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第10話「マッチポンプ」

 踏み入った倉庫内は完全に真っ暗だった。

 都合が良い、と思うべきか。

 夜目が効くわけじゃないが、鼻は十分に効くし、見えない分余計にしっかり感じ取れる。


「……こっち、か」


 人の気配は無いがここに居たという残り香がある。

 足音を殺しながら匂いを辿れば、そこには。


「むーっ! むーっ!」

「あーったく! うるっせぇなこのガキはっ!」

「むぐっ!?」


 猿轡さるぐつわをされ、後ろ手で縛られている出雲鳴の姿と。


「おいおい、まだ取引は終わっていないんだ。無事であることをアピールするためにも乱暴はよせ」

「けどよっ」

「もうしばらくの辛抱だ」

「ち……あークソ、相手はまぁだ来ねぇのかよ!」


 苛立ちながら警棒のようなものをパシパシと叩く男と、苦笑いしながら拳銃らしきものを手元で弄っている男がいた。


「ぐむ、む、むーっ……」


 テレビで見た事もあるしあれが出雲鳴で間違いない。

 や、テレビ越しでも凛々しいと言うか勝気そうな人だとは思ってたけど、警棒で殴られた後まだ相手を睨みつけるとは、気が強いってレベルじゃねぇな。


「落ち着けと言うに。時間も、あぁ、もうあと30分といったところじゃないか」

「生きた心地がしねぇよ……しっかし、よくんな議員の娘なんてガキ捕まえられたよな」

「手引きがあったからな。人間も稀人も、探られて痛い腹はあるものらしい」


 手引き? ……こいつら以外にも仲間か協力者がいるのか?

