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第1話「ヒト待ち少女」

 俺たち稀人はこの世界で生きにくい。

 それはたとえば共生会に通って、修了書を取得しなければ企業に就職することが難しいという事実が代表的な例だろう。


 ただ、その共生会に通うということすら多くの稀人には難しかったりする。

 人間の身元保証人がいなければ共生会には通えないし、何なら人間に比べて倍近い授業料を納める必要があるからだ。


 だから一般的にこの日本で共生会へと通うことが出来ている稀人は、日本に存在する稀人の総数、半分以下であると言われている。


「新大久保……ここで、ヒト待ち少女とやらが多発してるらしいけど」


 じゃあ、通えなかった稀人はどうやって生きているのか。

 その答えの一つが、どうにもヒト待ち少女という職とは言えない生き方らしい。


「普段からあんなに嫌そうな顔されてるってのに、都合良いもんだよ」


 人間の趣味嗜好に文句をつけるつもりはあまりないけれど、都合が良いもんだとは思う。

 けど、素子のような人間だって少ないながらもいるわけだし、人間の全てが稀人を嫌っているわけじゃあないのかも知れない。


 あるいは。


「社会的弱者を見下して、ヤな優越感みたいなモンにでも浸ってるってか? ……やめやめ、胸糞悪くなるだけだ」


 大きく深呼吸して気分を切り替える。


「それにしても」


 東京で素子に引き取られたとはいえ、共生会と家の往復ばかりだったし、こっちの方へ出てくるのは始めてだな。駅から出てみれば、まだ夕方だってのに少し暗い雰囲気と言うか、独特の空気が流れている。


「なんだろう。この感じ」


 何となく、落ち着かない。

 街行く人間は、通学路で見かける人達と変わらないはずなのに。


「う……」


 いつもより多く、帰宅途中の社会人たちの視線が俺を掠めていく気がした。

 一応、いつも通りニット帽で耳は隠しているし尻尾だって目立たないようにズボンに隠している。

 ぱっと見は人間と変わらない容姿のはずだし気のせいだろう。慣れない場所に来たから変な感じがするだけだ。

 とりあえずネットで見つけた発見情報の場所に向かうとしよう。




「だー……全然、見つかんねぇ」


 色々歩き回ってみたけれど、先生の匂いどころかヒト待ち少女らしき稀人すら見つからない。

 3時間くらいぶっ通しであてもなく歩き回るってのは精神的に辛い。

 体力的には全然問題ないが、そろそろ何か手がかりを掴めてもいいと思うんだけど。


「21時、か。そろそろヤバいな」


 何よりもうすぐ22時だ。

 東京で身の安全が保障されているのはその時間まで。

 22時以降は暴走族やらギャングやらが跋扈する世界に切り替わる、それはここ新大久保も例外じゃあないだろう。


「まさしく表と裏が切り替わる瞬間ってやつなのかもしれないけれど……そういや素子はいつも22時過ぎてから帰ってきてたにもかかわらずよく無事だったな」


 俺自身22時以降の世界ってやつに詳しいわけじゃない。

 踏み入ったことがあるとすれば、帰って来た素子がビールを切らしたからコンビニに買いに行ったことが一度あるくらいで。


「たったコンビニの往復だけでヤンキーに絡まれる程度には面倒くさい世界と言えばそうだけど」


 挙句買って帰ってきたら素子は寝てたし。何か思い出したら腹立ってきたな……。


 しかしまぁ、普段は敬遠されている俺たち稀人にとっては生きやすい世界なのかもしれない。

 喧嘩を売って来たヤンキーは俺が稀人だとわかっていた上でだったから。ひいては人間だろうが稀人だろうが平等に扱われていると言うことなんだろうし。


「いや、思い出に浸ってる場合じゃないな。今日は一旦切り上げないと……って、うん?」


 座ってた公園のベンチから立ち上がって、気づく。


「人、多いな?」


 もうすぐ22時だと言うのに人間、特に男の数が全然減らない。

 それに加えてなんだろう、掠める程度にしか感じなかった視線が、しっかり見られているとわかるくらいになって来た。


「あの」

「うん? どうしたんだい?」


 我ながら自分から、いや稀人から人間に話しかけるなんて大胆なことをと思いながら、俺を見ていた男の人に声をかけてみれば、思っていたよりずっと優しい声で返事をしてくれた。


