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第8話「対価」

 先生と別れたその足で再び五反田へとやってきた。

 時刻は昼、まだ昨日の夜に比べたのなら街の雰囲気は健全だし、非治安区域を囲っている大きな壁がよく見える。


 あの時はカイル君にリードを引かれて考えを中断してしまったけど。


「改めて、どうするかな」


 まず、あのアパートに突入するのは微妙なところだな。

 本能に抗うことが成長に繋がるとは言われたけど、だからと言って何もかもを無視して突っ込むなんてことはできない。


 当たり前に自分の命はもちろん、出雲鳴にまでたどり着けない可能性があるからだ。

 そもそも本当に非治安区域に出雲鳴がいるか断言はできないわけで、いると見せかけて区域外にいるなんてことになれば笑えない。


「とはいえ、それをどうやって確定させるかって話なんだけども」


 彼女が消息を絶って今日で4日になるか、その期間で何があってもおかしくない。

 いっそのこと何者かに攫われたなんて話だったなら単純だが、身代金なんかの要求は議員のもとに届いていないしその線は薄いだろう。


 というか、今更ながらに出雲議員の動きは少しおかしいな。

 先生に依頼したとはいえ、動きがあんまりにも鈍すぎやしないか?

 そりゃあ出雲鳴の知名度を考えれば、表沙汰になったなら一騒動ってレベルに収まらないかもしれないけれども、自分の娘だぞ?


「いや、こういうところだな。俺と同じ物差しで考えちゃいけない」


 本能に抗うというか、自分の中にある常識を信じ込んではいけないというか。

 なかなかに難しい話だよまったく。普通じゃあなくなるって言うのは、本当に大変だ。


「なら、だ」


 結局のところ考えられるのは、非治安区域そのものに行く必要があったのか、非治安区域にいる何者かと会おうとしていたのかという部分がキモになる。


「……後者、か?」


 どうであれ議員の娘だ。

 正式な手続きを経て中に入ることは十分に実現可能だったはず。

 にもかかわらずその手続きをしようとしなかったのは、議員の娘という肩書を使って会えない相手と会おうとしていたということで、表沙汰にはしたくないという意図があったと思っていいだろう。


 同様に、出雲議員の考えはわからないにしても、先生を頼ったあたり表沙汰にしたくないという部分は娘と共通してある事実と思っていいはず。


 ならやはり、この五反田の非治安区域にいる、誰かに会おうとしていたという線が濃厚か。


「出雲鳴の匂いはあのアパートで途切れている。だが、もう一つの匂いは?」


 出雲鳴と重なった匂い。

 仲介者か、それともお目当ての人物か。

 どちらにしても携わった存在であることには変わりない。


「まずは、そっちか」


 どんな匂いだったのかは覚えている、急ごう。




 そんなわけでやってきたのが。


「く、くらぶ……」


 鼓膜を破らんばかりの大音量で派手な音楽が鳴り響く中、狂ったように酒を飲み踊り明かす人たちと、危ないお薬が駆け巡る空間だなんて素子は言っていたか。


 一生来ることはないだろうと思ってた場所、その幾つめかの前に俺は今、立っている。


 や、やべぇぞ、震えてきやがった……マジ、怖いです。


「ごくり……」


 けども尻尾を巻いてなんかいられない。

 そうだとも、本能に抗え、今こそ勇気を振り絞れ。


 素子……俺、悪い子になりますっ……!


