「火事! 火事です!」
女性の切羽詰まった声が館内に響き渡った。
「一階物置にて火事が発生。従業員は避難誘導を! 繰り返します。一階にて火事です!」
私と薬室長は無言で顔を見合わせた。
――本当に火事が起こった。
「北口通路、北階段を避け、速やかに屋外へ避難してください。看護師は直ちに全病棟の出入り口を開放してください。一階で火事……ジジジ、じ、ガッ………ヒナン………」
放送が突然途絶える。放送室に火が回ったか、もしくは電気系統に障害が生じたのだろう。私と薬室長がロッカールームを出ると、廊下にいた他の薬剤師たちが駆け寄ってきた。
「火事だそうですよ、火事!」
「聞いたわよ。南口へ行くわよ! 全員ついてきて」
薬室長の後について、南階段へ向かう。四階まではすいすいと下れたが、三階につくと人がどっと増した。
自力では動けない方々の避難が優先されているが、隙間を張って出ていこうとする人々が多く、混雑を極めていた。今にも将棋崩れが起きそうなすし詰め状態だ。薬室長たちは、そこに無理矢理身体を押し込んでいく。担架をおみこしと勘違いして「わっしょい、わっしょい」と歌う人もいれば、怒号におののき、うずくまって子供のように大泣きするおばあさんもいた。
「ここは危険だ、吉楽。この階段を使っちゃいけない」
「そうね」
私は三階の廊下へ出た。
東口の階段へ走ったがここも混雑している。
「残るは西階段ね」
人の流れに逆らって廊下を全力疾走する。
西階段は不気味なくらい無人だ。館内放送が「北階段を避けるように」言ったからだろう。北と西の階段は比較的近い場所にある。三階から一階へ駆け下りたが。
「あ、熱い!」
西口付近は既に火の海だ。右にも左にも逃げられなかった。
「吉楽、地下だ!」
「へ? 地下ぁ? アップルさん、正気? けほっ、こほっ」
「地下から地上に出るルートがある。タツミさんが教えてくれたんだ」
「そ、それって本当?」
「本当だよ。水の神様が言っているんだから」
――水の神様?
「とにかく、早く!」
「分かったわ」
私とアップルさんは地下へ駆け下りた。
「外へ通じるルートってどこ?」
「鍵で扉を開けて。地下通路へ入るんだ!」
鍵を回す手が震える。この前、ゲンジさんの霊現象で閉じ込められた扉は、いとも簡単に開いた。建物の真上が燃えているというのに、地下が無事というのはなんとも不思議な感覚だ。けれども炎が床を燃やせば、天井が焼け落ちるかもしれない。一刻を争う事態だ。
「右だ! 右の部屋を開けて!」
「この部屋……一体なに?」
関係者以外立入禁止、とプレートのついた鉄扉だ。以前から何の部屋なのだろうとは思っていた。
「この鍵で開くの?」
「開く! 絶対!」
「分かった!」
鍵を差し入れて回す。扉を開けると、ザブンッと音がして、部屋の内側にたまっていた水が私の足首にふりかかった。
【つづく】