏社会に染まりつつあることを嘆くべきか。判断がつかないね」
肩を竦めた先生は表情をタカミのものに変えながら笑う。
正直な話、出雲鳴を押し付けられたとは考えていない。むしろ素子の治療費だなんだを出雲鳴の口から出させたのは先生だろう。
その部分を考えればむしろ追加報酬とも思うべきなのかもしれないけれど。
「良いだろう。進化、についてだったね。端的に言えば僕は狐稀人であることに違いはないが、稀人として在るステージが全く違う」
「在るステージ、ですか?」
「そう。あえて言うのなら僕は妖狐、妖狐稀人とでも言うべき存在だ」
妖狐、って。
なんとなく聞いたことあるような。
「妖狐という存在は妖怪と語られていてね、どうにも化けて化かして人を誑かす狐らしい。だから重ねて言うが今の僕をあえて呼称付けるのであれば、妖狐と言えるかもねってわけだ」
「先生の悪趣味なアレから考えるとまさに、って感じですね」
「悪趣味とは酷いな……今となっては妖狐だからなのか、それとも僕だからなのかはわからないけども。胸を張って趣味だとは言えるんだけどね。そう、昔からの趣味さ。誰かを化かしてきた、誑かしてきた。その結果、化かすための能力が進化して地下にこんなあり得ない光景を生み出せるようになったという話さ」
若干複雑な気持ちはあるけれど、なるほどと納得する部分が大きい。
先生は本能の赴くがままに言うところの趣味を自重しなかった結果、こんなとんでも能力を得られるまでに進化したのだろう。
なら、進化を知っているということはあの爺さんもただの熊稀人じゃない、ってことなんだろうか。
今度直接聞いたら教えてくれるかな? どうだろう。まぁそれは別にして。
「何かこう、ここまで凄い力に進化したきっかけみたいなものはあったんですか?」
「もちろん。はっきりとコレだっていうきっかけがあるよ。流石にそれは、キミに教えられないけれどね」
「ケチですね」
「それこそ一発……あぁもう、そういう目で見ないでくれたまえよ。仁君にそうされるとゾクゾクしてしまう」
はぐらかされるどころかきっぱり言えないといわれた意味くらいわかる。
「ありがとうございます」
「何、取り引きに納得したが故にだよ」
「いえ、気づかってもらって、ですよ」
「……やれやれ。そういうところだよ、仁君」
そうだ、気づかわれた。
今の俺が知るに値する存在じゃないと思われたのか、何か耐え切れないようなショックを受けてしまうからか。
わからないけれど、いつの間にかタカミの表情じゃなくなっていたこともあって、きっとそうなんだろう。
「ところで、俺に何か用があったとか」
「あぁ、そうだ、そうだった。近頃妙な事件が発生していると聞いてね、仁君の耳にも入れておこうと思ってたんだよ」
「妙な事件、ですか? まさか素子に繋がるようなモノ――」
「はいはい落ち着きなさい。関連付けられるかはまったくわからないんだよ。ただ、今のキミは僕の探偵でありドッグカフェのオーナーだ。後者のキミへ伝えておくべきだと思ってね」
ふぅ……ドッグカフェ経営者としての俺に、ね。言われてそういう名目の立場だったなんて思いだした。
だめだな、できるだけ設定された役割通りに過ごそうと心がけているつもりだったんだけど、やっぱり穏やかな毎日ってやつに焦れているのは確からしい。
「すみません。それで、いくらほどお渡しすればいいです?」
「もう、勘弁してくれよ仁君。情報屋のタカミとしてじゃなくて、の話だ。単純に弟分を心配して伝えておこうと思っただけだよ」
「うぐ。重ねて、すみません」
「僕自身も少しややこしいことをしているし、なっているなと思うから構わないけどね」
うぅん、余裕を常に纏えと爺さんに言われたのはまだまだ実践できそうにもない。
「改めて、だ。ディアパピーズのある六本木近辺でね、誘拐事件が発生している」
「誘拐事件、って。え? 店から出雲鳴の学園まではよく歩いていますけど、変な雰囲気とかありませんでしたよ?」
「警察が動いているわけじゃないし、動けるような事件でもないからね。そう、誘拐されているのは人間じゃない、動物だ。ペットや野良問わずね」
動物の誘拐事件?
