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第18話 慰めの言葉は時に暴力

「俺は……やめろ、と何度も頼んだのに……」


 ゲンジさんは泣きながら、歯ぎしりを始めた。


「頭に雷を落とすなんて……聞いていないぞ」


 ――頭に雷? まさか電気の……。


 ゲンジさんがこちらへ一歩近付いてきた。私は慌てて立ち上がると、地下通路の出入り口へ向かう。早くここを出なければ。


「このクソ看護師が! 待ちやがれ!」


 ゲンジさんは私を看護師と勘違いしている。私がナース服を着ているからだろう。ゲンジさんはドスドスとした足取りで私へ迫る。扉を鍵で開けようとしたが。


「あ、開かない! どうして!」


 いくら鍵を回しても扉が開かない。ゲンジさんと私の距離がさらに縮まった。


 ――開いて! 開いてよ、扉!


 涙がこぼれ落ち、全身から汗が噴き出した。背後を見遣ると、すぐそこに彼がいて、固く握りしめた拳が振り上げられた。


「電気の御礼だ! てめぇの頭をかち割ってやる!」


 殴られる、と身構えたその時。


「相手を間違っているよ」


 扉の向こうから、白い影がサッを私の前に飛び出して、振り下ろされた拳を受け止めた。


「ア……アップルさん」


 アップルさんは、ゲンジさんの拳を払いのける。ゲンジさんはぽかんとして、彼に見入った。


「この人は看護師じゃない。心理士だ」

「なんだって?」


 ゲンジさんは私へまじまじと見入った。


「ホントだ。注射打ったやつと違う。すまんかったね」


 あっさりと謝られて、拍子抜けだ。

 脱力感に見舞われ、床に座り込んでしまう。

 先程の恐ろしさはどこへいったのか。


「あんたは……医者か? 白衣を着ているが」

「俺は医者だ。亡くなっているけどね。貴方も亡くなったんだよ」


 消えていた天井の照明が再び点滅を始めた。


「うそだ、そんな馬鹿な。ちょっと眠っているあいだに……また知らない部屋に閉じ込められちまっていただけだよ。死んでなんか……ここはどこだ?」


「ここは地下。あんたが閉じ込められたのは霊安室だろ」

「なんだって?」


 アップルさんは開いたままの霊安室を指差した。ゲンジさんが霊安室の前に立った瞬間、電気の点滅が止んだ。明かりに照らされた「霊安室」の看板を無言で見つめるゲンジさん。


「俺は……死んだのか」


 ゲンジさんは自分の両手を見つめた。


「でも、いつ死んだんだろう? 頭に電気を流すって言われてから、びりびりして、そんで……そんで……」


 ――頭に電気。ECTのことだ。


 Electro Convulsive Therapy. 電気けいれん療法という。精神科医の間でも「電気ショックで、本当に精神疾患は治るのか」と常に疑問は投げかけられ、現在でも意見が割れている。


「電気をやられるようになってから、忘れっぽくなってさ」


 ECTの直後には、強い脱力感や、健忘症状が見られる。極めて安全な治療だと提唱する者がいる一方で、死亡事故も少なからず発生している。電気痙攣を人為的に引き起こすのだからリスクがあるのは当然だ。


 ――そういえば、ゲンジさんは心臓発作で亡くなったと話していたわ。


 無関係ではないのではないか。循環器系ほか、その他の内臓疾患に副作用が見られた例は数え切れない。


「俺は嫌だって言ったのに、何度も……もう何回目か忘れたよ」


 ゲンジさんへのインフォームドコンセントは不適切だったとみえる。医者の中には「精神疾患者に話したところで、治療内容を理解できないものも多い」と言って、説明も不十分にECTの施術を執り行う者も多いのだ。


「そうか……死んだのか……教えてくれて、ありがとう。もう頭がビリビリすることもないんだなぁ」


 ゲンジさんはとぼとぼと霊安室へ戻った。開いたままの扉から、彼のむせび泣きが聞こえてきて、胸が締め付けられる。幽霊も声を上げて泣くと知った。


「行こう、吉楽」

「何か……できないの、アップルさん?」

なぐさめの言葉は時に暴力だ。今はそっとするのが一番」

「そうね。行きましょう」


 私とアップルさんは地下室を出て、階段を上る。


「さっきは助けてくれてありがとう、アップルさん」

「吉楽を一人にして御免。守護霊として失格だ。ニカさんと大事な話をしていたんだよ」


 ――私に聞かせられない話なのかしら。また柱とか、不幸とか、怖いこと?


 そういえばゲンジさんのことですっかり忘れかけていたけれど、クリーニングルームにいたおじいさんの幽霊が不気味なことを口にしていた。


「クリーニングルームにいた、おじいさんの幽霊に変なことを言われたのよ」

「変なことって?」

「若いのに可哀想にとか。まるで私に不幸がふりかかるみたいなことをね」


 隣を歩くアップルさんがぴたりと止まった。


【つづく】


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