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「出雲 鳴」①

「ごきげんよう、鳴お姉様」

「ええ、ごきげんよう。あら? お待ちになって下さい」

「え? は、はい」

「ふふ。折角可愛らしいピンをされていますのに、髪が跳ねていては勿体ないですわ」


 意識的にさりげなさを演出しながら。

 名も知れぬ後輩らしき女の子の髪をブラシで梳く。


「は、はわ、はわわ……おねぇ、さまぁ」

「どうされましたの?」

「い、いえっ! ありっ、ありがとうごじゃいまひゅっ!」


 あぁ、うん。

 わたしは今日も絶好調だ。


 世界はわたしのためにある、なんて思ったことはないけれど。

 この学園でかくあるべしと定めた出雲鳴は、これ以上ないほど上手くいっている。


「さ、これで良いでしょう。素敵ですわよ、それではごきげんよう」

「ひゃ、ひゃい~ご、ごきげんようでごじゃいましゅぅ~」


 ううん、それだけじゃない。

 議員の娘である出雲鳴も、メディア向けの出雲鳴も、稀人を応援している出雲鳴も。

 あらゆるわたしが好循環の波に乗っている。


 けど。


「げっ」

「ご挨拶だな、出雲鳴。まぁ、稀人がこんなところに来たらそういう反応も仕方ないかもしれないけど。文句ならカイル君に言ってくれ」


 やはり脳内であっても噂をすれば影でも生まれるのか。


 長野、仁。


 校門を出て少ししたところにいたのは、ある意味救世主と言っていい人で、初めてかもしれない頼ってしまった人。


 コイツの前でだけは、どういう自分を形作ればいいのかわからないでいる。


「カイル?」

「はっ、はっ、はっ」


 長野仁にリードを持たれたカイルは、もしかしなくてもわたしと散歩している時よりも大きく尻尾を振っていた。

 どうにも長野仁は狼稀人が故に犬と意思疎通ができるらしく、そりゃ会話によるコミュニケーションが取れるのならここまで懐く理由にもなるのだろうけど。


「まったく、だらしない顔しちゃって」

「わふ?」


 このわたし以外、誰にも尻尾を振らなかったカイルが、目に見えて懐くなんてと思ってしまう。


「むぅ」


 確かに、稀人でなかったのなら見惚れてしまうくらいの容姿をしている。

 すらりとした体躯に、切れ長の目をした整った顔立ち。それだけなら冷たい印象を持つはずなのに、彼が纏う雰囲気はなぜか温かみがあるもので。

 人間相手であっても、過剰に怯えず、かといって強く敵視もせず。不思議で妖しい魅力があるように思う。


 むしろだからこそ、なのかしら? 稀人だからこそカイルもここまで惹かれている、とか?


「な、なんだ?」

「別に、何でもないわ。それより店に行くんでしょ? さっさと行くわよ」


 思わず嫉妬混じりに睨んでしまった。

 本当にうまくできない。ダメで元々出たとこ勝負なんてしてしまった弊害と言えばそうなのかもしれないけれど。


「はいはい。っと、ほら」

「何よ?」


 何よりも、これだ。

 少し怯えたように、あるいは困ったように笑いながらも。


「カイル君のご主人様は、キミだろう?」


 リードを手渡してくる長野仁は、わたしに誠実だった。

 わたしを利用しようとする人間や、偶像的な扱いをしてくる人間ばかりを相手にしてきたせいなのか。


 本当に、調子が狂う。

 利害の一致でこうしているだけだ、いっそのこともっとドライな関係で良かったのに。


「……ふんっ」

「お、っと」


 片づけられない感情を誤魔化すように、差し出されたリードをひったくった。




「それにしても、さ」

「あによ?」


 学園から歩くこと30分ほど、近いと思うべきか遠いと思うべきか、ディアパピーズはそんなところにある。

 長野仁が荷物を片付けながら不意に思い出したように口をひらいて。


「学園ではネコ被ってんだな、あんた」

「はぁ?」

「むしろあっちのが普通、とか? だとするなら俺としては地で喋って欲しいとリクエストしたいところなんだけど。その方が今より幾分かマシだから」

「いっ――いやちょっと待って? え? 何? アンタ覗きでもしてたわけ!?」


 唐突な言葉にびっくりする。

 学園でのって、あのテンプレお嬢様モードのことよね……じゃなくて、なんで知ってんのよコイツ。


「うん? あぁ、知られたくなかったのなら悪い。けど、聞こえるもんは仕方なくてな。忘れろってんなら忘れるよ」

「ぐ……な、なるほど? アンタは狼、だもんね。意識的に聞こうとしたわけじゃないなら、確かに仕方ないわ。別に忘れなくてもいいし、わたしの地を言うならお生憎様こっちよ、多分ね」

