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第11話「一人前」

「やぁ、お邪魔するよ? ここに来るのも随分と久しぶりだけど。仕事、ご苦労だったね……いやちょっと待とうか色々申し訳ないと思ってるのは確かだけど僕にも都合というものが――顔はやめてっ!?」


 家にやってきた先生に向かって振り上げた拳から力を抜く。

 こればっかりはもうどうしようもならないんだよなと思いつつ、いずれ何とかしてやろうとも思っている。


「……はぁ。心に決めてたけど、やっぱ先生を前にしたらできないんですよね。ほんっと、よくもまぁこんな俺にしてくれたもんです」

「ふぅ。過去の僕を今ほど褒めてやりたいと思ったこともないよね、躾けが行き届いていたようで何よりだよ」


 躾けってなぁ、もう。

 結局この人に頭は上がらないし、拳を振り上げられても向けられない。

 何より昨日の夜を無事に乗り切れたのは先生のおかげでもあるのだから。


「それにしても仁君。流石に緊縛状態で出雲嬢を送り届けるのはどうかと思うのだけども?」

「身体痛かったし、その上うるさいってのは勘弁してほしかったから仕方なく、ですよ。反省はしています」


 実のところ一回猿轡は外したんだよな。

 外した瞬間大声で叫ばれそうになったから止む無くもう一度ってところはある。


「やれやれ。まぁ、支払いに影響はなかったし構わないのだけれども。そうだね、とりあえず」


 先生の雰囲気が切り替わった。

 切り替わったと同時に先生は持っていたカバンの中から。


「これが、仁君の取り分だ」

「……うわ」


 札束を三つ取り出して、テーブルの前に置いた。


「今回の報酬は500万。情報提供と繋ぎって言う意味での紹介料として僕が2、実際に動いてくれた仁君が3でどうかな? 事前に取り分を決めてなかったのは僕の落ち度だからね、交渉に応じよう」

「いや……ちょ、っと待ってもらっても?」

「うん、今日は時間があるからね、いくらでもどうぞ」


 こんな大金初めて見たっての。

 え? こんなに貰って良いのとしか思えないんだけど? 先生が言ってた額がはした金って本当だったんだな……。


 それで、ええと?


「その、取り分とか正直よくわからないです。だから――」

「僕にまかせる、なんて言わないでおくれよ? 僕は今仁君の先生としてここに居るんじゃない、情報屋のタカミとして居るんだ。ここが公平かつ公正でないまま終わるなんて、僕の信用問題にかかわる」

「う……」

「何よりキミにはこの金が必要なはずだ、そうだろう?」


 仰る通り、としか言いようがない。

 素子の治療費はもちろん、この家の維持費だって必要だし、何よりも。


「……じゃあ、頂くとして」

「取り分はこれで良いのかい?」

「ええ、正直今回の仕事は、先生やそのほかの人のおんぶにだっこだったって自覚はありますし。この金で先生から情報を買わなければなりませんから」

「そうかい」


 元々この仕事を引き受けたのは先生から黒い翼の男に関する情報を買うためだ。

 貰った三つの札束から一つ取って、先生へと渡せば困ったように一瞬笑われた後。


「黒い翼の男に関する情報は僕の手元にない」

「なっ!」

「待ちなさい。これこそが最大の情報なんだよ仁君。僕は情報屋だ、それも黒雨会と繋がっている、ね。そんな僕の手元に情報が何もないということからわかることは多いんだよ。その中でも仁君が欲しいと思われるものはとりわけ二つある」


 一瞬上がりかけた腰をもう一度イスに落ち着かせて、黙って目で先を促す。


「一つは、ここ最近になって東京の裏社会に現れた存在だということ。そしてもう一つが、僕にすら知られないように工作されている情報であるということ、だ」

「工作されている?」

「そう、僕だけじゃなく黒雨会の情報網をすり抜けてこの東京に稀人が入ってくるのは限りなく不可能に近い。そしてそんなことが出来るのは……国家権力か、向田組の二つしかないけれど、国家権力のセンから考えても結局は向田組に繋がるだろうし、実質的に向田組が関わっていると思うべきだろうね」

「向田、組……」


 やっぱり、なんて思うべきか。

 裏に対抗できるのは裏しかないということだろう。


「黒い翼の男。ここからは私見だが、コイツは外からやって来たのではなく東京内で発生した存在じゃないかと僕は思っているんだよ」

「発生した、って」

「生まれたのか、それとも僕が知らない、掴めない方法で現れたのか。生まれたと言うのなら出生届が出ているはずだし後者だと思うがね。いずれにせよ東京の外からやって来たと言う可能性はさっき言った通り現実味に欠ける。そこで、だ」

「え、あ、はい」


 ぴんっと指を一本立てて、先生は雰囲気を再び軽いものへと変えて。


「もう今更キミの覚悟がどうだのと聞くつもりはないから単刀直入に聞こう。仁君、キミ、探偵にならないかい?」

「は、はぁ?」


 探偵? いや、何を急に言ってんだ先生は。


「協力関係を結ばないかと言っているんだよ。僕は優秀な目と耳、そして美貌を持っているけれど、優秀な手と足は持っていないからね。情報を実地で調査する存在が必要なんだ。その代わりに本件に繋がりそうなこと、つまり素子君に繋がるかもしれない情報が得られたのなら今後キミに無償で渡そう、どうかな?」


