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第7話「非治安区域」

 改めて、だが。

 非治安区域なんてものは言ってしまえば公然とされている裏社会だ。

 何せお国自らがどうにでもできないから押し込める、臭い物に蓋をってなやり方をしたんだ、誰もが知らないはずもない。


 あるいは、そうすることでここは危険ですよという認知を広めたとも言えるだろうが。

 それは結局稀人への印象をより悪くするってことにも繋がっているわけで、俺たち稀人からすれば中々にたまったものではない。


「非治安区域ねぇ……まぁ、詳しそうな知り合いなんて先生しかいないわけだけど」


 カイル君と別れた翌朝。

 非治安区域に入らなければならなくなるかは別として、ひとまず区域自体の情報が欲しいと先生を探しに新大久保までやってきた。


 流石にこの時間ならヒト待ちと間違われることもないだろう。


「と、思ってたんだけどなぁ」


 ヒト待ちって存在をしっかり認知してしまったせいだろうか、わかってしまう。


「目立つ場所でやるかやらないかの違いでしかなかった、と」


 ここ最近、ほんとに社会の見え方が変わる瞬間を味わいすぎて困る。

 確かに公園で声をかけたりかけられたりってのはないかも知れないが、人目につかない物陰でのやり取りはあるみたいだ。


 そう言うものだと意識してみるようになれば、本当にわかりやすい。

 少し歩いてこのあたりはそういうスポットだなと思って遠目で見ていれば、ふらりと現れた男と稀人が何やらやり取りを交わした後ホテル街へと消えていく。


「……はぁ」


 別に、嫌悪感があるわけじゃない。

 何せ人間同士でだってあることなんだ、むしろ考え方によってはこの前思ったように人間と同じ扱いをされているんだと言う見方だってできる。


「ある意味、だからこそなんだろうな」


 偽りの平穏とでも言うのか、それとも偽りの平等?

 経済的に困ってという理由が大多数だろうが、中にはそう言う偽りの温もりみたいなものを求めている稀人がいてもおかしくない。


「普通じゃなくなる必要がある、か」


 素子が眠ってから三日。

 たったそれだけの時間しか経っていないって言うのに。

 もう今見た光景に諦めみたいな感情しか湧いてこない。


 正義感みたいなものを持っていたわけじゃない。

 それどころか素子との日々ってヤツ以外にあまり興味もなかった。


 あぁ、そうだな。

 だからこそ、なんだろう。


「ショックを受けないで済むのは」


 あるいは、素子のことだけに集中できるのは。


「やめやめ……ん?」


 踵を返してマレビトムラへと向かおうとした時、不意に。


「先生?」


 先生の匂いが鼻先をくすぐった。

 このあたりに出てきているのだろうか? 出る前に連絡した時には何も言ってなかったけど。

 マレビトムラまで行く手間が省けたと思うべきか。続いているのがホテル街ってところが気になるけれど……先生もいわゆるお仕事中なのか? だったら邪魔をしない方が良いかも知れない。


「匂いが嗅ぎ取れる範囲の近くで待ってるか」


 一人でこういう区画に入るのは抵抗がある。

 そりゃもちろん男一人でこんなところに何しに来たんだって話なんだけども――


「ち、ちくしょおおおおおおっ!!」

「うわっ!?」


 裏路地から、ズボンを中途半端に降ろした小汚い男が転げそうになりながら出てきて。


「あーはっはっはっ!! まったく僕の美しさは罪だねぇっ!!」


 そのすぐ後ろから、マレビトムラで見たセクシータイプのチャイナドレスを身に纏った先生が現れた。


 ……えぇ?


「何、やってんですか? 先生?」

「うん? 仁君? そりゃもちろんヒト待ち少女をしていたんだとも」

「……少女?」

「くふふ。そうだとも、少女さ。現に、あの逃げ出していった男は僕のことを少女だと思っていたはずだよ? そう、さっきまではね!」


 どうも、俺はまだまだ普通の人間、もとい稀人の中にいるらしいと。


「おやおやどうしたんだい仁君。元気ないようだが?」

「……いえ。裏社会の普通は遠いな、と」

「そうなのかい? まぁ、まだまだだと驕らない謙虚な姿勢は良いことだが、卑屈にはならないようにね!」

「ええ、まぁ、はい、ありがとうございます」


 平べったい胸を誇るように張った先生を見て、思い知った。




「――なるほど、ねぇ。出雲鳴は非治安区域に興味があったと」

「状況証拠、それも形のない証拠ですから断言はできませんが」


 近くのファミレスに入って先生と向き合う。

 店員には嫌な顔をされるかなと少し心配していたけど、先生のことを可愛いとか言ってなんか、こう……うん、問題なかった。


「そうだね、断言はできない。けど、非治安区域への侵入方法を探るためにガラの悪い人間と接触を図っていた。僕もこれは本筋だと思う」

「ならやっぱり出雲鳴は今、非治安区域にいると」

「あくまでも可能性だけど、高いとは思うね。まったく、とんだお転婆なお嬢様だね――あぁ、ありがとうお嬢さん、とても美味しそうなケーキだね。キミと一緒に食べてしまいたくなるくらいだ」

「ひゃ、ひゃいぃ」


 ま、まじめな話をしてるつもりなんだけど? 先生的にはこんなのシリアスになる必要もない、とか?

 あぁもう、俺の目の前で店員さんの尻を触るな尻をっ!! あんたも! 頬染めてんじゃねぇ!


