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第2話「マレビトムラ」

「ふ、ぅ……」

「にゃ、にゃあぁん……」


 全速力であの場から走って来た結果、抱えていた猫稀人さんが目を回してしまったから、適当に入った人気のない公団地の小さな公園にあるベンチで座って休んでもらった。


 マンションには灯りがついている部屋のほうが少ないし、俺たちみたいな稀人が居ても大丈夫だろう。


「大丈夫か? 重ねて悪い、そう言う趣味だったのなら余計なお世話だったろうけど……」

「う、にゃ……ん、んっ。ううん、あちきにそう言う趣味はにゃいし、助かったにゃ、ありがとうにゃ」


 ほっぺをぺちぺちして、気を取り直したらしい独特な……というには猫を主張しすぎな話し方をする稀人が小さく頭を下げてきた。


「なら、良かったよ。っていうか、そういう目的じゃないなら恰好と通り道くらい選んだ方が良かったんじゃないか?」

「ん、んにゃ、迷惑かけた身でこんなこと言うのもアレにゃんだけど。あのあたりはヒト待ちの縄張りじゃなかったにゃしよ。格好は……その、こっちのが動きやすくて」

「ヒト待ちの縄張りじゃなかった?」

「あぁ、おにーさんはこの辺りのヒトじゃにゃいのね。そう、元々ヒト待ちはもっと隠れた場所で昔からあったにゃ。けど、最近そういう昔ながらのルールを無視してヤっちゃうヒトが増えてきてにゃぁ……」


 なるほど? その結果がSNSのトレンド入りってことかな。

 表への浸透、一つの形って言うところだろうけど、見方を変えればそれだけ稀人が色んな意味で飢えているということなのかもしれないが。


 いや、それはいい。

 棚ボタではあるけれど、どうやらヒト待ち少女のことに多少詳しそうな人を捕まえられたんだ。

 先生とヒト待ち少女にどんな繋がりがあるのかはわからないけれど、もしかしたら何か知っているのかも知れない。


「なぁ? って、えぇと」

「まきにゃにゃ」

「……まきにゃ?」

「違うにゃっ! まーきーにゃ! にゃっ!」


 うん?

 え? もしかしてその語尾につくにゃって奴は別にキャラ付けとか狙ってるわけじゃないとか?

 あー、だったら、もしかして?


「まきな?」

「そーにゃっ! あちきは猫塚真紀奈ねこづかまきにゃっていうにゃっ!」


 わーお、名前にまで猫ついてら。

 そのうち、にゃってのがゲシュタルト崩壊しそうで怖いな。


「わかった。俺は長野仁って言うんだ、長野でも仁でも好きな方で呼んでくれ」

「わかったにゃ! にゃら、仁って呼ばしてもらうにゃし! あちきのことはまきにゃって呼んでくれていいにゃしよ!」


 しっかり回復してくれたのか、握手に込められた力はしっかりしている。

 助けたからか、それとも稀人同士だからだろうか。

 猫稀人にしては警戒心があまり伝わってこないし友好的に思ってくれてるようだ。


「じゃあ真紀奈、聞き覚えがあったならで良いんだけど、タカミって稀人を知らないか?」

「ふにゃっ!?」


 とか思っていたらずざっと後退り距離を取られた。

 ご丁寧に尻尾まで逆立てられてしまったけれど、なんでだよ。

 けどまぁ、なんだ。


「知ってるんだな」

「フーッ……!」


 隠し事が出来ない性格なんだろうな。

 もう少し突っ込んで言えば、自分が隠し事に向いていないと理解できている人とでも言うべきか。

 警戒心と、一握りの殺意に近い攻撃的な雰囲気が伝わってくる。


「信じてもらえるかはわからないけれど。タカミさんは俺の先生……って言っても、俺が勝手にそう呼んでいるだけで、実際には姉の友人で、俺とは知り合い程度の仲なんだけどな」

