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第3話 スイートピー 門出

 夏帆と洸平の左手の薬指には揃いの結婚指輪が光を弾いた。夏帆の誕生日は6月30日、洸平の誕生日は6月6日と同じ誕生月でプラチナの結婚指輪にアレキサンドライトの貴石を留める事にした。

 12月の柔らかな陽射しに輝くこの石は太陽光や蛍光灯の下では緑、白熱灯の下では赤へと色を変える。アレキサンドライトはひとつの石にふたつの表情を持っていた。




 参列者の席にはカサブランカの装飾が施されている。深紅のバージンロードに純白のリボンがたなびき、その波間をシャンパンカラーのウェディングドレスがゆっくりと進んで行く。白いチュールレースのベールがマホガニーの扉から吹き抜ける風に舞った。


「おめでとう!」

「洸平くんおめでとう!」

「夏帆ちゃ〜ん!おめでと〜う!」


 2人を祝福する拍手は続いた。


「どきどきしますね」

「・・・・・」


 夏帆は洸平に小声で囁いたが返事はなく、マホガニーの扉に近付くにつれ洸平の肘の内側が酷く強張るのを感じた。


(・・・・・?)


 夏帆の指先に伝わる緊張感からいつもの冷静さが感じられなかった。眉間にシワが浮かび口元が引き攣っているようにも見える。


(洸平さん、どうしたのかしら?)




 夏帆は気にも留めていなかったが洸平にはえていた。幸せを祝うその片隅に巣食う邪悪な存在に気付いていた。




 荘厳なパイプオルガンのが止み、臙脂色えんじいろの教会の屋根の上で青銅の鐘が幸せのを鳴らした。




リンゴーーーン リンゴーーン リンゴーーーン リンゴーーン




「おめでとう!」

「夏帆ちゃ〜ん!おめでとう〜!」

「大塚くん、おめでとう!」


 洸平と夏帆は参列者に向かい深くお辞儀をした。湧き上がる拍手の中、見つめ合う2人に祝福の声と共に淡いピンクの花弁はなびらが降り注いだ。


「この花はなんだろう?、夏帆、知ってるか?」

「スイートピーだそうです」

「スイートピーか、綺麗だね」

「はい。綺麗ですね」


 大塚夫妻、特に洸太郎は感極まったのかとめどなく涙を流し、修造は目を細め孫娘の幸せな笑顔を見守った。


「可愛らしいお嫁さんね」

「お似合いの2人だわ」

「素敵ね」

「おめでとう!」


 夏帆は会釈し微笑んだが洸平はどこかうわの空でチャペルの中を何度も振り返っている。


(洸平さん、なんだか落ち着かないわ・・・なんだか変・・・)


 夏帆は外に出遅れた参列者がいるのかと思い振り返って見たがチャペルの中にその姿はなかった。


「洸平さん、どうしたの?」

「あ・・・ごめん。中に知り合いがいたような気がして」

「そう、見つからないの?」


 今度は背中を大きく反らせチャペルの中を覗い見た。すると洸平が耳元で囁いた。


「気のせいだった。そんな事よりほら、前を見て」

「はい」


 大理石の階段に敷かれた深紅のカーペットにはスイートピーの花弁はなびらが敷き詰められ歩みを進める夏帆と洸平の門出を祝った。その階段の両脇には親戚一同の笑顔。友人知人、洸平の上司や同僚、部下の姿もあった。


「夏帆さん!おめでとう!」

「課長、おめでとうございます!」


パシャパシャ!


 その中に、カメラのストロボを焚きながら脚立に乗り手を振る人物がいた。


医療事務器株式会社オーツカ経理  山口 和彦やまぐちかずひこ(31歳)


パシャ!


 山口和彦は洸平の同期でマウンテンバイクを共に愉しむ仲間でもある。仰々しい一眼レフカメラを片手に笑顔をよこせと賑やかしく、脚立を支えるその部下たちは顔を真っ赤にして足を踏ん張っていた。


「洸平!もっと笑えよ!緊張しすぎだろう!」


パシャ!


「夏帆ちゃん可愛いね!目線、こっち!笑って!可愛いね!」


パシャ!パシャ!


「あいつ、同期の山口だよ覚えている?」

「はい、結婚祝いだと仰って出産のお祝いを下さった方ですよね」

「そう、気が早いんだよ」

「そうですね」


 夏帆は洸平の笑顔を見上げながら新婦控室で見たLINEのスクリーンショット画像を思い出した。この隣にいる夫があのような事をしていたとはにわかに信じ難い。


(あれは・・・・誰かの質の悪い悪戯よ)


 然し乍ら、不可思議な点が多すぎる。


(どうして?どうして洸平さんの携帯電話からあんな画像が私のLINEに届いたの?)


「どうした、夏帆」

「あ、ごめんなさい。お式が終わったらなんだかホッとして気が抜けてしまいました」

「これから披露宴があるんだぞ、大丈夫か?」

「はい、大丈夫です」


(誰が?なんの為に?)


 その時、ハラハラと牡丹雪ぼたんゆきが空から降って来た。先ほどまでの青空は鈍色にびいろに変わり参列者は結婚披露宴会場へと足早に向かった。

 ウェディングドレスの肩にも白い牡丹雪ぼたんゆきが舞い落ちる。


「夏帆、風邪をひくから早く控室に入りなさい」

「はい、お祖父様」

「洸平くんも早く中にお入りなさい」

「はい」

「それじゃ夏帆、また披露宴会場で会おう」

「はい」


 2人はそれぞれ新郎新婦控室へと向かった。夏帆は新婦控室の白い扉を開ける事を躊躇ためらった。ハンドバッグの中の携帯電話にまたが届いているのではないかという恐怖。それは深紅のカーペットから白いパンプスを伝い全身に怖気おぞけが走った。


「どうしたんだ、疲れたのか?」

「はい?」

「顔色が悪いぞ」


 修造が夏帆の顔を覗き込んだ。


「そうですか?」

「大丈夫か?」

「はい、大丈夫です。ありがとうございます」


 夏帆はカサブランカのウェディングブーケを介添人に預け椅子に腰掛けた。手渡されたミネラルウォーターを口に含み、チュールレースのベールを外すとチャペルでの緊張感が幾らかはやわらいだような気がした。


「失礼致します」

「はい、よろしくお願い致します」


 へアイロンで緩やかに巻いた黒髪をカサブランカの白いヘッドドレスが飾った。唇は華やかな結婚披露宴に相応ふさわしい薔薇色の紅で彩った。


「お綺麗ですよ」

「ありがとうございます」


 そうこたえたものの、祖父や洸平が気遣うように鏡の中の顔色は優れない。その原因は晴れの日の朝に携帯電話に届いた如何いかがわしいLINEのスクリーンショット画像だ。


(・・・洸平さんに相談すれば、でも)


 あの画像が洸平本人であれば気不味きまずい思いをするだろう。夏帆はその答えを先延ばしにする事にした。


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