「えぇと、ヒト待ち少女とかって、知ってます?」

「……あぁ、お前、同専? 期待して損したよ、さっさと消えてくれ」

「え?」

「んだよ、折角イイ男だと思ってたのによ……」


 さっきまでの雰囲気は何処へやら、露骨に不機嫌だと顔に描いた男の人が肩を怒らせて離れて行ってしまった。


 同専? なんだ? なんて意味があるんだ?

 っていうかイイ男ってどういう意味だよ、背中がぞわっとしたっての、ぞわっと。


「ねぇ?」

「え? あ、はい?」


 今度は声をかけられた、しかも振り向けばちょっと香水と酒の匂いがキツイけど美人な女の人だ。

 素子以外の人間の女に声かけられたのなんて初めてだよ……。


「ちょっとフライングだけど、あなた人気そうだし許してね?」

「フライング? 人気って、いや、何の?」

「……うわマジ? 初モノ? まじか、まじかー! お酒の勢いってすげー!」

「いやあの? お姉さん?」


 ちょっと、いやかなり意味不明だ。

 急にテンションをあげた目の前の人が少し怖い。


「あっとー……んーん、うん、ごめんごめん。ちょっとラッキーが過ぎてさ、怖がらせちゃったね? お詫びにご飯奢るから、ね?」


 そう言いながら、捕食者のような目の色に変えて俺の腕を取ってくる。

 怖い。なんでそう思ったのかは理解できないけれど、人間を怖いと思ったのは初めてだ。


 でも。


 ――キミが普通ではなくなることが必要だ。


「――はい」


 まず間違いなくここからは普通じゃない道が続いていると実感したから、女の人の誘いに小さく頷いた。


「うおっしゃいっ! あ……あはは、ごめんごめん。それじゃ、そうだね。先にご飯行ってから、ゆっくり、ね?」


 あぁ、なんでだろう、怖くなくなった。

 身体を寄せて密着されて、初めて素子以外の女の人を感じたけれどなんとも思わない。


「お姉さんは、いつも?」

「いつも、って程じゃないけど。まぁ、お酒の後はそれなりに……って、そう言うの聞くかー?」

「気を悪くしたのならすみません。その、初めてなもので、色々勝手がわからなくて」

「あ、あぁ、うぅん、お姉さんが悪かったからそんな悲しそうな顔しないで? イケメンにそんな顔されたら我慢できなく……じゃなかった、お姉さんも悲しくなっちゃうから」


 一見したら普通のOLって雰囲気だけど、にもかかわらずそれなりという頻度でここに来る。

 どう捉えるべきかね、安く買い叩かれてると考えるべきか、それとも。


「そ、それよりさ。キミは何の稀人なのかな? その帽子、取ってよ」

「……他の人にも思いましたけど、よくわかりましたね? わかりやすいです?」

「慣れとしか言いようがないけど、私は稀人だってわかる程度だよ。もっと凄い人は何の稀人かだってわかっちゃうみたいだよ。って、わぁお。いいじゃん、犬? 狼? どっちにしても最高だね」

「あはは、ありがとう、ございます」


 帽子を脱いで耳を露出すれば、絡めとられた腕に籠る力が増した。

 ヒト待ち少女って聞いていたから女だけかと思っていたがなるほど、男もその枠に入っているらしい。

 だったらここで稀人であることを隠す必要もないか。


「あ、ちょっと待ってくださいね」

「うん?」

「いえ、隠す必要が無いなら――よ、っと」

「ふ、ふぉおおっ!?」


 いかん、ちょっとサービスしすぎたか?