 美貌はともかく、先生の唐突に思える提案は魅力的な話、なのだろう。

 一人でやるには時間もかかるし、限界もある。アテもない情報収集に時間を費やすよりも遥かに良い。


「何より明確な協力関係を結べたのなら、黒雨会に僕の協力者だと紹介できる。何の後ろ盾もないっていう状態から脱却できるんだ。今のキミにとって、これ以上のモノはないと思うけどもね」


 その通りだ。

 俺は力をつけなければならない。

 稀人としての力はもちろん、権力ってやつだって立派な一つの力だ。


「わかり、ました」

「お?」

「俺は先生の手と足になります。その代わりに」

「あぁもちろんさ。僕がキミの目となり耳となろう。今後ともよろしく頼むよ」


 だったら、掴もう。

 差し伸ばされた先生の手を、固く握る。


「それじゃあ早速、行こうか」

「え? 行くって何処にです?」

「何処も何も、黒雨会だよ。あぁもちろん拒否権はないよ? 早く連れて来いってせっつかれちゃってるしね!」

「……はぁ。いや、もう、ほんとに、はぁ、ですよもう」


 もしかしたら握手は、少し早まってしまったかもしれない、なぁ。




「えぇと、その、黒雨会の拠点は、ほんとに浅草に?」

「今日使っている拠点は、だけどね。黒雨会のボスは東京のあちこちに拠点と言える場所を持っていて、一か所に留まらないことで居場所が割れないようにしているんだ」

「用心深いというかなんというか、それも普通のことなんで――いやちょっと待ってください、今ボスっていいました?」

「言ったよ?」


 簡単に言うなって話なんですけど? え? いやちょっと?


「今から会う黒雨会の人って、ボスなんです?」

「そうだよ? 当然じゃないか」

「その当然がわかりませんって!」

「あっはっは!」


 あーもう笑って誤魔化してるんじゃないっての!


「まぁ安心したまえよ仁君。怖い人ではあるけれど、悪い人じゃあない。いや、やっていることの中には悪事もあるのだけれどね」

「安心させる気皆無じゃないですか」

「力になってくれる人には違いないと言いたいのさ。何、会って早々食べられてしまうわけではない、キミを一番最初に食べるのは僕って決まってるからね」

「いつ決まったんですかそれは……食べられる気はないですからね」


 相変わらず途絶えない観光客を尻目に下町を歩く。

 こうして先生と何処かを歩くって言うのは少し懐かしい。

 それこそ俺が共生会に通い始めた頃は毎日先生と一緒に登校していたっけ。


「……懐かしいね、仁君」

「え?」

「こうして二人で歩くのが、だよ」

「……はい」


 あぁ、そうだ、この顔だ。

 こんな穏やかで、幸せそうで、満たされているような顔を向けられていた記憶があるから。

 俺はどうやったって先生のことが嫌いになれないんだ。


「昔の延長に今があったのなら。今でも僕はそう思うことがある」

「環境や関係が変わらないままであったなら、ってことですか?」

「うん。変わらないものなんてないけれど、ね。変わって欲しくないものだってあるんだよ。その中に、素子君とキミが穏やかな毎日を過ごす光景というものがあった」

「……」


 懐かしむように空を見上げた先生に倣って俺も空を見る。

 残暑と秋の気配が混じった空。高く、高く澄み渡る空がそこにはあって。


「変わらないものはない。そして変わりたいという気持ちは止められない。あの時こうしていればなんて後悔は誰だってしたくないものだ。だから僕たちは、特に稀人は、一日一日を文字通り必死に生きる。少しでもより良い明日を迎えるために」

「より良い明日……」

「そう、より良い明日だ。僕は今でも藻掻いているし、稀人だけじゃなくて人間である素子君もきっとそうだった。そして今はキミも。自分にとってより良い未来を掴むために今日を生きようとしている。やっていることが、後ろ指をさされることであっても、精一杯ね」


 俺にとっての明るい未来とは、やっぱり素子が元気に自堕落している生活を支えることだ。

 でも、そんな未来を掴み取るために、裏社会なんてものに関わろうとしている。

 裏に生きる存在が、明るい陽の光が射す場所でぬくぬくと生きられるわけなんてないのに。


「二律背反、ですね」

「……そうだね。本当に、その通りだ。キミと素子君の幸せを願っている気持ちは本物のはずなのに……すまないね、仁君」


 謝られる意味がわからない。

 先生は俺の望みを叶える手伝いをしてくれているだけだ。

 ちょっと自分の欲望混じりなところはあるのかも知れないけれど。


「先生らしくないですよ。ありがとうもごめんなさいも、俺が先生に言うセリフです」

「ふふ、そうかな? そうかも」

「そうなんですよ、きっと」

「そうだね、そういうことに、しておこうか……もう、見えてきてしまったしね」


 戻した視線、その先に。


「ようこそいらっしゃいました、長野仁様」

「お待たせして申し訳ありません、初音さん」

「いいえ、予定通りです。案内、ご苦労様でしたタカミ」

「ありがとうございます。では、僕はこれで……仁君? 頑張ってね」


 和服が似合う、目を疑うような美人さんがいた。

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