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梦視侘聖愛
現代ファンタジースーパーヒーロー
2024年09月19日
公開日
22,155文字
連載中
テスト公開なので後で削除します

第1話

 ぽーっと、湯船に浸かったつばさは、今日のことを思い出していた。


『じゃあ迷子にならないようにしないとね』


 旧校舎に入ってきた二人に気付き、心配して声をかけてくれたそう先輩。翼が転校生であると聞くと、そう言って翼の手を握って歩いてくれた。


『じゃあ俺はこれで。もう危ないことしちゃ駄目だからね?』


 最後にぽんぽんと翼の頭を撫でて立ち去って行った爽先輩。わざわざ送ってあげたことを偉ぶるでもなく恩着せがましい態度を取るでもなくただ優しく笑った。


「あ〜も〜格好良すぎるよ〜!!!」


 バタバタと、お湯の中で足をばたつかせる。父親の仕事の都合で転校した初日に、まさかあんなに格好良い人に出逢えるなんて思ってもいなかった。


「もう一人の魔法少女の聖愛まりあちゃんも優しい子だし、協力して怪物を倒すのも上手くいったし、爽先輩には出逢えるし……! 今日は良い日だよ〜!」


 うーんと伸びをした翼は、今日一日の成果を喜ぶ。本当に良い日だった。祝杯でもあげたい気分である。きっと大人なら、こういう時はお酒を飲むのだろう。


 鼻歌を歌いながらお風呂を上がった翼は、バスタオルで身体を拭きながら「あれっ、そういえば……」と今日の体験入部中の会話を思い出す。


『明日は良かったら男バスのマネージャーの体入してみてよ! 駄目?』


『駄目じゃないです! 明日はそうします!』


『やった! 約束ね』


 そう言って指切りをしたのだ。差し出した小指に小指を絡め、先輩が指切りをしてくれた。


「明日……明日!? 明日、私男バスのマネージャーになるって約束をしちゃった〜!!」


 思い出して、急に心がわたわたと慌て始める。ドキドキと胸が高鳴る。誰かにこの感情を伝えたくて堪らない。


「ねぇルビー!」


「言っとくけど、あの“ソウセンパイ”とかの話なら聴かねぇから」


 急いでパジャマを着て部屋に戻ると、ベッドの上で不貞腐れたような態度をとっているルビーは冷たく言い放つ。


「もう! ルビーの意地悪!

 どうしてそんなに先輩に対して冷たい態度を取るの?」


 髪を乾かそうとドライヤーのコンセントを差し込みながら、翼は一年苦楽を共にしてきた相棒がまるで取り合ってくれないことに不満を覚え頬を膨らませる。しかしルビーはかたくなだった。


「あんな男のどこがいいんだか……」


「だってだって! 格好良いじゃん!」


「俺だって格好良いだろ!?」


「ルビーは兎じゃん?」


「人間にだってなれるっての!」


 「ほら!」と言いながら、ルビーは兎の姿から人間へと擬態する。翼は「でもルビーはルビーじゃん!」と意見を変えない。


 ドライヤーで長い黒髪を乾かしながら、翼は明日のことと爽先輩へ思いを馳せる。


「はぁ〜明日は爽先輩の格好良いシーン沢山見れちゃうのかなぁ……! でも、マネージャーだもん、仕事はしっかりしなきゃ爽先輩困っちゃうよね! 頑張るぞ〜!」


 「おー!」と一人拳を上げる翼は、遠足前夜の子供のような気持ちになっていた。髪を乾かし終えドライヤーの熱が引いてからコンセントを抜いても、ルビーはまだ人間の姿のまま翼のベッドに居座っている。


「もし仕事のできる子だって認めてもらえたら、また頭ぽんぽんしてもらえるかも……!」


「頭ぽんぽんぐらい俺するし!」


「ルビーのはなんか違うの!!」


 翼はこの気持ちを誰かに伝えたくて、「そうだ!」とコンパクトを手に取る。蓋を開き左側に埋め込まれた水晶玉を撫で、翼は聖愛へと通信を飛ばした。今まで魔法少女は一人だったし、家庭環境のせいで友達も作れなかったからこういう時の話し相手はルビーしか居なかった。しかし今は違う。今日出来たのだ、新しい友達が。


〈——……もしもし? これ、本当に翼に聞こえてるの?〉


「! 聴こえてるよ聖愛ちゃん!」


〈わっ、ビックリした。本当にコンパクトで通話が出来るのね。緊急時用ってこと?〉


「多分ね。それより聴いてよ聖愛ちゃん! 明日が楽しみすぎて寝れないの! 緊張もするし、もうワクワクだよ〜!!」


〈あらあら、もしかして男バスのマネージャーの件?〉


 くすくすと、コンパクトの水晶玉から楽しそうな聖愛の笑い声が聴こえた。「そうそう!」と頷けば、〈翼は本当に爽先輩が気に入ったのね〉と微笑ましげな声がする。


「爽先輩が誘ってくれて本当に嬉しかった〜! 聖愛ちゃんは嬉しくないの?」


〈アタシは、うーん……爽先輩は、良い人だと思うよ。優しい翼にお似合いだと思う。でも、ルビーくんとかのことを思うとちょっと複雑かなぁって〉


 うんうんとベッドの上でルビーが頷く。翼は首を傾げ、「どうしてルビー?」と尋ねる。聖愛は〈うーん……〉とまた言葉を迷うと、〈それに、アタシとしてはすめらぎを応援してるからなぁ〉と急に話題を変えた。


楼比るぴくんを? どうして?」


〈なんて言うか、うーん……もしかして初恋?〉


「うん!」


〈そっかぁ……幸せになれるといいねぇ。なんていうか、ごめんね。恋愛とかよく分からないから、アタシあんまりちゃんとしたアドバイスしてあげられないんだけれど……爽先輩は中等部だけじゃなくて小等部にも高等部にもファンが多いから気を付けてね。変な言い掛かり付けられることもあるし、目的のためなら手段を選ばない人も居るし……〉


「大丈夫! 私、一人でも味方がいれば絶対そんなのに負けないから! 応援してね、聖愛ちゃん」


〈……うん、そうね。“翼の幸せ”を応援するわ〉


 最終的に優しい声で、聖愛は言う。だが突如、〈ちょっと、勝手に入ってこないでよ!!〉というヒステリックな叫びが響き、通信が切れた。


「聖愛ちゃん……?」


「なんだ……?」


「なんだろう……?」


 ルビーと顔を見合せて、首を傾げる。しかしいくら通信を送っても、もう繋がることは無かった。


 翼は諦めて、今日はもう眠ることにする。怪物を退治した日は早く眠ることが翼のルーティーンだからだ。ベッドに入り、今だ人型から姿を戻さないルビーに「寝ないの?」と告げる。