 気になるところだが、後30分って言うのはその協力者か、別の誰かがここに来るって言うことだろう。


「はっ。まぁ、そういうもんだよな。おう、クソガキ。運が悪かったとは言わねぇよ、自業自得ってやつだからな」

「それはそう、としか言いようがないな。非治安区域なんて特級のヤベェ場所を探ろうなんて、バカでもしねぇ」

「むむっ、むむぅっ! むーっ!!」


 あぁいや、うん。

 随分とお怒りな出雲さんだが、ぶっちゃけそこに関しては俺も黒服さんの意見と同じだわ……って、まぁそれはいいとして。


 目的が気になるところだが、俺の仕事は出雲鳴を議員のところへ届けることだ。


「……ん? っ!? 誰――か、は」

「っ!?」


 流石に危ないのは銃を持っている人間だ。

 ということで先に一足飛びに飛び込んで勢いのまま腹を思い切り殴る。


「て、てめ――ぶっ!?」


 振り向きざまに警棒を振りかぶっている男へと回し蹴りを叩きこむ。

 躊躇なく相手を殴れるのは、先生に扱かれたおかげなんだろうな。

 嬉しく思うべきなのかはわかんねぇや。


「後遺症が残ったら、悪い」


 まぁ、生憎お互いこんな世界に生きている身だ、恨むなよとは言わない。

 どっかの誰かさんにも同じことを言った気がするけれど、な。


「っ!? っ!?」

「あぁ、アンタに何かするつもりはないよ。というか、一応助けに来たってことになるのかな? 父親が帰ってくるのを首を長くしてお待ちだぞ」


 崩れ落ちた二人を尻目に出雲鳴へと声をかければ。


「……むー」

「なんで不服そうな目を向けられるのかがわかんねぇよ。文句があるなら父親に言ってくれ」


 なんとも想像していたものとは全く違う反応を向けられてしまいましたとさ。

 あぁ、文句を言われたくもなければ抵抗もされたくないし、このまま運ぶか。


「むーっ! むーっ!」

「あーあー、うるさいって、暴れるなって。何をどう言われようがアンタは議員の下に連れて行く。それが俺の仕事だ、諦めるんだな」

「……むぅ」


 担いだ瞬間に暴れられたが、諦める他ないとわかってくれたようで何より。

 さて、届けるまでがお仕事だ。さっさとこんな場所からは離れ――


「――ふむ。これはこれはどうしたもんかのぅ」

「っ!!」


 ようとしたところで、目の前に。


「犬、いや、狼か? まぁ、何でもいい。ワシの仕事はその娘を引き受けること。悪いことは言わんから、娘を渡せ」


 身体中を血に染めた、初老の熊稀人が現れた。


「う、くっ……」


 本能がどうとかじゃない。

 出入口を塞ぐように立っているこの人から伝わってくる空気が言っている。

 明らかに、間違いなく、そして疑いようもなく。


「聞こえんかったかの? その娘を渡せといっておるんじゃよ」


 完全に、裏社会に在る存在だと。


「渡さない、と言ったら?」

「ほ? ほほほ、その時はそうさのぅ……己の無知を嘆くことになる、とでも言っておくかの」


 どういうことか開けっ放しになっている入り口から入ってくる風には濃い血の匂いを混じっている。

 状況的に、表に居た黒服たちはこの爺さんによってどうにかされてしまったのだろうか? だとするならこの人に敵だと思われたのなら、俺も。


「っ……一応、俺もコイツを家に帰すのが仕事なもんで」

「命令に忠実な様はまさしくイヌよの。いやいや誉め言葉じゃよ? その意気やよしといったところじゃ」


 からからとこの場にそぐわない表情で笑う爺さんは不気味の一言だ。

 熊稀人だって言うのに枯れ木のような体躯をしているのに、本物の熊と相対したかのような威圧感がある。


「出雲鳴」

「む?」

「ちょっとあっち行ってろ」

「むぅ? むっ! むぅううううっ!?」


 担いでいた出雲鳴を棚の後ろに放り投げる。

 悪いとは思うけれど、この人から目が離せない。


「ヤるのか?」

「是非遠慮したいところだけど。俺の仕事を邪魔するのなら、仕方ないよなって」


 自分で口にしてしまった通り凄く遠慮したい。

 相手が熊稀人だからなんて理由よりも、この爺さんが纏う強者の雰囲気だけで心がへし折られそうだ。

 それでも。


「まぁ、時間に余裕はあるしのぅ。どれ、少し早まったが相手をしてやろうかの」

「――そりゃ、どうもっ!!」


 足に力を入れて、腕を振り上げて、思い切り飛び込む。

 一足飛びの距離を一瞬で詰められることが、今のところ俺の最大の武器であり唯一の強み。

 速力と体重をしっかりと乗せて――


「ほーう?」

「つ、ぁっ……はぁ、く、そ」


 途中で無理やり方向を変えた。


「流石狼、鼻が良い」


 相手はただ片手を伸ばしただけだ。

 迎え撃とうなんて気配もなく、受け止めてやろうなんて意志も見えず、ただ腕を伸ばしただけ。

 だって言うのに、問答無用でヤバイと逃げてしまった。


「その直感は実に正しいのぅ。そうとも。お前の、狼程度の膂力で殴られようが蹴られようがワシはびくともせんよ」


 不敵に笑う爺さんの言葉は事実だろう。

 体格だけで言うのなら俺のほうが圧倒的に優れている、思ったように枯れ木のような身体を見れば折ることなんて容易いと思える、はずなのに。


「くそっ!!」

「あぁ、それも正しいのぅ。力で圧倒、打倒できないのであれば速さ。なるほどなるほど、確かにワシはそんな身のこなしなんぞできはせん」


 倉庫内の棚を利用して身を隠しながら相手の死角へと回り込む。

 目で追えない速度なんて無理だけど、この暗さと棚の多さを使えば。


「――獲った!!」


 背後、それも頭上から。

 これだけ完璧な位置取りもない、このまま無防備な首を狩るっ!


「じゃがのぅ。狼ほどじゃないが、ワシも……熊も鼻は良い方でな」

「なっ!?」


 振り切ろうとした脚を、振り向きざま無造作に掴まれて。


「ふんっ!!」

「ぐ、ぁっ……」


 床に叩きつけられた。

 なんつー、威力だよ、絶対どっか折れたぞ、これ……。


「未熟、未熟よのぅ。が、改めてその意気やよし、じゃ。元々この場もお転婆なお嬢様をわからせるための茶番にすぎんかったし、ヌシのおかげで目的は十分果たしたどころか小蝿の処理にも使えた、お釣りがくるってもんじゃろう。ヌシの献身に免じてここは譲っておいてやる」

「ちゃ、ばん……?」

「おうともさ。まっちぽんぷ? というんじゃったか? これはそう言う茶番だったのじゃよ。この件をヌシが嗅ぎまわっていることも知っておった。もっとも、ヌシの行動力と決断力を侮っておったがために少しタイミングを外したのは事実じゃが……その点は称賛しておこう」


 言ってる意味は、あまりわからない、っていうかわかりたくない。

 身体は痛いし、頭は回らないし、やるせなさみたいな気持ちで疲労感がひどいから。


「そう腐るでないわ。見込みありと言っておるんじゃよ」

「見込み、だって?」

「この世界に入ると決めたんじゃろう? ヌシの能力は腐らせるに惜しい、改めて覚悟が決まったのなら……黒雨会の門を叩け」

「……黒、雨会」


 そういや、先生は黒雨会の関係者とか言っていたっけ。

 あーあ……結局、どこまでがお試しだったんだよ、先生。


「言うまでもない事じゃが、そこの嬢ちゃんはヌシが無事に帰せ。ではな」

「……はい」


 去り行く熊の背中を見送りながら。


「やっぱ次会ったら、絶対ぶん殴ってやる。覚悟しろよ、先生」


 そんなことを、心に決めた。

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