厳かな時間、白いチュールのウエディングベールはシャンパンゴールドのドレスの裾に波打った。ヘッドドレスはアクアマリンのスワロフスキーが光を弾き、八重咲の薔薇が咲き乱れた。
「汝、
「誓います」
「汝、叶 睡蓮は、この男、和田 雅樹を夫とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分つまで、愛を誓い、夫を思い、夫のみに添うことを、神聖なる婚姻のもとに、誓いますか?」
「誓います」
左の薬指に輝くプラチナの結婚指輪。
(あの隣に)
荘厳なパイプオルガンが新郎新婦の新しい門出を祝い、親類縁者の拍手が感動の涙を誘う。新郎は和田医療事務機器の御曹司、新婦は叶製薬株式会社の愛娘、参列者は教会の聖堂内に入り切らなかった。
(私があの隣に居たかった)
そんな中、一人の女性が真珠のような涙を零していた。その面立ちは新婦に瓜二つ、髪の色はやや深いロイヤルブラウンとその雰囲気は異なるが、陶磁器の白い肌、桜色の頬、やや伏し目がちの長いまつ毛に隠された黒曜石の瞳、赤くぽってりとした唇は合わせ鏡のようだった。
(私が、私があなたの隣に)
それは深淵の悲しみの涙。
(私が)
恥ずかしげに微笑む亜麻色の髪の睡蓮と対照的な木蓮。二人は双子の姉と妹だった。
妹の
「お嬢さま、降りて来て下さい!」
「いやーだもーん!」
「あっ!」
「えへへ、落ちちゃった」
姉の
「睡蓮、あなたどっちのお土産が良いの?」
「・・・・・・・・」
「睡蓮、早く決めないと
「・・・・・・・・」
「二人を足して半分に割れたら良いのに」
母親はそう言って溜め息を吐いた。
「お見合いのお話があるの、良い方なのよ」
年頃と言っても24歳の春、母親が見合い写真と釣り書きをテーブルに置いた。
「和田医療事務機器の息子さんだ」
「お父さんに都合が良いだけじゃない」
「木蓮!」
木蓮は見合い写真を見る事もなく突っぱねたが、睡蓮は躊躇いながらも写真と釣り書きに目を通した。
「優しそうな方ね」
「そうだろう!しかも金沢大学卒業の秀才だ」
「どうせ
「木蓮!」
「会社の都合もあるでしょうから、私、お会いしても良いわ」
「睡蓮!あなた馬鹿なの!一度でも会ったら次の日には結婚式場よ!」
「まさか、ねぇ、お父さん」
父親の視線は宙を泳いだ。
「ほら、見て」
「本当だ」
「騙されちゃ駄目よ」
そして木蓮の心配を他所に睡蓮は淡い桜色に撫子や桔梗が描かれた加賀友禅の振袖で見合いの席に着いた。その姿はたおやかで儚げだった。
「初めまして、和田雅樹です」
「初めまして、叶睡蓮です」
雅樹は清潔感溢れる男性でグレーのスーツを上品に着こなし、緩いパーマの黒髪を程よく
「セーリングですか」
「睡蓮さん、ヨットはご存知ですか」
「はい」
「あれと同じです。帆の表面を流れる風で水面を走る競技です」
「海のスポーツなんですね」
「はい」
「気持ちよさそう、とても楽しそうですね」
「今度睡蓮さんも見に来ませんか」
「はい、ありがとうございます」
男性に免疫のない睡蓮にとって和田雅樹との出会いは衝撃的だと言った。両親としても睡蓮が乗り気ならばこのまま縁談を進めても良いと喜んでいた矢先、仲人から木蓮との見合いを希望する電話が掛かった。
「えっ、私もお見合いに行かなきゃならないの!?」
「先方が是非ともと仰るの」
「クソ雅樹、私たちは陳列棚のケーキじゃないのよ!」
「木蓮、クソはないだろう」
「クソはクソよ!」
そこで驚きの言葉が睡蓮の口から転がり出た。
「木蓮、私の旦那さまにクソなんて言わないで」
これには家族一同驚いた。なんなら家政婦の田上さんも驚いた。睡蓮が生まれて初めて自分の意思を顕にした。