「大人の時間はこれからなんだよ。翼は先に寝て」


「最近夜は人型でいることが多いよね」


「まぁな。スマホ借りるぞ」


「どうぞ〜。じゃあ先に寝るね。

 おやすみルビー」


「おやすみ翼」


 部屋の電気を消せば、翼はすぐにすやすやと寝息を立てて眠った。ルビーはそんな翼の頬を撫で、唇を親指でなぞる。


 この少女が、他人に取られるかも知らない。しかも精霊のことも知らず翼と共に戦うことも出来ないぽっと出の男に。そんなの嫌だと、ルビーは唇を噛む。一瞬、この少女に接吻くちづけをしたらどれだけ幸せだろうと考えたが、すぐに考えを振り払うようにかぶりを振った。翼はファーストキスを大切にしている。そんな翼の知らないうちにハジメテを奪ってしまうのはあまりにも可哀想だ。


 ルビーはベッドを降り、翼のスマートフォンを手に取って部屋を出る。


「……仕事すっか」


 いつもなら楽しい仕事も、今日だけは少し憂鬱な気持ちだった。














 コンパクトを通じて翼から通信が届いた聖愛は、彼女と楽しく会話をしていた。通話なんてする相手は小鳥遊たかなしぐらいなもので、久しぶりする女子との会話、しかも所詮“恋バナ”と呼ばれるような甘い内容の話に聖愛は微笑ましい気持ちになる。ジェットはコンパクトの通信の説明をすると、「俺はもう寝る」と言いベッドに横になった。


 聖愛は楽しく会話をしていた。椿油の染み込んだ櫛で髪を梳かしながら会話をするのは心地良い。なのに、突如後ろから聞こえた扉を開く音に聖愛は一気に現実に引き戻される。この家で聖愛の部屋の扉を開ける人間なんて、一人しかいない。


「ちょっと、勝手に入ってこないでよ!!」


 聖愛はコンパクトを閉じ、反射的に叫ぶ。聖愛の部屋の入口には、暗い顔をした叶愛のえるが立っていた。


「聞こえないの? 出て行って! ここはアタシの部屋よ!」


「……話があるんだ、聖愛」


「アタシには無いわ」


「聖愛、」


 叶愛が一歩、部屋に足を踏み入れる。聖愛はグッと唇を噛み、「分かったわよ……」とベッドから立ち上がった。聖愛のヒステリックな叫びに飛び起きたジェットに「ごめん」と小声で謝って、「リビングで話しましょ」と聖愛は叶愛を押し退けリビングに向かう。


 心臓がバクバクと鳴っていた。緊張からだ。一挙一動を、叶愛が見ている。聖愛のことを観察している。


「どうして、僕からの連絡を無視したの?」


「忙しかったのよ」


「嘘だ! お昼休みの時間だったはずだよ!?」


 リビングに移動してすぐ、叶愛が聖愛を糾弾する。聖愛は落ち着くようにジェスチャーをして、「今日転校してきた子に校舎を案内してあげてたの」と告げる。嘘は言っていない。


「眠れないからそんな些細なことが気になるのよ。ホットミルクを作ってあげる。蜂蜜たっぷりの。好きでしょ?」


 聖愛は叶愛の好物を作り機嫌を取ることにした。面倒臭がっていることを悟られないために、少しは尽くしてやっている風を装うことにしたのだ。


「その転校生って、男の子?」


 ソファーに座った叶愛が問う。


「女の子よ。とっても美人な、ね」


 これも嘘じゃない。


「写真とかは無いの?」


 叶愛が質問を続ける。


「無いわよ。撮ってないもの。もういい?」


 出来上がったホットミルクに蜂蜜を溶かして、マドラーで掻き混ぜる。


「それでも既読をつけるぐらいは出来たはずだよ。どうしてそれもしなかったの?」


「だから、本当に忙しかったの!

 もう寝るわ、疲れてるの。叶愛もこれを飲んだら早く寝なさい、明日も撮影と学校があるでしょ?」


 聖愛はそう言って、足早に部屋に戻ろうとした。部屋に戻って鍵さえ掛けてしまえばこっちのものだ。聖愛は篭城することが出来る。


 叶愛は不満げに聖愛を見る。そして自分の太腿をぽんぽんと叩いた。


「……なに?」


「ここ座って」


「なんでよ」


「なんで嫌がるの?」


「座り心地悪そうだから嫌」


「座ってくれなきゃ寝ないから」


 嗚呼面倒くさい。聖愛は心の中で溜息をつき、ホットミルクをコーヒーテーブルに持って行き置くと勢いよくそこに座ってやった。


「ほら、これで満足?」


 途端、ギュッと叶愛が聖愛に抱きつく。


「ちょっと、叶愛……!」


「……聖愛、大好き」


 叶愛が耳元で囁く。やられたと思った。


「叶愛、やめて」


「聖愛……」


 叶愛の腕が聖愛の腕に絡まる。聖愛と恋人繋ぎをするように指を絡め、両手の自由を奪う。その間にも叶愛の唇は聖愛の髪を項に触れ、チュッと音を立ててキスをする。


「っ、叶愛やめなさい!」


「どうして僕を拒むの!?」


 聖愛が激しく暴れてそれを拒絶した。瞬間叶愛が叫ぶ。


 滅多に聞かない叶愛の叫び声に、聖愛は萎縮して動きが固まる。聖愛の背中に額を押し付けた叶愛は、「いつもいつもいつも!」と泣きそうな声で聖愛を責め立てた。


「なんで僕のこと拒絶するの……? こんなに聖愛のこと大好きなのに……聖愛のことが大好きなだけなのに……」


「……」


「僕おかしいの……? 僕が悪いの……? 聖愛のこと好きになっちゃいけないの……? 僕にとっての唯一の女の子なのに……?