あぁ、確かに言われてみればレベルだけどあんまり野良犬だなんだってのは見なかった気がするけど。
いや、ほんと気がする、程度だ。
「実際のところは僕もわからないんだ。ただ、僕の耳である真紀奈君があの近辺で野良猫から聞いた話でね……最近、六本木近辺から猫や犬は別の縄張りに移動するようにしているらしい」
「当事者というか、当時猫が言うなら信憑性は高いですね」
「うん。六本木から別のところへ流れた犬や猫が縄張り争いでトラブルを起こしているって話も耳に入ってるし、何かしら起こっているのは確かだと思う。誰かのペットにしても、迷い犬探してますなんて張り紙が増えてきているみたいだ」
動物誘拐事件、ねぇ。
「誘拐っていうのは確定なんですか?」
「証言と状況証拠だけからの予想、としか言えないけれどね。ただ、そうじゃなければそれこそ神隠しなんて非現実的な可能性しかなくなってしまうとは言えるかな」
「消去法的に、ってことですか」
「うん。順を追えば野良がいなくなり始め、次にペットがいなくなりつつある。手段というか、目的のためなら相手の背景を考えなくなってきている。もしかしたら次はドッグカフェのようなところも狙われるかもしれない」
だから教えてくれたってことね、タカミじゃない先生は優しいや。
カイル君が店員、というか店犬として連れてきてくれた友達犬を危険に合わせるわけにはいかない。
何より俺が散歩している時ならともかく、出雲鳴に任せている時にと考えれば危ないじゃ済まなさそうだ。
「わかりました、ありがとうございます。気を付けておくってのと、もしも掴める尻尾なら捕まえます」
「頼もしいね、こちらこそありがとう。今回の件は真紀奈君も手伝うって言ってくれている、必要なら声をかけてね」
「真紀奈が? ええ、はい。わかりました。手が足りないのはそうですし、また声をかけておきます」
猫も被害に遭ってるらしいし、気になるのかな。
誘拐事件が先生の言うように見境なくなるようなら出雲鳴に散歩を任せるのは危ないし、助かるけれど。
「うんうん、頼んだよ――っと」
「先生?」
何かに気づいたのか、先生の狐耳がピクリと動いて。
「あぁ、うん。子供たちが皆寝たらしい。この幻界を無効化しないと」
そういって先生が目を閉じ何やら口をもにょつかせた後に。
「お?」
スイッチで切り替わったかのように、周りの風景が殺風景なものに変わった。
「ふぅ」
「すごい力ですよね、コレ。幻界、って言いましたっけ」
「命名したのは真紀奈君だけどね」
「こうして地下でも外みたいなっていうのは、あの子供たちのため、なんですよね? やっぱりなんだかんだで先生は子供に優しいですよね」
俺自身随分可愛がってもらった記憶が沢山ある、もちろん性的な意味ではない。
あの子供たちがマレビトムラにいる理由はわからない、なんとなく真紀奈も聞くなって雰囲気を出してくるし。
気にならないといえばウソになるんだけども。
「優しい、か」
「先生?」
「ううん、僕を優しいと言ってくれる仁君が大好きだよ。そうだね、キミにとって優しい僕ならば」
「え……?」
一瞬困ったような笑顔を浮かべた先生は、イスからゆっくりと立ち上がって。
「時間と身体は大丈夫かい? 問題がないなら、久しぶりにちょっと指南をつけてあげよう」
かつてよく見せてくれた懐かしい構えを、目の前でとった。