「睡蓮、目を覚まして!」
「だって素敵な人だったのよ」
睡蓮の様子ではどうやら和田雅樹に一目で心を奪われたようだった。
「睡蓮が気に入った男の顔を見てやろうじゃないの!」
木蓮は反対する両親を尻目に白いカッターシャツにジーンズを履いて見合いの席に着いた。木蓮の装いを見るや否や仲人は目を丸くしたが、和田雅樹は腹を抱えて笑いタクシーを手配した。
「
「なにしてるの」
「着替えに行くんだよ、ほら、乗って!」
木蓮は有無を言わさずタクシーの後部座席に押し込まれ、膨れっ面でサイドウィンドウに片肘を突いて車窓を眺めた。
「怒っているの」
「そうでもないけれど」
「君たちはどうやら正反対の性格みたいだね」
「やっぱりケーキだと思っているんだ!」
「ケーキってなんの事」
木蓮は見合いで自分たちが比較される事が不快だと捲し立てた。
「私と睡蓮を比べて選んでいるんでしょう!」
「そりゃそうだよ、見合いなんだし」
雅樹は悪びれる事なく即答した。
「ーーーーーなっ!」
「僕だって君たち二人に選ばれてるんだよ」
「そうね」
「状況としては同じだと思うけど」
「そうね」
「そうだろう」
「あんた結婚しないって言う選択肢はないの」
「僕は和田の後継ぎだからそんな自由はないんだよ」
「それはお気の毒さま」
「お互いにね」
そこで和田雅樹はヘアースタイリング剤でまとめた髪を片手で払うと紺色のネクタイを緩めた。その何気ない仕草に木蓮の心臓は跳ねた。
(ーーーなに、なによこれ!)
「木蓮、ここで待ってる?それとも家に入る?」
(ーーーいきなりの呼び捨てってどうなの!)
「誰があんたの家なんかに!」
「酷い言われようだな」
「公園で待ってるわ!10分よ、10分したら帰るから!」
「短っ」
スーツを脱ぎ散らかして5分で戻って来た和田雅樹はダンガリーの白いシャツに黒いジーンズを履き、先程の好青年とはまるで別人だった。
「あんた、ルール違反だわ」
「なにが」
「ギャップ萌えってタイプでしょ」
「萌えた?」
「あーーはい、はい、萌えた萌えた」
和田雅樹と木蓮は金沢駅まで賑やかしく歩き、駅構内でラーメンを食べた。
「やっぱりこれよね」
「なんでか無性に8番ラーメン、食いたくなるんだよな」
「さすが県民のソウルフード、不思議よね」
そして地酒の飲み比べをした。
「おまえ、酒強いんだな」
「水みたいなもんよ」
その後は商業施設でカラオケを思う存分楽しんだ。
「ここの歌詞が良いのよ!」
「分かる、俺らに自由はないからな!」
♪追いかけて届くよ 僕ら一心に羽ばたいて♪
最後に二人でワタリドリを熱唱し、日頃の鬱憤を晴らした。
「じゃあまたな」
「あぁ、あんたと私にまたな、はないわ」
雅樹の眉間に皺が寄った。
「なんでだよ」
「睡蓮があんたに一目惚れしたのよ」
「ーーーーえ」
「おやすみなさい、楽しかったわ」
カラオケでしゃがれた声の和田雅樹の表情は沈んで見えた。タクシーのリアウィンドウに立ち竦む姿から目を逸らし、木蓮は自宅の住所を告げた。
「太陽が丘までお願いします」
「はい」
後日、和田の家から睡蓮に正式な婚約の申し出があった。
仲人の話によれば妹の 叶 木蓮 は見合いの席にカジュアルな服装で来るような礼儀作法も知らない娘だが、姉の 叶 睡蓮 は由緒ある家柄の子女らしい立ち居振る舞いであった。しかも雅樹との縁談に前向きだと聞きそれが決定打となった。
「是非とも雅樹と睡蓮さんの縁談を進めて頂きたい」
ただその話は雅樹の知らぬ間に進められていた。海外出張に出掛けていた本人にその旨が伝わったのは半月も後の事だった。