 お父さんが聖愛を家に連れてきた時、本当に嬉しかったんだよ……? 聖愛が栗花落つゆりおじさんに虐められてたって聞いて、僕が絶対に守るって思って、それなのに聖愛はいつもやだやだやだって……『早く寝なさい』『ご飯を食べなさい』『仕事は責任持ってやりなさい』、聖愛は僕に命令してばっかり!」


「それは……」


「だから僕ちゃんと聖愛の言うこと聴いてるじゃん!! 早く寝てるしご飯も食べてるし仕事だって一生懸命やってる! なのに聖愛は僕を拒絶する! じゃあなにしたら僕のこと好きになってくれるの!? 聖愛は、聖愛は……聖愛は僕のことが嫌いなんだ……」


 背中に濡れたような感覚。叶愛が泣いている。聖愛は俯いて、言葉を探した。


「……叶愛、手を離して。これじゃアナタのこと、抱きしめられないわ」


「……」


 叶愛が、おずおずと手を離す。話した瞬間聖愛が逃げてしまうことを危惧しているのだろう。だが聖愛は膝の上に乗り直すと、叶愛を真正面から抱きしめた。


「ごめんなさい。たしかにアタシはアナタに命令してばかりね」


「聖愛……」


「アナタが不満を抱くのも仕方が無いことよ。アナタは一生懸命やってるし、アタシはアナタに命令できるほど偉くない」


「聖愛……! でもね、聖愛が作ってくれるご飯は大好き。聖愛が一緒に寝てくれるなら早く寝るのだっていいよ。お仕事だって、聖愛が着いてきてくれるならいくらでも頑張れる!」


「それは出来ないわ」


「どうして!?」


「アタシはアナタに尽くすための家政婦じゃないから。アタシはアタシでやりたいことがあるの。だからもう命令はしない、好きにすればいい。その代わりアタシも好きにする。嫌なことは嫌って言う」


「僕に抱き締められるのは嫌なの……?」


「そもそもアタシはスキンシップをされるのが嫌い。自分からする分にはいいけど」


「じゃあ僕にもっとキスとかぎゅーとかして!」


「さては話聞いてねぇなオマエ」


 聖愛はため息をつき、「はい、ぎゅーはこれでおしまい」と膝を降りようとする。


「やだやだ! もっとぎゅってするの!!」


 しかし叶愛がそれを許さない。聖愛を逃がさないと言うようにソファーに薙ぎ倒しギュッと強く抱きしめる。


 いつ寝れるんだろうアタシ。天井を見上げながら、聖愛は深く溜息をつく。きっと自分には、翼のような“純愛”と呼べる恋が出来る日は来ないのだろうなと、嘆かずにはいられなかった。















 翼は朝、すっきりとした目覚めから始まる。うーんと伸びをしてから、隣で眠るルビーの寝顔に微笑み「おはよう」と小声で囁く。


 それからは顔を洗い、化粧水などで肌を整える。美は一日にして成らず。お手入れは欠かしてはならない。


 それからは作り置きしてある具材でお弁当を作り、朝食を作るのがいつもの流れだ。お弁当は三つ。自分と父とルビーの分。勿論朝食も三人分。


 父親には今のところ、ルビーの存在はバレていない。父は日々仕事をしているため基本家に居ないし、そも精霊の姿は一般人には見えない。料理は父が起きる前に自室に運ぶから三人分の食事が作られていることを父は知らない。家計簿をつけているのも翼であるから、食費が三人分になっている事の違和感にも気付いていない。


「おはよう翼」


 そうこうしていれば、父親が起きてリビングにやってくる。


「おはようパパ」


 返事をして、ハッと翼は口を抑えた。慌てて「おはようお父さん」と言い直した翼に、父親は痛ましい顔をして「パパでいいんだよ、翼」と優しく頭を撫でる。


「……ごめんなさい」


 今でも思い出せる。『“パパ”なんて呼び方幼児がするのよ! “お父さん”って呼べないの!?』と翼を矯正したヒステリックな女の声を。


「ご飯出来てるよ、食べよ?」


 そう言って、翼は何事も無かったかのように席に着いた。父親も翼の心を察して、何も言わずに席に着く。


「「いただいます」」


 父と娘の二人、父子家庭。母親はいない。翼が小学六年生の冬休み、離婚した。その際、翼が母親からされた虐待の証拠をボイスレコーダーに父親がこっそり録音していたおかげで、親権は父親が獲得することが出来た。そうじゃなければあの女の元で今も暮らしていたかもしれないと思うと、翼は恐ろしくなる。


「今日は仕事で遅くなるかもしれない。もし九時を過ぎるようだったら先に夕飯を食べて寝ていいからね」


「わかった。でも、お父さんと一緒にご飯が食べたいから出来るだけ待ってるね」


 食事の合間にそんな言葉を交わし、穏やかな朝食を過ごす。本当はここにルビーも居れたら最高なのだが、ルビーが食事をしているシーンは精霊が見えない父親から見ると虚空に急に食べ物が消えていくという奇々怪々なものなので、断念せざるを得ない。


 食事は家族団欒というが本当にそうで、忙しい父親とゆっくり会話を出来るのは食事時だけだった。翼はこの時間が毎日楽しみで食事を作る。


 しかし楽しい時間はあっという間だ。父親は食事を食べ終わり、それは翼も同じ。汚れた食器をシンクに運び、翼と父親はそれぞれ朝の支度をする。


 翼は学生鞄に教科書を詰めると、制服に着替え始めた。神来社学園の制服を着るのは今日で二日目だ。鏡と向き合ってスカーフのタイが左右対称になって且つ曲がっていないのを確認しながら結ぶ。そうすると「そろそろ行くね」と部屋の外から声がした。


「あっ、待って待って!」


 翼は慌てて部屋を出て、玄関に向かう。玄関では父親が革靴の中に靴ベラで足を滑り込ませていた。靴紐をギュッと結び直した父親は、翼を振り返ると「行ってきます」と微笑む。「行ってらっしゃい」と翼も微笑み返して、無事父親を送り出した。朝の見送りは、父親が出勤する日は毎日やっている。これも一種のルーティンである。


「父ちゃん仕事行ったか?」


 後ろからふわふわと、ルビーが浮遊してやってくる。「うん」と返事をして、翼は自室に戻った。


 登校に必要なものが一通り揃っているのを確認してから、コンパクトを胸のタイの位置に付ける。乳白色の水晶は今日も輝いているが、昨日より魔力の備蓄が減っている。


「魔力を、新しく増やさないとね……」


「ああ。今日の放課後、仕込みを始めるぞ」


「放課後は無理だよ〜」


「なんで?」


 首を傾げるルビーに、「だって」と翼は恥ずかしそうに目を伏せる。


「だって、放課後は男バスのマネージャーの体験入部だもん」


「っ、また“ソウセンパイ”かよっ!!」


 若干怒りの混じったルビーの声が、翼の部屋にこだました。













 徒歩で登校し昇降口で靴を履き替えた翼はしゅんと落ち込んでいた。朝、ルビーと若干言い争いのようになってしまったからだ。


『いいか翼! お前は世界に二人しかいない魔法少女なんだよ!! お前が男にうつつを抜かして魔法少女の仕事をおろそかにしたら、誰が人間界を守るんだ!?』


『それは、そうだけど……でも、私だって恋することは自由でしょ!? やりたいことも出来ないでずっと怪物退治だけなんて、頭がおかしくなっちゃうよ!!』


『あのなぁ……恋がしたいなら俺が居るじゃねぇか! 一年も寝食を共にして、最高の相棒だろ? 俺なら最高の恋人にだってなれる!』


『だから、私は爽先輩がいいんだって言ってるじゃん! ルビーのわからず屋!!』


 そう言ってルビーを無視して、一人で家を飛び出してきてしまった。反省はしている。しかし自分の主義主張が間違っているとも思えない。翼だって華の中学生、これから青春が待っているお年頃である。その青春に身を投じても許されるはずだ。怪物と命懸けの戦いをしているのだから尚更。