「うん? 仁君? お腹でも痛いのかな?」

「ハラは大丈夫ですけど、どちらかと言えば心が痛い、ですかね?」

「ふぅむ。すまないね、寡聞にして心の病をどうこうすることはできないよ」

「ええ、はい、うん、気にしないで、下さい」


 心も頭も痛いんだけど。え? これどうしたらいいの?


「ともあれ、だ。一度こうして僕のもとに帰ってきたのは英断だ。その場の勢いで仁君は突入するかもしれないと思っていたんだよ」

「っ……先生、もしかして」

「うん、出雲嬢が非治安区域に興味を持っていたことは知っていたよ。重ねてすまないね、試していたんだ」


 さっきまでの空気はどこへやら。

 にやりと笑って視線を向けてくる先生は、マレビトムラで出会ったタカミと同じ雰囲気を纏っていた。


「お使いみたいな、とまでは言いませんが。無駄なことをさせるなんて、先生らしくありませんね」

「無駄? とんでもない。こうしてここで仁君と会えたことがその証明だ。以前のキミなら、ホテル街にいる僕の匂いに気づけることなんてなかっただろう?」

「あ……」


 にやけ顔をそのままに、先生は確信を持って言っていた。

 確かに、こんな雑多であまり嗅ぎたくない匂いの中から先生のものだけを嗅ぎ分けて気づくなんて、少し前の俺ならできなかっただろう。


「順調に人間離れ……いや、普通離れし始めてくれているようで何よりだ。稀人の力は成長するのだよ、それこそ天井知らずにね。そんな稀人や、人間の常軌を逸した人間がひしめき合うのが裏社会なのさ」

「俺の、稀人としての能力を高めるために必要だったから、無駄ではなかったと」

「そうとも。今のキミがどういう成長をしたのか具体的にはわからないが、少しだけ成長したキミだからこそ見えるものがあるはずだ」

「……」


 どういう成長をしたか、か。

 自分で言ったように、こんなお使いみたいな仕事でした成長なんて知れているだろうけど。

 それでも、あの時。ボロアパートの前に立った時。


「匂いに、形がつきました」

「ほう?」


 そうだ、見えた。

 僅かどころか、まじりっけなしの犬にしか嗅ぎ取れない匂いに気づけて、その匂いが人の形を作った。

 それだけじゃない、匂いからその人の感情らしきものまでも嗅ぎ取れた。


「でもこの力でどうやって出雲鳴へと辿り着いたものやら、って感じですが」

「ふむ、なるほど。言っていることはわからなくもないけれど、敢えて聞き返そう。本当にそうなのかな? と」

「そう、なのか、って」

「稀人の力は本能を刺激されることで成長する。キミは狼稀人だ。耳と鼻が良く、身のこなしに優れている。そして家族を、仲間をとても大事にするという習性……いや、本能を持っている」


 先生は何が、言いたいのか。


「わからないフリはやめなさい。だが、そうだね、はっきり言ってあげよう。もしも非治安区域に素子君がいるかもしれなかったのなら、キミは無理無謀を承知で突入していただろう」

「そんなの当たり前です! い、いや、すみません……つまり、何を言いたいんですか?」

「重ねて言うよ? わからないフリはやめなさい。家族、身内、仲間以外の存在如きにリスクを背負って行動したくないとキミは思って、ここに引き返して来たんだよ」

「っ……!」


 自覚は、ない。

 あのアパートの前で準備不足を感じたのは本当だ。

 それでも、そう言われてしまったのなら。

 準備不足を言い訳に、見捨てようと判断したと思われて仕方ないのかも、しれない。


「なんて、ね。ごめんごめん、言い方と雰囲気が少し悪かったね」

「え……?」

「先にも言ったけど、これは仁君にとっての本能だ。排他性、とでも言うのかな? ラインの外にいる存在へ興味が沸きにくいのは仕方のないことだし、外に興味がわかない分身内のことを大切にする。素子君のことをどれだけ大切にしているかなんて、僕じゃなくても誰だってキミを見ればわかるからね」


 先生が笑顔の種類を変えた瞬間、雰囲気も変わった。

 ……それこそ自覚なかったよ、めちゃくちゃ恥ずかしい。


「先に言ったけれど、稀人は本能を刺激することで力を成長させる。これもまたキミにとって本能に抗うという意味での刺激だ。だからこそ英断だと言ったし、試しとも言ったんだ。抗いたまえよ仁君。キミは今、本能と戦っているんだ。出雲鳴の捜索がどうのという次元にはいない」


 あの時聞いた警鐘は、危険を知らせる音色ではなく、本能が鳴らした誘惑の音だったと。


 それも、そうか。

 言わされた感はあったけど、仮に出雲鳴ではなく素子だったのなら。

 もっと必死になっていたし、危険がどうのなんて一考の余地すらなかっただろう。


 本能に抗う、か。

 カイル君には、悪いことをしたな。今度しっかり謝って、好物でも奢らないと……いや。


「出雲鳴を、無事に帰してやるってことで許してくれな、カイル君」

「ふふ、いい顔をするじゃないか仁君。ちょっと、疼いてしまうよ」


 ……いやほんとこの人は。

 いやいや、そうだ、本能に抗えとかなんとか言ってたこの人だ。


「もしかして、先生がヒト待ち詐欺しているのは訓練とかそういう意味があってのことなんです?」

「へ? いや? 趣味だけど?」

「……この仕事終わったら絶対殴るんで」

「はっはっはっ! ベッドの上で頼むとこの前言ったばかりだよ! いやぁ! 楽しみだねぇ!」


 まぁ、いいや。

 こんなことしている場合じゃない、している場合じゃないと気づけたんだ。


「動きます」

「うん、頑張っておいで」


 無駄にした分を取り返しに行こう。

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