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第21話 エレノアの慟哭

 しばらくの間、食堂には沈黙が広がり、時計の針の音だけが響いていたが、やがて覚悟を決めたようにエレノアが口を開いた。


「……ヴィルと会ったのね?」

「ああ……」

「彼はどこにいるの?」

「……」

「……答えて、リヒャルト」


 リヒャルトはテーブルの上で拳を固く握りしめたまま、何も答えなかった。

 見開かれたエレノアの瞳に絶望の色が濃く広がり、呼吸が早くなる。


「あなたが、殺したのね……」

「違う! 殺すつもりは」


「……あああああああ……っ……!」


 突然、エレノアの激しい慟哭がリヒャルトの言葉を遮った。


「あああ……ヴィル……ああ、そんな……嘘よ……」


 目を閉じたリヒャルトの脳裏に、あの日の出来事が蘇る。


「何があったの……話して、リヒャルト。なぜなの」

 蜂蜜色の瞳から溢れる滂沱の涙を拭うこともせず、エレノアはリヒャルトに問いかけた。

 もう全て明らかにする時が来たと悟ったのだろう、リヒャルトは思いのほか落ち着いた様子で話し始めた。


「どこでヴィルに会ったの?」

「首都の帰還兵支援局だ。僕は休戦間近に乗っていた飛行機がエンジンから出火して、重傷を負った。そのまま野戦病院で休戦を迎えてからずっと療養していて、この夏になんとか歩けるまでに回復して首都へ戻って来た。その時だ」

 リヒャルトが退役軍人の証明書を発行してもらおうと帰還兵支援局の入り口をくぐると、窓口の男があんぐりと口を開けてこう言ったのだった。


『今、あなたと同じ顔の男性が……』


「それを聞いた瞬間、ヴィルだと分かった。僕は慌てて通りに飛び出して、道を渡ろうとしていたヴィルを見つけて呼び止めた」


 6年ぶりの再会だったが、ヴィルは昔のままだった。繊細で優しくて……。そして無傷だった。ただ戦場での経験は彼にとっては辛過ぎたのか、以前より更に輪をかけて寡黙で内向的になっていた。

 このまま首都でどうにか生活していこうと思っていたリヒャルトに、ヴィルは熱心に故郷へ帰ろうと誘った。気が進まないリヒャルトにヴィルはこう言った。


 エレノアもきっとお前の帰りを待っている……


 その一言がリヒャルトの心を動かした。二人は揃って汽車に乗り込んだ。ただ当初、同じ顔をした帰還兵が二人並んでいると珍しがってジロジロ見られたので、途中から別々の車両に乗って故郷へ帰ることにした。


 二人とも手持ちの金が足りず、アッシェンバッハ領内にある駅までの切符は買えなかった。仕方ない、一つ隣の駅で降りてそこから歩いて帰ろう、どちらからともなくそう話がまとまった。


「汽車を降りて二人でここへ向かって歩き出したんだが、僕のこの足ではそう速くは進めなかった。そのうちに日が暮れて来たから、その日は野宿をすることにしたんだ」


 海に近いアッシェンバッハ領の付近は剥き出しの岩肌が崖のように切り立っている地形も多く、そこかしこに洞穴があった。二人はそんな洞穴の一つで朝が来るのを待つことに決めたのだという。


「そんな近くにいたなんて……」


 どこか感情を捨ててしまったように淡々とした声のエレノアに、リヒャルトも乾いた声で続けた。


「その夜、ヴィルと色々な話をした。ヴィルの話すことは……君のことばかりだったよ、エレノア。正直僕は、聴くのが辛かった」

「……」


 夢見るような眼差しでエレノアとの思い出話を語るヴィルを見ているうちに、リヒャルトの胸の奥にしまいこんだはずの怒りがふつふつと湧き上がってゆき、ついにヴィルのある一言が引き金となって限界を超えてしまった。


 ヴィルはこう言ったのだ。


『僕はエレノアがいたから、何としても生きて帰ろうと思えたんだ。リヒャルト、お前も早くそういう人と巡り会って、幸せになってくれよ。愛してくれる人がいる人生はいいもんだ』


「ヴィル……ああヴィル……」

「……気がついた時には、もうヴィルはこと切れていた……」


 リヒャルトは思わずヴィルに掴み掛かって、両手で思い切り首を絞めたのだという。


「憎かった、ヴィルが……僕の一番大切なものを奪っておいて、一人前に愛を語るヴィルが……。何が幸せになってくれだ……僕から幸せな人生を取り上げたのはヴィルじゃないか……」

「だから、ヴィルになりすまそうと思ったのね?」


 リヒャルトは苦しそうに顔を歪め、かすかに頷いた。


「その時はうまくいくと思ったんだ……戦争で怪我をして、後遺症で記憶が曖昧になっている兵士を野戦病院で何人も見た。大丈夫だ、何よりヴィルと僕は同じ顔なのだから、どちらが死んだことにしても本人以外にはわからない、そう思ったんだ。……僕は悪魔に魂を売り渡してでも、君と生きたかった……どうせ戦場で何人も敵を殺した殺人鬼なのだから、もう一人ばかり増えたって同じことさ。僕は完全に狂ってしまっていたんだね……」


 そこまで話すとリヒャルトは顔を伏せ、膝の上で組んだ両手をじっと見つめたまま身じろぎ一つしなかった。だがエレノアにはもう一つ、どうしても明らかにしておかねばならないことがあった。彼女は辛うじて残った理性と勇気を振り絞ってリヒャルトに尋ねた。


「ヴィルは、今どこにいるの……?」


 最悪の結果を告げる前触れに相応しい、重苦しい沈黙が流れた。


「……夜が明ける前に、崖から……海へ……」


「ああああああーーーーーーっ!」


 遂に耐え切れなくなったエレノアが床の上に泣き崩れた。絹を裂くような叫びが食堂に満ちたが、リヒャルトはただ黙って椅子に腰掛けていた。


「ああなんということを……酷い、酷いわリヒャルト……あなたにヴィルを憎む資格なんてないのよ……この数年間、アッシェンバッハ家ここで何があったのか知ろうともしなかったくせに……ああヴィル、ヴィル……」

「……そうだね。確かに僕は何も知らなかった。……僕は全てを語ったよ。今度は君の番だ、エレノア。……何があったのか、話してくれるね?」


 エレノアは荒い息をさせながら顔を上げると、掌で涙を拭った。


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