「ルビーのわからず屋……」


「『楼比るぴのわからず屋』?」


 気付けば翼は、一年A組の教室まで辿り着いていた。教室には小鳥遊たかなし優太ゆうた梦視侘ゆめみた聖愛まりあ、そしたすめらぎ楼比るぴの三人がいる。まだ朝早い時間のためか、三人しかいない教室で、自分が呼ばれたと思ったらしい皇は首を傾げた。


「あっ、ごめん……楼比くんのことじゃないよ」


「そっか、よかったぁ。僕何かしちゃったのかと思った」


 ホッと胸を撫で下ろす楼比は、トットットッと歩いて来ると、パッと翼の前に花を差し出す。六本の、赤い薔薇だった。


「わっ、ビックリした……綺麗……!」


「えへへ、でしょ〜? 翼ちゃんにプレゼントしようと思って持ってきたんだ!」


「そういえば、楼比くんのお家はお花屋さんなんだっけ……?」


「そ〜!

 はい、どーぞ」


 差し出された六本の薔薇のブーケを、翼は両手で受け取る。


「ありがとう……! 大切にするね」


「えへへ、喜んでくれて嬉しい!」


 楼比は本当に嬉しそうで、翼まで嬉しくなってしまう。手の中の薔薇のブーケの薔薇はどれも瑞々しく、今まで見たどんな薔薇よりも美しい。


「でも、学校にいる間どうやってこれを保存しておこうかな……? このまま置いておいたら、薔薇さんダメになっちゃうよね……?」


「ああそれなら、こういうのはどう?」


 声を上げたのは聖愛だった。彼女は空のペットボトルを持つと「ちょっと待ってて」と廊下に出て、その中に水を入れて戻ってくる。


「これを即席の花瓶にすればいいのよ。そうしたら花も駄目にならないわ」


「おぉ〜! 聖愛ちゃん賢い! ありがとう!」


 薔薇をペットボトル花瓶に移し替えた翼は、嬉しくて聖愛に抱き着く。聖愛は「はいはい」とあしらうように返事をしたが、翼を見る瞳は優しかった。


「じゃあこれを、一日だけロッカーの上に置かせてもらお〜」


 翼はそう言って、教室の後ろにある生徒用のロッカーの上に薔薇を置く。どの角度から見ても、やはりこの薔薇は美しい。見る度に、“桜の木の下には死体が埋まっている”という言葉を思い出すほどだ。死体から栄養分を吸い取ったのではないかと錯覚するほど、この薔薇からは強い生命力を感じる。


 薔薇をロッカーに置く頃には、生徒がチラホラと登校し教室に現れ始めていた。翼は自分の机に学生鞄を起き、教科書を机の中にしまっていく。楼比は自分の机でスマホゲームに勤しみ、聖愛と小鳥遊は何かを話し合っていた。


 やがてホームルームが始まり、一日の授業が流れるように進んでいく。翼は放課後が楽しみで仕方無く、授業中もその事ばかり考えていた。


 男子バスケットボール部マネージャーへの体験入部。しかも先輩にお願いされて。そう、先輩は翼に体験入部をしてほしいとわざわざ言いにやって来たのだ。休憩時間は決して長くないのに、その時間を使って。


 これって、両想いじゃない? 翼は両の頬を押さえる。


 翼がそう思ってしまうのも無理は無いだろう。爽先輩の態度は明らかに“特別”だった。それは意図したものでは無いのかもしれないが、他の子とは違う何かを感じた。これは翼の勘違いでは無いはずだ。


 でも、片想いだったらどうしよう。そもそも彼女が居たら!? 翼は頭を抱える。


「翼、あんた百面相でもしてんの?」


 一限目の授業が終わり、聖愛が呆れた様子で翼に声を掛けてきた。


「聖愛ちゃん……爽先輩って彼女居ないよね……?」


「やっぱり爽先輩のこと考えてたのか。居ないんじゃない? 居たら噂になってるって」


「そっか、よかった……」


「もうとっとと立候補しちゃえば? そんな調子じゃ疲れるでしょ」


 聖愛はそれだけ言うと、移動教室のため小鳥遊と教室を出て行った。翼も一緒に行きたかったが、あまりにも自然に二人で出て行くので同行するタイミングを失う。代わりに楼比が「一緒に行こ?」と誘ってくれたので、彼と一緒に理科室へと移動した。


「楼比くんってさ、爽先輩のこと知ってる?」


「爽先輩? あー……有名だよね。小等部の頃からバスケ強かったからさ、噂は聞いたことあるよ」


「そっかぁ……人気者なんだね……」


「まぁ、人気者って言えば人気者かなぁ。僕はあんまり好きじゃないけど」


「へっ? どうして?」


「どうしてだと思う?」


 楼比の気持ちがわからず、翼は首を傾げる。そうしている間に、理科室について二人は指定された別々の席に座った。


 昼休みが来るまではあっという間だった。昼休みが始まってすぐ、聖愛は保冷バッグを持ち小鳥遊と教室を出て行く。今日もお昼に誘うタイミングを逃してしまった。


「翼ちゃん、一緒にお昼食べない?」


 代わりにクラスの女子にそう声をかけられたので、翼は「うん!」答えその輪に加わる。


 声をかけてくれたのは東明とうみょう友香里ゆかり田口たぐち七緒ななおおぎ歩美あゆみの三人組だった。制服を着崩し化粧をしてネイルもしている彼女達は、それを是とされるカーストに居ることが容易に察せられる。ちょっと苦手なタイプかもしれないと思いもしたが、人を見た目で判断してはいけないと翼は弁当を鞄から出す。


