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第12話「黒雨会」

 見惚れる、とか目を奪われる、とか。

 もしかしなくても今、そんなのを初めて味わっているのかも知れない。


 ――仁君っ!? キミは僕のなんだからね!? わかってる!?


 なんて先生の声が聞こえた気がするけど、なんて言うんだろう。


「如何、なされましたか? 長野仁様」

「っ、あ、い、いえ」

「まぁ……お可愛らしいことですね、うふふ。何も取って食べたりなど致しません。どうか気を楽になさってください」

「は、はいっ」


 圧倒的な美が、目の前にあった。


 小さいながらも中庭がある純和風の趣ある家を案内されているけど、目の前の人から目が離せない。

 今もそうだ、振り向いて微笑まれただけだって言うのに胸が高鳴ってしまう。

 その笑みが、横顔が、艶やかな長い黒髪が。さもすればこの廊下で襲ってしまいたくなってしまうほど心を惹きつけて止まない。


「長野仁、様?」

「はひっ!?」

「もう、気を楽になさってと申し上げましたのに……いえ、改めて仁様とお呼びしてもよろしかったでしょうか?」

「ど、どうぞっ!」


 あー……やっべ、何言われるかとかもう全然わかんねぇよ。

 っていうかここほんとに黒雨会の拠点なのか? この人だって黒雨会の人なのか?

 何というかこう、イメージと全然違うと言うかさ、浮世離れしすぎててさ……うーん。


「では仁様、どうぞこちらの部屋へ」

「は、はい」


 いつの間にか両開きの襖の前に着いていた。

 音もなく、えぇと初音、さん? が開いてくれた襖の奥には。


「かっかっか! 来たな、狼小僧」

「あー……ちぃっす、この前、以来、だね」

「っ!! 昨日の爺さんに、え? し、シズク、さん?」


 テーブル付きの囲炉裏を囲んで座布団が四つおかれているだけの殺風景な部屋。

 爺さんは何となくいるかもしれないって思ってたけど、シズクさんまでいるとは思わなかった。


 けどまぁ、なるほど。


「種明かしされた時ほどがっくりするものはない、って感じですね」

「ん。マッチポンプ、仕掛ける側しか、面白くないの、わかる」

「そう言うな小僧、ここに辿り着かないという道筋のほうが多かったのは確かじゃよ」


 釈然としない気持ちはあるけれど、爺さんの言っていることはそうなんだろう。

 まだまだ本物に比べたのなら甘いのかも知れないけれど、色々覚悟も決意も胸に決めてやって来たのは確かだ。


「どうぞおかけになって下さい」

「……はい」


 勧められた手前側の座布団に座れば、感触はふかふかで。

 奥側、俺の真正面に回った初音さんはそんな座布団を横にずらした後。


「では改めましてわたくし、当代黒雨会会長を務めております、裏社会を巣と張る蜘蛛が稀人、日比谷初音ひびやはつねと申します」


 畳の上で三つ指をついて、静かに頭を下げられた。

 ……くそ、様になりすぎだしキレイすぎだろ。しかもこの人がボスだって? 心臓の音がうるさい理由が多すぎる……!


「昨晩は世話になった、いや。世話をしてやった、じゃのう? ワシは藤本五郎ふじもとごろうじゃよ。見た通り、味わった通り熊稀人じゃ。お嬢の警護番をしておる」

「もうアタシはいいよね? え? ダメ? はぁ……シズク。占い師、やってる蛇」


 両サイドからの声が耳に入ってこない。

 もうずっと、初音さんから目が離せないでいる。


「うふふ。ええ、そうですね。これでは意地悪が過ぎますか。五郎?」

「うむ。顔見せが目的じゃったしの、後はお嬢が望むままにじゃて」

「あ、もういい? じゃ、またね」


 二人は簡単に部屋から出て行った。

 俺は、ぴくりとも動けない。


 混乱している? それはそう。

 緊張している? それもそう。


「……もう。そんなに、怖がらないで下さいませ。先ほども言いましたが、取って食べてやるなんてことは致しませんから」


 あぁ、そうだ。その通りだ。

 俺がぴくりとも動けない、最大の理由は。


「……はい」

「あら? うふふ。お強いのですね? もちろん、知っておりましたが……前言撤回致します。仁様がタカミのモノでなければ、わたくしのモノにしていたところです」


 赤い瞳を煌めかせ笑った、ただ美しかった人が。

 この部屋に入って相対してから、怖いくらいキレイになったから。




「――えぇ、と。日比谷、さん?」

「初音、と。あまり苗字で呼ばれることを好んでおりませんので」


 どれくらいの間があったのか。

 緊張感に堪えられず口を開いたのは俺だった。


「初音、さん」

「はい。如何なされましたか?」


 雰囲気が変わった、なんてことを感じ取れたわけじゃないんだけども。

 ただ、目の前のひびや……いや、初音さんがただのキレイな人から、怖いくらいに綺麗なヒトって認識になったせいか、上手く言葉が紡げない。


「うふふ。いえ、意地悪が過ぎましたね。招いたのはこちらでございました」

「あ、いえ」


 察してくれたんだろう。作られたとは思わないが、意図的に俺を安心させるかのような笑みを浮かべてくれた後に。


「……今世紀上半にあった移民潮。日本にやって来て間を置かず親に捨てられたあなたは、当時18歳だった長野素子に保護される。以来、長野女史は身元保証人でありあなた唯一の家族となるが黒翼の男に襲われ意識不明の重体。家族の復讐を誓ったあなたは裏社会の門戸を叩き今、わたくしの目の前にいる」

