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第13話 小さな手掛かり

 遠くに聞こえていた汽笛が近づいて来て、列車がゆっくりと停まった。

 擦り切れた軍服に痩せこけた身を包んだ復員兵達がのろのろと降りて来て、ホームは一時、喧騒に包まれる。


 アッシェンバッハ領の端にある鉄道の駅は乗り換え拠点だ。ここからさらに地方へ延びる小さな支線がいくつかあって、帰還兵はそれを使って故郷へ帰る。もちろんアッシェンバッハ領の住民が復員してくることもあって、再会を喜ぶ妻や子の姿も見られるが、その数は圧倒的に少ない。


 戦争が終わって兵士たちの復員が増えてきた頃から、エレノアは毎回駅に来ていた。最初はもちろん夫の姿を探していたが、今はヴィルの写真を前に掲げて人混みの間を歩き回る。


 ……誰か、この人を知っている方はいませんか。戦場でともに戦ったという方、彼の安否をご存じないですか……


 だがいつも、エレノアの叫びに応えてくれる兵士は一人もいなかった。


 今日も無駄足か……と肩を落としてホームを出ようとしたその時だった。


「あの……この人を探していなさるのかい?」

 一人の男に声をかけられて、エレノアは心臓が止まりそうになった。

「は、はい! 私の夫です!……何かご存じなのですか!?」


 その男はアッシェンバッハ領から馬車で二日ほどのところにある村の出身だった。


 彼はこう言った。

「あれは休戦間近のことだったな。野戦病院で隣のベッドに寝ていた男がよく似ている。脚に酷い火傷を負って、意識がなかった。あと頭も打っていたようで、うわ言を言っていたよ」

「火傷……頭を打って……そんな……」

 エレノアは信じたくなかったが、それでも訊かずにはいられなかった。

「それで、彼はその後どうなったのでしょうか?……その、助かったのか……」

 復員兵は答えた。

「それが、俺はすぐ退院して部隊に戻ったから、その後のことは分からないんだよ。でも軍医が峠は越えた、らしいことを言ってるのが聞こえたから、最悪の事態にはなっていないと思いたいね」

 エレノアは思わず天を仰いで感謝の言葉を述べた。

「ああ……神様、ありがとうございます……」

 そして、一番訊きたかった質問を投げた。

「あの、その人の名前は何といいましたか? ヴィルヘルム……ではありませんでしたか?」

 だが彼は申し訳なさそうにこう答えたのだった。

「それが……俺は字が読めねえから、ベッドの名札に書かれていた名前がなんだったのか、分からないんだよ。すまねえ」


 だが、それだけでもエレノアにとっては大きな前進だった。少なくとも休戦間近までは、生きていたのだ。それがヴィルなのかリヒャルトなのか、確証は持てないにしても。


 人気がなくなったホームのベンチで静かに涙を流すエレノアの姿に、その復員兵はしみじみと言った。


「あんたみたいな女房のいる男は、やすやすと死にはしないよ。俺も時間はかかったが、こうして帰ってこられた。希望を捨てなさるな」


 エレノアはその復員兵を屋敷へ連れて帰り、食事を振る舞い風呂に入れ、ちゃんとした寝台のある部屋で一晩泊まってもらった。


 そして翌日、汽車賃がないから故郷まで歩いて帰るという彼を、マルクスは荷馬車で領地の端まで送って行った。


 この数年間、どこか鬱々とした空気に包まれていたアッシェンバッハ家の屋敷に、久しぶりに一筋の光が差し込んだような、そんな出来事だった。



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