「聖愛ちゃんって、いつも小鳥遊くんとご飯食べてるの?」


「あ〜あの二人ね。小等部の頃からずっとそうだよ」


「そうなんだ……」


「ね、翼ちゃんから見てもあの二人って付き合ってるように見えない?」


 歩美からの話を振られ、翼は曖昧に頷く。


「付き合ってるかは分からないけど、いつも一緒に居るよね」


「そー。移動教室も昼休みも一緒。小鳥遊が塾無い日は放課後まで一緒に居るらしいよ。この前、お泊まりとかしてるって聞いちゃった」


「あそこまでベタベタだとちょっとキモいよね」


「そんな言い方は無いんじゃない?」


 友香里と七緒の言葉を、流石に言い過ぎだと翼は窘める。一瞬、会話が止まった。


「……でもさ〜、聖愛はかたくなに『付き合ってないよ〜』って言うじゃん?」


「あ〜あれウザいよね。付き合ってるなら隠さず言えって感じ」


「嫌なんじゃない? だって小鳥遊って今はちょっとイケメンになったけど、小等部の頃ってもさいダサメンだったじゃん? 彼氏がそんなのじゃ嫌なんじゃないの?」


「じゃあイチャつくなよな〜」


 やっぱりこの子達苦手かも。翼はお弁当を広げる気になれず、三人の顔を見る。


「——そういえばさぁ、翼ちゃんって爽先輩と何かあったの?」


「へっ?」


「昨日昼休みの終わり頃、先輩と一緒に居たよね」


「あれは……」


 言いかけて、旧校舎での先輩の練習を話していいものかと言葉に詰まった。出来れば、内緒にしておきたい。


「ウチさ〜」


 友香里が、口を開く。


「爽先輩のこと好きなんだよね。小等部の頃からずっと」


「えっ……」


「だからさ、あんま先輩に媚び売るのやめてほしいっていうか。優等生ぶって口調とか叱ってくるのもウザイし。前の学校で人気者だったか知らないけど、ここでもそうなると思わないでよ。あんたってぶっちゃけウチらからすれば“余所者”なんだからさ」


「そんな、言い方……」


 翼は俯く。何を言えばいいかがわからない。何を言っても、この少女には響かない気がした。


「——なぁにしてんの? 楽しそうじゃん、アタシも混ぜてよ」


 その時、新しい声が混じった。聖愛だった。三人が聖愛の方を向く。


「聖愛じゃん、もう昼食べ終わったの? 彼氏は?」


「小鳥遊なら生徒会の集まり行っちゃった。フられちゃったの〜」


「え〜可哀想〜。慰めてあげよっか」


 さっきまで聖愛のことを『ウザい』『キモい』と罵っていたのに、それがまるで何事も無かったかのように話す友香里に、頭痛がするような気持ちだった。聖愛は一頻り友香里達とじゃれると、「翼」と翼を呼ぶ。


「ちょっと付き合ってよ。話したいことがあるの」


「えっ? えっと……」


 聖愛は翼が返事するより先に翼のお弁当を手に取ると、「人質はいただいた〜! 返して欲しくば着いてこい〜!」とおどける。友香里達は笑って、先程のことがまるで無かったかのように「人質取られちゃったじゃん」「お弁当ちゃん助けてあげなって」と翼をからかった。聖愛は本当にお弁当を持って教室を出て行くから、「待って!」と慌ててそれを追いかける。


「——やめな。あの子達と関わるの。アンタが消耗するだけだよ」


 階段の踊り場まで来た聖愛は、あっさり翼に弁当を返すとそう言って教室の方向に一瞥をくれる。翼はそこで漸く、聖愛が翼をあの三人から助けてくれたのだということに気付いた。


「聖愛ちゃん、ありがとう……でも、クラスメイトをそんなふうに言うのは……」


「あーはいはいわかったって。でも化けの皮の下見たでしょ? あの子達はああいう子なの。純粋な子ほど被害に遭う。簡単に言えば“いじめっ子”」


「……友香里ちゃん、爽先輩のことが好きなんだって。小等部の頃からずっと」


「ミーハーなだけよ。小等部の頃って言っても小六の時だし。詭弁だよ詭弁。アンタを黙らせるためのね」


 聖愛はそのまま屋上に行くと、塔屋の壁を蹴って屋根に上がる。


「翼も上がっておいでよ」


 猫のような軽やかな動きに呆気に取られる翼に、聖愛は手を伸ばした。翼は助走をつけてジャンプをしてからその手を掴み屋根に上がり、屋上の更に上から見る景色に「わぁ……!」と声を上げる。


「ここなら誰も来ないよ。ゆっくりお弁当が食べられる」


「すごい……こんなところはじめて登った!」


「まぁ普通は登らないよね。アタシはほら、マトモじゃないからさ」


 聖愛は肩を竦めると、ハンカチをコンクリートの屋根に敷きここに座るよう促す。翼は有難くそれを利用させてもらった。


「ありがとう聖愛ちゃん。聖愛ちゃんがもう一人の魔法少女でよかった。こんなに優しい子が仲間なんて、心強いよ」


「……なんか、どうしてアタシが魔法少女アンタの相方に選ばれたか、今日で分かった気がする」


「……?」


 聖愛は「お弁当、食べないの?」と翼を促し、翼は慌てて弁当の風呂敷を開いた。


「いただきます」


 両手を合わせてから、翼は今日の弁当を食べ始める。聖愛は足を揃えて座り、タプタプとスマートフォンを弄っていた。


「……なに?」


 その様子をじっと見ていれば、聖愛は首を傾げ訝しげに翼を見る。翼は「ごめん」とすぐに謝罪したが、聖愛のことが気になってついついそちらを見てしまう。


 聖愛は深くため息を着くと、「ごめん、ちょっと電話」と言って屋根の更に上にある給水タンクの階段を昇っていく。


「もしもし――なに、今日はちゃんと既読付けたでしょ――うるさいわね、文句あるの?――誰って、友達よ――小鳥遊じゃないわ、女の子――心配するようなこと何も無いから――」


 給水タンクに寄りかかるようにして、聖愛は電話の相手に話し掛けている。聖愛は苛々とした様子で、右足は貧乏ゆすりをしている。


 翼はその電話の声を聞きながら、弁当をもきゅもきゅと食べていた。初夏の風が聖愛のスカートを揺らす。


「いいから、アンタは自分のことしなさい。今日午後から雑誌のインタビューでしょ? 手を抜いたら承知しないわよ――あぁもう、わかったわよ! 今日放課後の用事済ませたらすぐそっち行くから、それまでキチッと仕事しなさい! いいわね、絶対よ!」


 聖愛は最後そう言って電話を切った。そしてはぁと深く溜め息を着くと、給水タンクの位置から降りてくる。


「電話、誰と? お父さん……じゃないよね?」


 “仕事”というワードが出たことで一瞬それを疑うが、すぐに父親に対する態度ではないなと考えを否定する。聖愛はまだスマートフォンを弄りながら「弟」と端的に告げた。


「そういえば弟くんいるんだっけ! 弟くん、もう働いてるの!?」


「あーまー……一応……」


「へぇ……! すごいね!」


「……」


 聖愛は苦虫を噛み潰したような顔で翼の賞賛を聴く。そしてまた溜め息を吐き、「我儘な奴で本当に困るのよ」と姉独特の苦悩を滲ませた。


「そうなんだ……でも私一人っ子だから、ちょっと羨ましいかも。ねぇ、今度弟くんに会わせてよ」


「はぁ!? 駄目っ! 絶対嫌!!」


「えっ!? そんなに……?」


 聖愛は「もうこの話はおしまいにして!」とかぶりを振ると、本当にそれ以上聖愛から話し出すことは無かった。


 翼が弁当を食べ終えて伸びをする頃にも、聖愛はまだ黙っていた。そんな聖愛に「そういえば聴いてよ聖愛ちゃん」と、翼が口を開く。


「今朝ルビーと喧嘩したの!」


「ルビーくんと? どうして?」


「今日男バスのマネの体験入部するって話したら怒り出して、『そんなことにうつつを抜かしてたら誰が人間界を守るんだよ』って怒られた。でも私だって普通の女の子みたいに恋したいじゃん!?

