本当に
小学一年生の頃、下校時に事故に遭った。
雷雨の激しい秋の入りのことだ。
雷鳴が空を照らし出した瞬間、信号待ちをしていた私のランドセルが、後ろからトンッと押された。交差点に進入したトラックは急停止したが、私との衝突を避けることはできなかった。
突き飛ばされた私は、水たまりに仰向けになり、降りしきる雨と、ピカピカ光る黒い空を見上げていた。「助けて」と声を上げることができないくらいの激痛だった。
私を押したとみえる少年は、歩道の前に立ち尽くし、顔面蒼白だった。四歳くらいか。ランドセルをからっていなかったので、あの辺りに住んでいた未就学児だろう。少年にしてみれば「少し驚かしてやろう」という突発的な悪戯心だったと思われる。
少年は全速力で雨霧の向こうへ走って逃げた。たとえ私への殺意を抱いていなかったとしても、その残酷な加害行動が私の命を危機にさらしたことは生涯忘れない。
――助けて。
声なき声で、必死に救いを求めていると。
「
突如、雷鳴の中から男性の大声が聞こえた。トラックの運転手より早く、仰向けの私に屈んでくれたのは……。
「
――だれだろう、この人。なぜ私の名前を?
私はどうして忘れていたのだろうか。
今ならこの人の名前が分かる。
「アップルさん、だったのね」
早朝、私は隣の彼へ呟いた。
相変わらず半裸で、ぐっすり寝ている。
「子供の頃、事故に遭った時。あなたが天国からやってきたのね。雷の激しい日だったわ」
聞こえていないようなので、独り言を続ける。事故に遭った子供の私へ真っ先に駆け付けたのは、前世の旦那様だった。魚にあたった私のそばにも彼がいた。
「心配かけて、ごめんね」
寝ていた彼の目がそっと開く。口元にほんのり笑みが浮かんだ。
「
「なんのこと?」
「とぼけてもダメよ、この領土侵犯者」
「はい?」
「
「守護霊もソファは寝た気がしないんだよ。肩が凝る」
「だから、幽霊のどこに五感があるのよ」
「神のみぞ知る」
またそれか。神様も「知らない」と言ったらどう説明するつもり?
「相変わらず素直じゃないですね、吉楽さん」
「そういう性格なの。――さて、と」
ベッドから起き上がろうとした私の手に、アップルさんが触れた。
「今日は休んだらどうだい、吉楽?」
「えっ」
「ここのところ働きづめだったじゃないか」
アップルさんは起き上がると、私を正面から抱きしめた。突然のことで心臓が飛び出しそうだ。半裸! 半裸で抱きしめるのはやめてくれい!
「たまにはずる休みしたっていいと思うよ」
――ずる休み?
「俺は吉楽が心配なんだ。今日は猛暑だよ。三十九度超えるかもしれないって、昨日ニュースでも言っていたじゃん。今日は涼しい部屋で執筆に専念したらどうかな?」
「……怪しい」
思ったことがすぐに口に出ていた。アップルさんは私を抱きしめるのを止めた。
「なぜ私にずる休みをそそのかす? 今日は何かあるの?」
「本当に危険な日だから、と思って」
「何が危険なの? 赤い人と何か関係が?」
「そう。そうです」
「赤い人とやらが、何かしでかすの?」
「動き出すなら今日だと、ニカさんもタツミさんも話していたから。吉楽を休ませることはできないか、って」
「……なるほど、それで」
幽霊三人が止めるのだから、相当危険な日ということだろう。
「ここまで皆勤賞だったけど、
「ほ、ほんと? よかったぁ」
「電話するから、ちょっと待って。静かにしていてね?
「はい! 猫のように大人しくしています」
私は薬室長に電話をかけた。
数回のコールの後、薬室長が「はい」と電話に出た。
【つづく】