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第6話 来る日も来る日も、カップ麺

 病院は休日出勤が当たり前の世界だ。精神科に休みは無い。開放病棟、閉鎖病棟には毎日精神薬が処方される。土日の分はあらかじめ作られるが、急な発作や発熱で処方と調剤が求められることが多々あるのだ。


 薬剤師は三名いる。うち一名が薬室長だ。

 調剤助手は二名。私と村井さんだけである。


 通常は薬剤師と助手が一人ずつ休日出勤をして、急な調剤と、それにともなう書類作成、在庫の点検と補充に対応する。休日出勤は「交代制」だと聞いていたが、


悪阻つわりがひどいので、土日勤務は無理ですぅ」


 村井さんがそうおっしゃったので、私は今週、土日を返上することになりそうだ。


「あっ、そろそろ、お昼の時間だ。私、もうぺこぺこ~」


 身重になると、二人分お腹が空くのだろう。やりかけの仕事を終わらせて自分のデスクについた私は、ランチボックスを出した。今日はハムとチーズのサンドウィッチだ。


「お湯もらいま~す」


 妊婦のご飯は、またアレのようだ。


悪阻つわりがひどい原因は、カップ麺じゃないのか?」


 守護霊アップルさんに同感だ。村井さんは豚骨ラーメンのカップを持って、湯沸かし器の前で薬室長と談笑している。


 ――来る日も来る日も、カップ麺。


「妊婦は栄養のつくものを食べなさいと昔から言うけど、なんだあれ。薬室長は止めないのか? あ、同じモン食ってるからか」


 私が思っていることを、アップルさんが全部言ってくれた。


「波久礼さんのサンドウィッチ、手作りぃ? 材料そろえるの大変じゃない? 私、時間ないから絶対ムーリー」


「私もー。ご飯なんか作ってる暇ないわよ、忙しくて」


 村井さんと薬室長の言葉にはトゲがあった。


 ――独身の貴女あなたひまだから作れるんでしょ、って言っているのね。ああもう、やんなっちゃう。


 ここでも既婚者がマウントをとってくる。時間があっても貴女方あなたがたはカップ麺だと思う。


 ――ここで食べるの、嫌だな。


 私は食べかけのランチボックスを抱えて、病院の中庭へ向かう。アップルさんも、私の後をついてきた。中庭のベンチでサンドイッチを食べていると、隣のアップルさんが心配そうに私を見つめていた。


吉楽きら。こんな病院、辞めたら? 人が悪すぎる」


 無責任なことを言う幽霊だ。私は周囲に誰もいないのを確認し、アップルさんを見据えた。


「私がいなくなったら……困る人がいるわ」

吉楽きらは都合の良いように利用されているだけだよ」

「そうだとしても、役目がないよりマシだわ」


 アップルさんはしばらく黙った。


「どうして医療の道に進もうとしたんだい? 医者も病院もこりごりだって話していたのに」

「私はそんなこと、一度も口にしたことないわ」

「前世の君だよ」

「前世の私は、医療従事者だったの?」

「そうだよ。俺は医者で、君は看護師」

「ふーん。へぇー」

「なんかあっさりした反応だね。前世の記憶を思い出さない?」

「まったく。自分は看護師は合わなさそう」

「だから今の君は、カウンセラーを目指したのかな?」

「どうだろう。分からないわ」


 自分の夢の原因を全て、前世などと形のないものにあてはめて考えるのは如何なものか。


「心理学の知恵をつけたら、私の心は余計に複雑になってしまった」


 心理を勉強したことで、突発的な怒りや、一時的な喪失感に振り回されることは無くなったけれど。


「他者の単純な感情も、分かってしまうし」


 村井さんが、私のランチボックスを見て口にした言葉にはトゲがあった。


「〝私は既婚きこんだから〟忙しいと自分を肯定して、ひまそうな未婚みこんの手作りサンドウィッチを否定すれば、カップラーメンを食べる妊婦は正当化されるのよ。トゲのある言葉の裏には大抵、劣等感が潜んでいるわ」


 人間の感情は単純だ。心がロープで繋がって連鎖反応しているのだもの。


「前世の私、ずっと看護師ではなかったでしょう?」

「うん。途中で辞めたよ」

「やっぱりね。私は血が苦手だもの。内面の傷に干渉するのも難しいけどね」


 来世へ持ち越される心の病気はあるかもしれない。


【つづく】


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