 どう思う? 聖愛ちゃん」


「魔法少女って恋愛禁止じゃ無いはずだしいいんじゃない? 少なくとも、怪物退治より恋愛を優先する気は無いんでしょ?」


「勿論無いよ! 退治が先!

 でもルビーはわかってくれないの」


「んー……あー……めんどくせ」


「聖愛ちゃん……!?」


「もういいじゃん、既成事実作っちゃえばルビーくんも諦めるよ。爽先輩のこと、どう頑張っても諦めたくないんでしょ? ならもう押してけゴーゴー」


「おー……?

 おー!! ……で、いいのかな……?」


「とりあえず今日の体験入部頑張れ」


「えっ!? 聖愛ちゃんは来てくれないの!?」


「聖愛ちゃんは忙しいのです。あっちこっちに呼ばれてるの、もう……」


「あっちこっちって?」


「……」


 聖愛は不本意そうに翼に手紙を見せる。翼はそれを受け取り中を開いて、書かれていた文に驚いた。


「これラブレターじゃん! しかも、放課後体育館裏に来てって……これって告白ってこと!! きゃーっ! 聖愛ちゃんすごい!!」


「すごいもんですか。こんなもの、叶愛に見つかったらアタシがどんな目に遭うと思ってるのよ」


 聖愛は憎らしげに手紙を見る。しかし翼がキラキラとした目で手紙を読んで、「この手紙の人本当に本当に聖愛ちゃんのことが好きで堪らないみたい!」と顔を上げるから、しくじったという顔をする。


「お返事はどうするの!? やっぱりお付き合いするの!?」


「断るに決まってるじゃん」


「えぇどうして!?」


「だって、アタシこの人の事何も知らないのよ? なのに急に告白してきてじゃあお付き合いしますなんてなると思う? 普通に考えて」


「聖愛ちゃん……ロマンが無いね……」


「ロマンチックで飯が食えりゃ誰も苦労はしないの。とりあえず、この人に断りの言葉いれてから弟の仕事場に行って弟働かせて、そのまま直帰して夕飯作るからアタシ今日は体験入部ついていけないの。でもそんなに爽先輩のことが好きなら、一人でも大丈夫でしょ? 爽先輩も、翼と二人きりの方が嬉しいと思うよ」


「二人きり……!! それ素敵!」


 聖愛の言葉に、翼は赤くなった頬を押さえる。聖愛はやれやれと肩を竦め、「じゃっ、そういうことで」と放課後の行動を決定した。


 それからは、二人で教室に戻ってそれぞれの席に着く。教室に入った時、友香里達に睨まれた気がしたが聖愛には気にした様子が無かったので翼も気にしないことにする。


 翼はひたすらに放課後が楽しみだった。あと二限を済ませれば放課後になる。早く時間が過ぎればいいのにと、楽しく笑うのだった。










 梦視侘ゆめみた聖愛まりあという少女を知ったのは、小等部の頃である。三年と四年の合同遠足の時、遊園地内を一緒に巡る班の中に居たのが梦視侘聖愛という少女であった。


『具合、悪いんでしょ』


 朝から熱っぽかったそんな自分の体調を、彼女は一瞬で見抜いた。班の皆が丁度ジェットコースターの列に並ぼうとした時のことだった。


『具合悪いなら、無理しない方がいいわ。班長さんに言ってこよっか?』


『待って!』


 彼女はそう言ったが、具合が悪いなんて格好悪くて言い出せない。オマケに皆ジェットコースターに乗ることを楽しみにしていたのだ。そんな空気に水をさせない。だから言わないでくれと思わず聖愛の腕を掴み止めたその時に、彼女の手首の細さに驚いたのをよく憶えている。


『どうしたの?』


 聖愛が、訝しげにこちらを見る。そして何か合点がいったように目を細めると、急に『ジェットコースター楽しみだね!』と明るく笑った。そして次の瞬間、彼女は足がもつれたのかその場にずてんっと転んでしまう。


『聖愛ちゃん!?』


『おい、大丈夫か!?』


『痛い……』


 うるうると瞳を潤ませた少女の膝は小さく擦りむいて血が滲んでいた。そして彼女は一番近くにいた俺の服を掴む。


『……俺が様子見ておくから、皆先に並んでて。あとから追いつく。もし合流出来なかったら、俺等のことは気にせずジェットコースター楽しんできて。聖愛ちゃんも、それでいい?』


 俺の言葉に、聖愛は頷く。


『聖愛』


『小鳥遊、大丈夫』


 聖愛は同じ班にいた同学年の少年と短く言葉を交わすと、少年は小さく頷いた。


 班の皆はジェットコースターに乗りたい欲求を優先した。『梦視侘を宜しく』と班長は言い残し、皆は列に並んでいく。怪我をした聖愛はそれを見届けると、まるで何事も無かったかのように立ち上がり『どこかに座りましょ』とスタスタ歩き出す。


『梦視侘さん、足痛くねぇの……?』


『これぐらいなんてことない。それよりアンタは自分の心配をしなさい』


 それから俺がベンチに腰掛けると、聖愛は自販機でスポーツドリンクを買い、それを俺に渡す。ずいっと顔を近付けるから、ふいにドキッとした。


『瞳が潤んでる。これから熱が上がるわ。救護室に行きましょ』


『でも……』


『皆には“梦視侘の付き添いで行った”って言えばいいのよ。ほら行くわよ』


 そう言って自分の手を引く少女の背中に、きっと惚れた。これが初恋だった。


 自分は中等部の二年に、聖愛は一年になった。聖愛はそろそろ異性を意識し出す頃だ。彼女が中等部に上がったら告白しよう。ずっと決めていたことだった。


「――ごめんなさい」


 しかし、俺の初恋は呆気なく終わりを告げる。たった一言、聖愛の言葉で。


「恋とか、アタシまだ分からなくて……先輩の気持ちは嬉しいけれど、こんな不誠実な気持ちじゃ、ちゃんとした“お付き合い”は出来ないと思うから……」


 聖愛はしっかり理由を告げて、もう一度「だから、ごめんなさい」と頭を下げる。


「いや、俺こそ急にごめんな」


「先輩が謝ることじゃ……」


「本当にごめん。いやなんていうか、急に言われてもそりゃ困るよな……そこまで考えが回ってなかったっていうか……聖愛の気持ち全然考えられてなかったっていうか……」


「でも、先輩に“好き”って言ってもらえて嬉しかった」


 聖愛がそっと、俺の手を握る。


「ありがとう、先輩」


 そう言った彼女の瞳は、キラキラと輝いていた。昔から変わらない白色の瞳。光の角度によって色を変えるその瞳。今日は緑色をしている。恋人として付き合えたら、その瞳の色の変化を楽しめるのだろうか。そんなことを思っていた時期もあった。全て夢幻の彼方に消えたが。