「多分って。いや、まぁそれが普通ならそれでいいよ。無駄に気を使われたくないし、使いたくないってだけだから」


 やっぱり、本当の意味では稀人にまだまだ慣れてないんだと自覚してしまう。

 コイツと話すようになってまだ数日しか経っていないけれど、ちゃんと稀人と向き合うことで実感することは多かった。


「カイル君、すぐメシ作るから待っててな」

「きゅう、くぅん」


 狼稀人と犬稀人の明確な違いは未だによく分からない。

 でも、犬と同じように鼻や耳が良くて、犬と意思疎通ができる。

 身体能力もあの倉庫で見たように、人間じゃあとても真似できないことをやってのけるわけだけど。


 そんなことより。


「ねぇ」

「うん?」

「アンタは、その……なんでわたしを、人間を嫌わないの?」

「なんだよ、藪から棒に」


 長野仁からは敵意を向けられたことがない。

 わたしがライン越えしてしまった時のことは明確にわたしが悪いのだし別として。

 ぎこちない敬語で喋られなくなってからというものの、長野仁はわたしを邪険にしたり、わたしに怯えたりする様子を見せない。


「これでもそれなりに多くの稀人と会って会話をしたことがあるつもりよ」

「まぁ、テレビでもそんなシーンは取り上げられていたしな、知ってる」

「それはどうも。でも、そう。会って来た稀人のほとんどは好意的じゃなかった。わたしを利用してやるとか、名前に怯えて言われるがまま台本通りのことを口にするとか、敵意だけを向けられて一切応じられないとか。そんなのばかりだった」

「ふぅん……?」


 ふぅんって。全然興味なさそうね、なんだか腹が立つ。

 でも、そうだ。

 そんな奴らに比べたら、長野仁はかつてないほど好意的だ。

 聞く耳を持ってくれると言うだけで、こんなにも真摯的だと感じてしまうことがおかしいのかも知れないけれど。


「まぁ、そうだな。好意的かどうかは自分じゃよくわからないけれど、人間を嫌うってのはあんまりないかもな」

「どうして? 多分わたしはあんた以上に稀人が社会的に冷遇されていることを知っている。だからこそ、嫌われても仕方ないとも思っているわ」

「イヤな人間が沢山いることは知ってるし、実感したこともある。予想しない形で思い知ったこともな。けど、そういう人間が多いだけで、違う人間だっているとも知っているから」

「……そ」


 穏やかに、そして何処か遠い目をしながら思っているのはやっぱり長野素子のことなんだろう。

 実際のところ、姉と呼べる相手が存在していて、とても大切にしている以上のことは教えてもらえなかったわけだけど。


「大切な、家族、か」

「ん?」

「なんでもないわ。それより早くカイルのご飯を用意して? ブラッシングしとくから」

「ったく、はいはい」


 コイツはきっと、長野素子という家族に救われたんだろう。

 家族に殺された、わたしと違って。それだけは、とても羨ましく思う。


 稀人のくせに、なんて、ね。




「鳴」

「はい、お父様」


 あぁ、そういえば、もう一つ上手くいかなくなってしまった私がいたな、と。


「今日は、どうして遅くなった?」

「社会勉強のために、アルバイトというものを始めようと思っていまして」

「何……?」


 出雲大作の愛娘というわたしは、長野仁と結びついたことで壊れつつある。

 食卓を囲むなんて珍しいこともあったものだと思ってはいたけれど、どうにも本題はここらしい。


「ドッグカフェというものをご存じでしょうか?」

「行ったことはないがな」

「であればわたしが一人前になったころ是非お越し下さいお父様。あれは、良いものです」


 少し前までのわたしだったのならきっとすんなり、そうかの一言で終わったのだろうけれど。

 最近の父は、わたしの動向を酷く気にかけてくる。自業自得だって、わかってるけどね。


「……良いだろう。予定は調整しておく、再来月あたりでどうだ?」

「まぁ、本当によろしいのですか? ありがとうございます、店主にも確認しておきますね」


 薄ら寒いやり取りだ。

 傍から見ればもしかしたら微笑ましいやり取りなのだろうけども、中身を考えればただわたしが本当にそうしているのかを確かめるためだけだというのに。


「だが、あまり父に心配をかけるな。何かする前に一言相談しろ」

「申し訳ありません。承知いたしました」


 父はわたしを使って名を広めた、だからわたしを止められない。

 そしてわたしは父の名を使ってやりたいことをやろうとしている。だから表向きは愛娘として従わなければならない。


 あぁ、なんて歪な共存関係なのだろう。

 お互いに、絶対言葉通りのことを考えているなんて思っていないのに。

 ……お互いに、父だ娘だなんて、想いあってもいないのに。


「お前が聞き分けの良い娘で助かるよ。ちゃんとわかっていること、信じているぞ」

「もちろんですお父様。今度は間違いなど犯しません」


 裏の意味がわたしを突き刺す。


 ――もう二度と裏社会の世話になるようなことなんてないように。


 面白いことを言うものだ。

 わたしを処分するために裏社会とつながりを持とうとしているなんて、とっくに知っているのですよ?

 あなたは良くて、わたしはダメだ、なんて。


「ふふ」

「む、どうした? 鳴」

「いえ、失礼いたしました。久しぶりにお父様と一緒に食事ができることが、うれしくて」

「そ、そうか」


 あるいはちゃんとした親子であったのなら、頷いていたかもしれないけれど。

 あなたの愛娘は壊れつつある。もう遅いんですよ、お父様。


 ええ、そうですともお父様。

 あなたが悪い、なんてとても口にはしませんが、わたしはお母様がどうして死んだのか探ることを止めません。


 精々お覚悟なさってくださいね。

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