 爪で尻尾の通し穴を作ってズボンの中に入れ込んでいた尻尾を取り出せば、興奮した声をあげられた。


「ヤバ……え? てかマジ? イケメンで狼の初モノ? しかも無自覚に色気やっば……私、今日死ぬの? なんなの?」


 若干お目々をぐるぐるし始めた女の人に笑いが出る。

 やりやすい、なんて腹黒い笑いが多少混じってるけれど、それ以上に。


「あぁ、隠さないで、良いんだな」


 この人から向けられているのは欲望だろう。

 それでも、疎ましがられないということがこんなにも気が楽になるものだとは知らなかった。


 素子は特別だ。

 特別以外の人から、ある面において自然な扱いを受けられるなんて。


「お姉さん? 俺、肉とか食べたいです」

「ふえぇっ!? よ、よよよよよっしゃっ! お姉さんに任せなさいっ! ちょ、丁度いいお店、知ってるからね!」


 なるほどヒト待ち少女。

 生きていく上で必要な糧の中には、こういう感情もあるのかも知れない、なんて。


「はい、期待してますね」

「う、うぐっ……それは私のセリフ、だぞ? ご飯の後、期待してる、から」


 そう、思ってた。


「――おらっ! さっさと来いや!」

「や、やめて、ほしいにゃ!」


 不意に、争うような声が聞こえてきて、目を向けるとそこには黒い猫耳を茶髪の上に乗っけた稀人が、顔を赤らめた小太りの男に無理やり手を引かれている光景があった。


「あー……もっとスマートに出来ないかね、ほんと酔っ払いは。って私が言えることじゃないか」


 そして、それを冷めた目で……いや。


「よくあること、なんですか?」

「そりゃあね」


 見慣れた光景だと言わんばかりに、隣でつまらないものを見る目を向けているお姉さんがいて。


「っていうか、イヤがるから余計に喜ばせるってわかんないかな。あの猫さんもバカだねぇ」

「バカ、って」

「あぁ、気分を悪くしたよね、ごめん。けど、折角買ってあげてるんだがら、それこそ犬にでも噛まれたと思って大人しくしておけばいいのに」

「……」


 まぁ、確かに。

 今もなお抵抗している猫稀人の女の子は、残暑がまだ続く中とは言ってもヘソ出しショーパンルックで。

 こんな夜にそんな恰好で出歩いていたのなら、そういうことを待っていると思われても仕方ないのかも知れない。


 だけど、あぁ、なんだろう。

 うん、結局は、そうなんだって。


「あっ、もちろんキミは別だよ? 私にいっぱい噛み噛みしてね? ペロペロだっていっぱいしてね? たっぷりご馳走してあげるから、その分ちゃんと頂戴ね?」


 表だろうが、裏であろうが。

 俺たちは、稀人は。やっぱり、どうしたって人間の下に在るらしい。


「……ええ、そうです、ね」

「んふふ~。言質、ゲットー! じゃ、行こうか」


 わかった、わかってしまった。

 だから。


「お姉さん?」

「うん? 今度はなぁ――うっ?」


 振り向きざまに首筋へ手刀を落とす。

 ドラマかアニメの見様見真似でしかないけれど、思った以上に人間の意識を刈り取るのは簡単だった。


 力なく崩れ落ちる身体を受け止めた後、出来るだけ優しくベンチに寝かせてあげて。


「ちょっとした夢、見せてくれてありがとうございます。そして、現実を教えてくれて、ありがとうございます。もしも、後遺症とかが残ったのなら、すみません」


 小さく一礼した後に。


「じゃ、ヨーイ……ドンッ!」


 抵抗を諦めた様子の猫稀人へと向かって走り。


「なぁっ!?」

「にゃあっ!?」

「――そういうプレイか趣味だったなら悪い」


 獲物を攫って奪うことにした。


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