「それじゃあ、アタシはこれで」


「ああ。時間取らせて悪かった」


「お気にならさず。またね」


 ヒラヒラと手を振り、聖愛は去っていく。その表情が優しいから、まだこれからがあるのではないかと期待してしまう。いっそ殴りつけて拒絶し目の前でラブレターを破り捨ててくれたら、すっぱり諦めることだって出来るのに。


「はぁ……」


 深く溜め息をつく。なんだかどっと疲れた。感傷に浸っているからだろうか。きっとそうに違いない。


「もう帰るか……」


 告白が上手くいっていたら、この帰り道の隣に聖愛が居たのかもしれないと思うと歯噛みしたい気持ちだった。お門違いと分かっていても、聖愛の事が憎らしい。


 告白を断るのなら、どうして優しくなんてしたんだ。最初から聖愛が優しくなんてしなければ、こんな気持ちになんてならなかったのに。それとも聖愛にとってはあんなの特別でもなんでもない事だったのだろうか。ならばそれを特別と信じて10歳から今日まで過ごしてきた自分はとんだ道化ではないか。


「……」


 気持ちがどんどんナイーブに傾いていく。この告白の傷心から立ち直れるとは、到底思えない俺だった。














「おっ、集まってる集まってる」


 闇の世界の住人にだけ見える“罪花ざいか”は、少年の負の感情ネガティブを吸って成長していた。それによって瓶の中に集まってくる蜜が芳ばしい。


「聖愛ってホント助かる。告白は100パー断るし、可愛いから女からも嫉妬されやすいし。聖愛の周りの人間に“罪花ざいか”植え付けとくだけで蜜が溜まるの、効率的過ぎて最早ぬるゲー」


 瓶の中にまだまだ集まってくる蜜を見て、すめらぎ楼比るぴはニンマリと緑眼を細める。


「やっぱり僕ってすごーい!」


 幼い頃から聖愛に“餌”として目をつけていた自分の審美眼は間違っていなかったと、皇は自画自賛する。


「翼ちゃんも転校してきて、女達の嫉妬はどんどん加速してるし、良い栄養分だよね〜。あー気持ちいい!」


 さてと、と向きを変えた皇は——ルピナスは、体育館に向かって歩き出す。今日は翼が男バスのマネージャーとして体験入部をするという。きっと爽は翼と交流を持ち、それを見た女達は嫉妬するだろう。その嫉妬によってまた蜜が溜まる。そして何より、ルピナスはマネージャーをしている翼の姿を見ておきたかった。


「魔界に連れて行っちゃったらもう観られないからねぇ、魔界に学校とかないし。限定スチル集めとかないと〜」


 言いながらルピナスは、木の上に登り上部に取り付けられた明り取り用の窓から体育館をひょっこりと覗く。学校指定のジャージを着た翼は、胸元が苦しそうである。胸が大きいと大変だなぁと思いつつ、本人はそれも気にせずマネージャーとしてあくせく働いていた。


「……やっぱあの男、ムカつくなぁ」


 ルピナスは爽を見て、呟く。元気にバスケをしているその姿に、翼が見惚れているのを見るのは腹立たしい。


「“爽先輩”、だっけ。情報集めるか〜」


 ルピナスはそう言うと、配下の蝙蝠コウモリを一斉に放つ。ルピナスの目となり耳となるその蝙蝠達に体育館にも侵入させ、ルピナスはふと瓶を見る。もうすぐ満杯になってしまうそれに「いけない! 資源無駄にするとこだった!」と慌てて帰路に着く。早くこれを“不幸の樹”に掛けなければ。ついでに実が成ったらあのフられ男に“徒華あだばな”を植え付けてやろう。


「使えるものは最後まで使わないとね」


 ルンルンと、ルピナスは上機嫌である。蝙蝠の眼越しに観る翼の姿に幸せを噛み締めながら、ルピナスは闇の世界へと帰っていくのであった。















 バスケットボール部のマネージャーとしての仕事は大変だった。部員のボール練習中はこぼれ球拾いにあちこち掛けずり回らないといけないし、休憩の時間までにプロテインドリンクを作らないといけない。それを休憩が始まったらなるべく早く部員に配って、自分達はモップ掛け。休憩が終わるまでに重たい筋トレ用の道具を体育倉庫から運び出し並べておいて、部員が筋トレ中はボール磨き。


 目まぐるしくやることがあって、翼は爽先輩どころでは無い。他の体験入部のマネージャーの子達が仕事をしているフリをしてサボるから、その分の負担も担わなければならない。


 誰かを支えるということはこんなに大変なのかと思いつつも、翼は一生懸命頑張った。時々上がる黄色い悲鳴に、きっと爽先輩が活躍しているのだろうなと思いながらプロテインシェイカーを振りドリンクを作りまくった。


 そうして体験入部が終わる頃には、翼はもうくたくただった。


「はぁ……やっと終わった……」


 思わずそんなに言葉が出てしまうほどである。こんなに疲れるなんて思ってもいなかった。


 やりきったという充実感と、こんなに忙しいことを毎日放課後にやることの苦労を想像し揺れる。汗も随分かいた。暑くてジャージは途中から脱いでしまった。


 ヒソヒソと、部員が何かを話している。汗っかきだと思われたのだろうか。そう思うと急に恥ずかしくて、早く帰ろうと翼は体育館の出口を目指す。


「——お疲れ様!」


 そんな翼の肩に、タオルが掛けられた。背中までを隠せる大判のタオルに驚いて「爽先輩!?」と、タオルを掛けた張本人の名を呼ぶ。


「これタオル。使ってないやつだから綺麗だよ。更衣室まで羽織っていきな」


「えっ、そんな、悪いですよ……汗もすぐ引きますから、大丈夫です……!」


 翼は申し訳なくてタオルが汗に濡れる前に取ろうとしたが、爽先輩はそれを許さない。彼は迷ったように口篭ってから、翼の耳元に口を寄せる。


「爽先輩!?」


「……汗で体操着張り付いて後ろブラ、分かるようになっちゃってる」


「えっ、うそっ!?」


 翼にだけ聴こえる小声でその事実を教えてくれた爽先輩は、「だから羽織っていきな」と優しく肩を叩いた。


「すみません……ありがとうございます……」


「いいよいいよ。今日は一生懸命頑張ってくれてありがとう。体験入部なのに本マネと同じくらい仕事してくれて俺達すごい助かったよ」


「そんな……マネージャーの先輩達の背中を追いかけるのがやっとでしたよ……」


「ははっ、謙遜しない。褒められたら“ありがとう”でいいんだよ」


「……ありがとう、ございます」


 ドキドキと胸が高鳴る。こんな近い距離に先輩がいる。練習を頑張ったから沢山汗をかいている。西日にそれが照らされてとても綺麗だ。人の汗を綺麗だなんて思う日が来るとは思わなかった。


