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第10話 食堂

 ピンポーン ピンポーン 

<ご来院中の皆様にお知らせ致します。病院裏B駐車場、緊急車両出入り口付近に駐車中のお車は大至急ご移動お願い致します、繰り返します>


 時折流れる館内アナウンスと人の騒めき。病院内の食堂はやや混雑し窓際のテーブルには2枚のトレーが並んでいた。


「あんたがA定食?」

「木蓮はB定食が良いって言ったじゃないですか」

「アジフライ美味しそうね、半分頂戴」

「じゃあ、木蓮のコロッケ半分交換して」

「ちぇーーーー」

「ちぇーーーーってどれだけ食べるつもりなの」

「悪かったわね、睡蓮みたいにか細くなくて」

「本当に」


 2人が箸でそれぞれの皿に取り分けていると恰幅かっぷくの良い女性が木蓮と伊月に話し掛けて来た。


「あら、叶さん」

「ーーーふぁい?」


 木蓮はアジフライにかぶり付きながらその顔を見上げたが見覚えはない。女性は伊月の肩をポンポンと叩くとニヤついた。


「田上先生、泣かしちゃ駄目ですよ」

「なんの事でしょうか」

「談話室で叶さんの事、泣かしたって噂になってますよ」

「えっ、そうなの?」

「恋愛話は外でお願いしますよ!」

「恋愛話、恋愛話じゃありません!」


 女性はカッカッカッと笑って奥の席に座った。


「あの人、誰」

「呼吸器内科の婦長さん」

「私と睡蓮を間違えたのね」

「そうですね」

「なに、そんなに見分けが付かない?」

「接点が少ない人には判別がつかないでしょうね」

「中身はこんなに違うのに」

「本当に」


 2人は無言で箸を動かした。


「ねぇ」「あの」


 2人は同時に呼び合い、木蓮は伊月に断る事なく話し始めた。


「睡蓮、なんて言ってた?病院から帰って来てからずっと部屋から出て来ないし、ご飯はお母さんが部屋まで運んでて引き籠り状態よ」

「ーーーーそうですか」

大人気おとなげない」

「その事なんですが」


 木蓮は豆腐とわかめの味噌汁の腕を持った。


「睡蓮さんは心的外傷後ストレス障害、PTSDの様な気がします」

「なに、そのPTA」

「トラウマと言います」

「あぁ、あれね嫌なことを思い出して「ああああー!」ってなっちゃう」

「木蓮が言うと緊迫感が無いですね」


 その木蓮の口からはわかめがダラリと垂れ下がっていた。伊月は「この2人が1人で半分に出来れば良いのに」とその顔を見た。


「それが睡蓮の引き籠りとなにか関係があるの?」

「赤い指輪に心当たりはありますか?」

「ーーーーーああ」


 それは雅樹が2度、3度と木蓮の指に嵌めた深紅のヴェネチアンガラスの指輪だ。思い当たる節があるといった表情の木蓮を前に伊月は箸を皿に置いた。


「あと、くまのぬいぐるみ」

「お父さんが買って来たティディベアね」

「ベージュと焦茶、睡蓮さんと木蓮の髪の色と同じ色ですね」

「そうね」

「木蓮がベージュのくまのぬいぐるみを選んだ事が睡蓮さんには大きなショックだった様です」

「く、くま」

「小学生だった睡蓮さんはと感じたのかも知れません」

「ーーーそんな」


 木蓮も箸を皿に置き伊月の顔を凝視した。


「わざとじゃ無いわ」

「木蓮は悪くありません、仕方の無い事ですから」

「でも」

「睡蓮さんが少し繊細なだけです。木蓮だってご両親が睡蓮さんの入院につきっきりで寂しい思いをしたでしょう」

「ーーーうん」

「木蓮も我慢したでしょう」


 あれ程婦長に釘を刺されたのに今度は木蓮が泣き始めてしまった。ただ木蓮は睡蓮のように繊細ではなく、自身で紙ナフキンを摘むと鼻をかみ始めた。


「伊月ーーーーーぃ、あんたくらいだわそう言ってくれたの」

「あ、婆ちゃんから聞いた事を言ったまでです」

「又聞きなんかーーーーい!」

「まぁ、そんな感じです」


 2人は大きなため息を吐いた。


「本来ならば心療内科を受診した方が良いのですが睡蓮さんもご両親も戸惑われる事でしょう」

「そうね、いきなりPTAはないわね」

「PTSDです」

「細かいわね」


「それで今度は赤い指輪が木蓮さんだけの物だと知ってされた様に感じたのかもしれません」

「それは」

「それも木蓮のせいではありません」


 木蓮はプラスティックのコップを握ると一気に飲み干した。


「伊月」

「はい」

「睡蓮は婚約者の事をベージュのくまだと思っていたりする?」

「その可能性はありますね」

「睡蓮はティディベアと結婚するの」

「こればかりは専門医ではないので私にもわかりません」

「どうしたら気付くと思う?」

「睡蓮さんが自分で自覚しない限り難しいと思います。頭ごなしに「それはくまじゃないんだよ」と言っても傷つくだけです」



ピンポーン ピンポーン

<呼吸器内科の伊月先生、外来までお願いします 繰り返します>



「ごめん、呼び出しだ」

「片付けておくわ、あ、伊月」

「なんですか」

「あんた、睡蓮の事が好きなんでしょう。なんとかならないの」

「ーーー力になれればとは思っていますが」

「それは心強いわ」

「じゃあ、また連絡します」

「またね、さんきゅ」


 まさかあのティディベアが原因だったとは思いも寄らなかった。「こんな色のティディベアなんか要らなかった!」結納の夜に木蓮に投げ付けられた焦茶のくま、それならば睡蓮の奇行にも合点がゆく。


(睡蓮が自分で気が付かないと)


 事の重大さを知った木蓮は雅樹の顔を思い浮かべた。


(あいつの事が好きだ、嫌いだとか言っている場合じゃ無いわね)


 やはり雅樹とは縁が無かったのだ。テーブルに肘を突き医王山いおうぜんの山並みを眺めた木蓮の頬に一筋の涙が流れた。


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