「って、あれ?」


 入口のドアに立てかけられたクローズドの看板に目が点になる。


「いや、まぁ、そうだよな? ここもいわゆる夜のお店だもんな?」


 空を見上げればサンサンと太陽が輝いている。昼の世界って素敵だよな。


「じゃなくてだな。うーん……」


 件の匂いはこの中に続いているし、何なら確実に今ここにいるとわかるくらい濃いものになっている。

 その匂いが言っているんだ、自分は稀人ではないと。


「突入する、か?」


 中に何人かの匂いはあるが、そのどれもが稀人であることを否定している。

 何なら血の匂いや火薬といった危険物の香りもしないし、最悪暴力を振るわれそうになっても、暴力で応対することは可能だろう。


 ……我ながら物騒な発想をするようになったもんだ。

 これも先生曰くの排他性って本能なのかね? ならば抗うべきものになるんだろうか。


 って。


「っ!?」

「――っとぉ。オイオイ、オレ様はバイトも番犬も募集してねぇんだが? んな真っ昼間に店の前でナニ突っ立ってやがんだよ」


 人の気配に振り向けば、そこには短い金髪なムキムキ兄ちゃんがいた。

 ……こんな近くに来られるまで気づけなかった、なんて。


「あー? ったく、オレ様はこれでもクリーンな商売を心がけてんだ、ワッパの世話にならなきゃいけねぇことなんざしてねぇ。だからんなツラして睨んでくるんじゃねぇよ」

「す、すみません」


 不機嫌そうにガリガリと頭をかきながら、タバコを咥えていた口から大きく煙を吐いて。


「……はぁ。アイツの客か? ならオレ様が追い返すのはスジじゃねぇか……オラ、さっさと入りやがれ」

「え? あ、え?」

「んだよちげぇのか? どっちにしろ迷惑っつってんだよ。入るのか? 入らねぇのか!」

「はっ、入りますっ!」


 そう言って立てかけ看板をクローズドにしたまま金髪の兄ちゃんは。


「オウ。じゃあらっしゃーせ。オレ様……海道銀かいどうぎんのクラブ、シープヘッドへようこそってな」

「お、おじゃま、します」


 ドアを気取った様子で開けてくれた。




「キンッ! てめぇの客だぞ!」

「……予定にない。先に確認しろ。いつも、言ってる」

「あー? 知らねぇよ! 追い出すならテメェがやっとけ!」

「これもいつも。まったく」


 入った瞬間銀といったか兄ちゃんが叫んで、きん? と呼ばれた人が二階の手摺から顔を出した。

 薄暗くてよく見えないけれど、女の人……いや、女の子、か? 随分と幼い声だったけれど。


「はぁ……まぁ、いい。降りるの、面倒、だから。上がって」

「え、えぇと」

「あん? いいからさっさと行け。オレ様は忙しいんだよ」

「は、はい」


 わけが分からないまま階段を上ってみれば、高級そうなソファが並んでいる一画から小さく手招きしてくる人が見えた。


「ふぅん。犬?」

「え? あ、あぁ、狼、だよ」

「そ。なんでもいいけどね。座って。追い返す、気分じゃない」


 ものすごく気怠そうなピンク頭の女の子に促されて、やけに座り心地の良いソファへと腰掛ける。

 いや、えぇと?


「えーと、キン、さん?」

「シズク」

「は、はい?」

「キン。アイツが言ってるだけ。シズクで通ってる」


 な、なんだか独特な雰囲気の人だな……っていうか飲んでるの酒じゃないのか?

 え? 未成年にしか見えないけど? だ、大丈夫なのか?


「成人してる」

「うぐ……すみません」

「いい。慣れてる。そう見えても、仕方ない。それより、アタシに何か用?」


 つ、つかめねぇ……眼だけがトロンとしてるのに、表情自体に変化はまったくない。

 無表情って言ってもいいくらいだ、何を考えてるか全然わからないぞ?


 だけど。


「出雲鳴さんを探しています」

「……へぇ?」


 匂いが言っている。この人だと。


「対価」

「知ってるん、ですね?」

「知らないこと、あまりない。けど、タダで教えられること、まったくない」


 えーと、つまり。


「教えるに値する対価を寄越せと」

「ん」


 対価、か。

 わかりやすいのは金だろうけど、今すぐに用意できるような額で応じてはくれないだろう、何せ議員の娘についてだ、相応のモノを求められていると思っていいはず。


「言っとく。値段、決めていい。お金じゃなくてもいい。釣り合ってると思うなら、それでいい」

「……」


 や、やなタイミングで言ってくるな、まるで俺の心を見透かしているみたいな。


「見透かしてない。けど、見える」

「……シズクさんも、もしかして?」

「知りたいなら。それにも対価」

「うぐ」


 見た目から何の稀人なのかはわからない。

 単純に洞察力がすごいって可能性もあるが、何より今それはどうでもいいことだ。


 さて、出雲鳴を知ることに対する対価か。

 値段を決めていいって言うのはどういう意図だろう? どれほど知りたいと願っているかを測られているのだろうか。


 何にしても中途半端かつ微妙なものを提示してはダメだろう。

 俺が差し出せる対価は、何がある?


「……貸しを、一つ」

「……」


 あぁ、何もない。

 金もなければ力もない。

 出世払いにしてくれと言う他にない。


「……はい」

「え?」

「出雲鳴の居場所。書いてる」

「……はい?」


 まっすぐ見つめていたシズクさんの目が逸れたと思えば、小さなメモ用紙がテーブルに乗せられていた。


「いい、んですか?」

「モノ、知らないんだね。タダより高いもの、ないんだよ」


 そう言って、シズクさんは幼い容姿にそぐわない、物凄くあくどい笑顔を見せてくれた。


「……ありがとうございますっ!」

「いい。アタシ、昼ならここにいる。ちゃんと、返してもらうから」


 とんでもない借り受けをしてしまったかも知れないけれど、今はいい。


「いってらっしゃい」

「いってきますっ!」


 何を期待させてしまったのかわからない応援を背に受けて、シープヘッドを後にした。

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