「ホント助かったよ。ドリンクも美味しかったし。プロテインシェイカー、皆疲れるからってやりたがらないんだよね。だからいつもあれ不味いんだけど今日は美味しかった。翼ちゃんが作ってくれたんでしょ?」


「あの、はい……一生懸命振りました」


「ありがとう、美味しかったよ」


「ありがとうございます……!」


「ねぇどう? このままマネージャーとして入部しない? 俺等皆、翼ちゃんみたいに真面目な子大歓迎だよ」


 背をかがめ顔を覗き込むように、爽先輩が言う。翼は「えっと……」と言葉に窮したが、「体験入部の子は早く帰らないと暗くなるよ〜!」と他のマネージャーの先輩が言うので、翼は急いで脱いで畳んでいたジャージを胸に抱き下駄箱へ向かう。


「あの、前向きに検討します!」


「あはは! うん、前向きに検討して」


「それじゃあ!」


「またね、翼ちゃん」


 急いで靴を履き替えて、翼は更衣室に向かう。だがその途中で、「翼!」と聞き慣れた声がして振り返った。


「ルビー!? 今日も迎えに来たの!?」


「そうだけどそうじゃねぇ! 怪物が出た! 今聖愛が一人で戦ってる!!」


「えっ!? そんな!!」


 そういえばマネージャーとして働いている途中に邪魔になるからと、コンパクトを畳んだジャージの中にしまっておいたことを思い出し、慌てて人目につかないところに走ってからコンパクトを開く。


「もしもし、聖愛ちゃん!! そっち大丈夫!? 今どこにいる!?」


 ザーッザーッと雑音。そして暫くして、〈ドリーム! 通信!〉とコンパクトの奥からジェットの声がした。


〈あ、もしもし〜?〉


「聖愛ちゃん!」


〈マネージャー終わった? おつ〜。こっちももう片付くよ〜〉


 言いながら、奥ではブンッと何かを振るう音とバリンッと水晶が割れる音がする。きっとまた金属バットで戦っているのだろう。


「ごめん聖愛ちゃん、一人で戦わせて……」


〈いいよぉ。

 あのさぁ、思ったの。アタシって嘘吐きだし傲慢だし我儘だし非処女だし、そんなアタシがどうして魔法少女になれたのかって。多分さぁ、今日みたいな時のためだと思うんだぁ〉


 通話の奥で、聖愛が笑ってる。


〈翼の補佐? っていうの? 代理? かなぁ?

 とにかくさ、翼が青少年として問題無く生活出来るようにアタシが選ばれたんだろうなって、そう思ったんだぁ〉


「聖愛ちゃん……」


〈アッハハッ! アドレナリンがドバドバ過ぎてヤぁバい! ハイになっちゃう!〉


「……なんか楽しそうだね」


〈楽しいぃ! もぉ〜弟でストレス溜まりまくってたから最っ高よ!

 あ、もしかして心配して通話掛けてくれたかんじ? だとしたらごめん。心配しなくて大丈夫だよ♡ アタシ強いから。サンダルだって自分で履けるのよ〉


 聖愛は愉快そうに笑うと、またバリンッと水晶の割れる音がする。


〈くたばりやがればぁか♡ ざぁこざぁこ♡ 小娘一人にしてやられてて恥ずかしくないのぉ?〉


「……」


 翼はコンパクトをそっと閉じる。


「……なんか……聖愛ちゃん、大丈夫そうだったね」


「……なんであの娘はいつでも予想の斜め上をいくんだろうな」


「……魔法少女、だからかなぁ……?」


 ルビーと翼は顔を見合せ、首を傾げる。一人のところを狙われたという本来ピンチであるはずの状況なのに、狙われた聖愛はといえば高笑いをしながら敵を殴りまくり煽るというあまりにも“ピンチ”から掛け離れた状況を作り出す。


「聖愛ちゃんって、もしかして魔法少女として“天才”?」


「いや、“天災”の間違いだろ」


 とりあえず翼は更衣室に行き、体操服を脱いで制服に着替えた。下校できるスタイルを作ってからもう一度聖愛に通話を掛れば、〈あ、もう終わってカッティングまで済ませたよ〜〉と呑気に返される。


「そっか。……一人で戦わせてごめんね」


〈今までは翼が一人で頑張ってきたんでしょ? 翼はえらいよ。アタシだってもっと一人で頑張ってもバチ当たらないわ。てことで気にしないで〉


 聖愛は本当に気にしていなさそうな声で話す。〈それより〉とジェットが会話に割って入った。


〈そろそろ互いにコンパクトの魔力に備蓄が欲しい頃だろ。明日の午前十時、例の店で落ち合おう〉


「わかった」


 それに返事を返したのはルビーで、そのまま通信を切る。


「例のお店って?」


「あぁ。翼と聖愛には、これから店を開いてもらおうと思ってる。詳しいことは明日話すけど、今言えることはその店でコンパクトの魔力を補充するってことだ」


「それって商品を売ってその持ち主の幸せを魔力に変えるってことでしょ? 前みたいにバザーで売ったりするんじゃないの?」


「今度は拠点を構える。幸い今は店で働いてても問題が無い年齢になった」


「そっか」


 帰路を歩きながら、翼は俯く。腕の中には、朝楼比がくれた六本の薔薇のブーケと爽先輩が貸してくれたタオルがあった。


「……私、部活は入らない方がいいかな」


「……」


「爽先輩ともっと仲良くなりたいし、もっとお話したいけど……聖愛ちゃん一人に戦わせて私はやりたいことをやってるのは、違うよね……」


「……翼、」


「ルビーの言った通り、うつつを抜かしてたんだと思う。反省した」


「俺は、俺は……お前のやりたいようにやっていいと思う。今朝はムキになって言い返したけどさ……お前が笑えてなきゃ、意味無ぇし」


 一人と一匹は夕日の沈みかけた帰り道を歩く。体験入部期間は、明日からの土日を挟んであと一週間。それまでに決めなければならない。


 タオルをギュッと抱き締めれば、爽先輩の匂いがした。何故だか物凄く寂しくなって、翼はキツく目を閉じた。


























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