「その、姉のにゃまえはなんにゃ?」

「長野素子」

「っ!!」


 素子の名前を口にした瞬間、真紀奈の警戒が一瞬で解けた。


「……ごめんにゃさい。うん、知ってるにゃ。長野って苗字を聞いてもしかしたらって思ってたけど」

「そっか。素子のことも知ってるのか」

「知ってるどころか――うぅん、もう一回ごめんにゃさい。あちきから言えることは何もないにゃし」


 口よりも態度が雄弁に語るってのはこういうことだろう。

 あぁ、複雑だな。

 素子が何の仕事をしていたのかは未だにわからないけれど、仕事かプライベートかで俺以外の稀人とかかわりがあったってことはよくわかった。


 どういう繋がりかと問い詰めたい気持ちはある。

 けれど、真紀奈は決して口を割らないだろう、そういう雰囲気があった。


「……タカミ。いや、先生の居る場所、知ってるか?」

「ん……そうにゃしね。仁にゃら、教えてもいいのかもしれにゃいにゃ」

「何を教えてくれるんだ?」

「マレビトムラ」


 マレビトムラ。

 そう言った真紀奈はくるりと背中を向けて。


「ついてくるにゃし」

「ついてこないでって意味か?」

「むぅ。ついてこいって意味にゃしよ」

「わかった。ありがとう」


 猫稀人らしく、音もなく歩き始めた。




「――仁も知ってるだろうけどにゃ。あちきたち稀人は、この世界では生きにくいにゃ」

「そうだな。割とぬるま湯で育ってきた俺が言うのは憚れるけれど、少しはわかるよ」


 何処をどう歩いて来たのか、いや、飛んできたのか。

 さも当たり前の如くビルの間を三角飛びして屋上に昇ったり、普通に道路を歩いたり。

 教えると言った割には、覚えさせる気のない案内の仕方について行く。


「ヒト待ち少女っていうのも、元々身元保証人がいない稀人……つまり、共生会に通えなかった稀人が生きる手段の一つだったにゃ」

「あぁ。それも、なんとなくわかる」


 誰が好き好んで人間の玩具になりたいと言うのかって話だ。

 のっぴきならない事情があるからこそ、そう言う手段しか残されなかったなんて、容易に想像できる。


「少し前までは、さっきも言ったけどもう少しマシだったにゃ。ちゃんと縄張りがあって、ルールがあって。その中でならまだそれなりに生きていられたにゃ」

「今はそうじゃないって?」

向田組こうだぐみ

「……あぁ」


 誰もが知っているだろう、近年になってから色々と黒い噂が絶えなくなっている東京最大の裏社会組織だ。


「ヒト待ち少女の縄張りでショバ代を絞り上げ始めたにゃ。だからヒト待ち少女たちは縄張りの外に出るしかにゃくにゃって……結果、ルール無用の乱暴な玩具扱いを受けて糧を求めなきゃにゃらにゃくにゃった」

「……そう、か」


 昔からアンチ稀人の代表的組織ではあったらしいが。

 そうか、最近になってからは稀人を食い物にし始めたってことなのか。


「だから、あちきらは避難場所、セーフハウスって言うのかにゃ? そういう場所を作ったにゃしよ」

「それがマレビトムラ?」


 返事の代わりにか、真紀奈が振り向いて頷いた。

 いつの間にか周りはさっき居た団地よりも静かで、人の気配を感じない。


「ここにゃ」

「この廃ビルがマレビトムラなのか?」


 真紀奈の後ろにあるのはオンボロもいいところで、今にも崩れそうな廃ビルが建っている。


「ここには昔、違法賭博場があったにゃ」

「違法賭博場……たまにニュースか何かでやってるけども、そういう?」

「大体あってるにゃしよ。想像のにゃん倍も、血生臭いギャンブルだったらしいけどにゃ」


 少しだけ困ったように真紀奈が笑った。

 なんでそういう笑顔を浮かべたのかはわからない。

 それでも多分、俺なんかよりもずっと稀人の過去だなんだを知っているんだとは理解できる。


「一つ、約束して欲しいにゃ」

「約束?」

「絶対に、この場所を誰にも教えないって」

「……わかった。約束する」


 そう言った俺を、真紀奈はじっと見つめた後。


「ん。ありがとうにゃ」


 今度は嬉しそうに笑ってくれた。


「じゃあ、入り方を教えるにゃし。こっちついてくるにゃ」

「あぁ」


 二人で廃ビルの中に入っていく。

 正直、本当にあるのか? なんて思ってしまうほどに埃っぽい。

 それでも、真紀奈の足取りはしっかりしていて、この先にマレビトムラがあると疑えない程真っすぐに。


「ここにゃ」

「……何もないけど?」


 プレートには辛うじて103号室と書かれているのが読める部屋に入った。

 当然、と言ってはなんだけど中には何もない。ただ誇り塗れの床が広がっているだけだ。


「慌てるにゃし。えっと、折角だから仁にやってもらおうかにゃ? あちき、痛いの嫌にゃし」

「痛いの?」

「ちょーっとだけにゃ。先っぽ、先っぽだけで良いにゃしよ」

「言い方」


 人差し指を立てて先っぽだけって何のジェスチャーだよ。


 なんて思っていたら。


「かぷ」

「っ!?」


 少しだけ離れていた距離がすっと詰められて、俺の指先を噛まれた。


「ぷぁ。ん、ちゃんと血、出たにゃしね」

「……言い方もそうだけど、少し脈絡が無さすぎる」

「まーまー。それで、その血が出た指で……ここ。ここに触るにゃし」

「正直に言って触りたくないレベルで汚いんだけど?」


 綺麗好きな俺としては断固として反対する所存だが。

 まーまーと背中を押してきた真紀奈に言えるわけもなし、仕方ない。


「う、おっ!?」

「にゃふふ。やっぱりハジメテの人の反応はたまらんにゃしにゃぁ」


 ゴゴゴ、というかズズズ、だろうか。

 床の一部がハッチのように開いた。開いた先には。


「地下、か」

「そそ。それじゃ、行くにゃ」


 何の気負いもなく階段を降りていく真紀奈に続いて、少しドキドキしながら足を動かす。


 マレビトムラ、ね。

 稀人達のセーフハウス、避難所と真紀奈は言ったけどそれがそのまま真実だと言うのなら、この先には東京から、日本から、世界から逃げて来た稀人達がいるということなのだろう。


 先生の居る場所として俺はここに連れてこられてきた。

 けど、先生は現実から逃げるような人だとは思えない。


 なら、先生がここにいる理由って言うのは。


「みんにゃーっ! ただいまにゃあああっ!」

「あ、まきにゃー! おかえりー!」


 最後に大きめのドアを開いた、その先には。


「へ?」

「にゃふふー。やっぱりハジメテの人の反応はたまらんにゃしにゃぁ! 先に言っておくにゃ? ここ、地下にゃしよ!」


 もう夜だと言うのに、日の灯りで照らされたかのような、緑豊かな光景が広がっていた。


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