「っ……」

「余談に過ぎませんが、あなたの親はもう他界されています。父親は現場仕事の事故、母親は夜の街で男に狂い心中という形で」


 そのままの表情で、合っていますかと確認するかのように小首を傾げられた。

 親、という言葉には嫌悪感が強い。だから、俺を産んだ人というか、作った人、でしかないけれど。

 二人も稀人だったから。今となっては、生きにくいこの社会でそうなってしまってもと無理やり納得はできるくらいに成長したつもりだ。


「……東京に来た稀人、全てを知っているっていうのは本当だった、と」

「脅すように捉えられてしまったのはわたくしの不手際ですね、申し訳ありません。ですが、そう。わたくしたち黒雨会に、こと稀人関係で掴めない情報はありません。しかし……」

「黒翼の男に関しては、掴めなかった」

「お恥ずかしい限りですわ。いえ、そのせいでと言うのはわたくしの驕りと言うものでしょうが」


 大丈夫、この人たちが杜撰だったから素子が襲われたなんて思っちゃいない。

 わかっている、冷静な部分ではちゃんと。


「俺は、素子が何をやらかしたから襲われたとか、あなた方のせいでとか。そんなことは思っていませんよ」

「仁様のお言葉に感謝を。では、今回の件は黒雨会のメンツが潰されただけと認識致しますわ」


 メンツ、か。

 黒雨会が裏社会、というか社会でどういった位置に在るかはまだ少し掴めないけれど。


「だからこそ。黒い翼の男と接触した俺に会いたかったわけですか」

「察しの良い殿方は実に好みですわ」

「よく、言いますよ」


 笑ったままだった初音さんの目の奥に怒りの焔が見えた。

 あるいは、怒気というものをほんの少し身体から発して俺に嗅がせたとでも言うべきか。

 そこまでされたのなら、わからないことが多すぎる俺にだってわかることはある。


「とは言え、仁様は黒雨会直轄の管理ではなく、タカミを通してのものとなりました。わたくしたちは筋を重んじております。ここで暴力や権力を笠に洗いざらい話せと申し付けるつもりはありません」


 あー……やっぱ、裏社会の人なんだなぁってこんなタイミングで実感したよね。

 先生には感謝しなくちゃならないのかも知れない。というか、先生が間に入ってなかったらそうされていた可能性があるってことか? むしろその先生から情報がリークされていたとかも? ……裏社会、怖すぎ。


「そこで、です。仁様はこれから探偵をなさるとか」

「あぁ、そう、ですね。正直、まだどうやっていくかとか具体的なことはまるっきり決まってませんが、そのつもりです」

「よろしゅうございました。であれば、探偵業のバックアップに黒雨会をつけて頂けませんか? 資金援助、物的援助はもちろん、店舗なども可能な限り要望に沿ったものをご用意致します」

「その代わりに黒い翼の男に関する情報を流せと」


 発していた怒気を簡単に消してにっこりと言われてしまった。

 こうなるとただの美人ってだけにしか思えなくなるから困る。


「いえ、強欲な女と思われてしまうかもしれませんがそれだけではございません。先ほどの五郎、熊稀人の男ですが、彼は熊が示す通り冬季は冬眠に入ってしまいわたくしの警護につけませんの。そこで仁様には冬の間、五郎に変わりわたくしの傍仕えをお願いしたく思っております」

「……マジ、ですか?」

「僭越ながらマジでございますわ」


 腕っぷしは熊の人に全然及ばないってわかってるだろうに。

 ってかあれか、これはもしかして俺って存在を傍につけるための名目というか言い訳って考え方もできるのか。

 近い位置で、黒い翼の男と接触しようとしている俺を監視するために。


「……」


 じとりと初音さんに目を向けてもニコニコ顔からちっとも動きやしない。

 はぁ、元々腹芸なんてスキルを磨いた記憶なんてないんだ。鼻が良くなったとは言ってもホンモノの前にはまだまだ力が及ぶわけもないし、何考えてるなんか全然掴めない。


「如何、でしょうか?」


 結局、ヒヨコにも程がある俺に判断基準なんてものは何もないのだ。

 本能なんて言うモノがあったとしても、こいつが一番自分のタメになるかどうかわからないってのは、つい昨日に嫌って程実感した。


「わかりました。と言っても知っての通り俺はまだまだ未熟です。探偵業はもちろん、満足の行く警護なんて夢のまた夢かとは思いますが」

「ええ、承知しております。ですがそうですね。こう申し上げましょうか、わたくしが満足できる警護ができるようにする、と」

「……ひぇ」


 あぁ、うん。まぁ、なんだ。


「では、こちらの血判状を」

「けっぱんじょう」


 らんらんと、懐から一枚の紙を見せつけるように取り出した初音さんに。


「あ、どうぞこちらをお使いください」

「……ドス、ってやつですかこれ」

「もちろん自分で指を噛み切って頂いても構いませんよ? やりやすいようにどうぞ」

「自分で指先噛んで血を出しますのでしまってください」


 いろんな意味でこれから振り回されるんだろうなと、早くも理解してしまった。

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