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第10話 SDカード

  湊 は竹村誠一のアドバイスに従い賢治の行動を把握する事に着手した。


「これは違法にならないのか?」

「さぁ?大学時代の友人が呟いただけさ」

「友人が、ねぇ」


 ルームミラーの角度を変え、そこに映った黒縁眼鏡の顔を覗き込んだ。


「誠一、菜月に惚れたんだろ」

「ば、馬鹿な事を言うな!人妻だぞ!」

「そのうち独り身になるよ」

「バッ馬鹿が!」


 竹村誠一は顔を赤らめ助手席のドアを閉め、警察本部の建物へと入って行った。公休日に仕事三昧、余程暇を持て余しているのだろう。そんな後ろ姿に呆れた湊は失笑し、ハンドルを握ると車載カメラ専用のSDカードを購入する為に家電量販店へと向かった。


それは翌日決行された。


副社長賢治さん、お客様がいらっしゃいますので車の移動をお願い出来ませんか?」


 来客など嘘も方便、そんな予定はない。賢治は書類から目を上げると面倒臭い表情で車の鍵を 湊 に放り投げた。


「お前がやれ」

「分かりました」


 賢治は 湊 が 賃貸物件管理部長と自分より役職が下でありながら、社員から「湊さん」「湊」と持てはやされている事が気に食わなかった。


(大人しく賃貸経営の家主にコメツキバッタのように頭を下げてりゃいいんだ。代表取締役の長男だからってちやほやされやがって!)


 賢治は事ある毎に 湊 を顎で使った。今回はその横柄な態度を利用した。


(・・・・予定通りだ)


 アルファードに乗り込んだ 湊 は人目を盗んで車内搭載カメラのSDカードをすり替えた。自宅マンションから会社まで10分弱、繁華街を彷徨うろいても30分には満たないだろう。これで賢治の数日分の行動が把握できる。これを繰り返せば如月倫子との逢瀬の証拠が掴める筈だ。


「賢治さん、移動しておきました」

「おう」


 湊は周囲を伺い見ながらSDカードをパソコンの中に保存した。日曜、月曜、火曜、残念ながら女性の姿を確認する事が出来なかった。湊は賢治の隙を見てその行為を繰り返した。



 2週間が経過した頃、賢治は綾野の家に呼び出された。鹿威ししおどしが庭に響く座敷に郷士と賢治が正座で向き合った。


「社長、何か不手際でもありましたでしょうか?」

「いや、今日は家族として尋ねたい事がある」

「家族ですか?」

「そうだ」


 賢治は眉間にシワを寄せた。


「なんでしょうか?」

「いつも菜月が迷惑を掛けているね」

「いえ、菜月さんには良くして頂いています」

「そうか。世間知らずな娘で申し訳ない」

「いえ」


 その場には ゆき と 湊 の姿もあった。


「菜月がここ暫く顔を見せないんだが何かあったのかな?」

「あまりこちらに出入りしてもご迷惑でしょうから」

「わしらは菜月が来る事は歓迎しているんだがな?」

「そうですか」

「賢治さん、菜月からのLINEが返信がないんです。何かご存知ないですか?」


 ゆき が不安げな表情で身を乗り出した。すると賢治はしゃくに障るほど平然な顔で言い放った。


「コロナウィルスに感染したんですよ。何だか具合が悪いみたいで寝込んでいます」

「悪いみたいで?なんなんだよ!そのいい加減な言い方は!」

「 湊 、落ち着きなさい」

「すみません」


 郷士は大きな溜め息を吐いて賢治に向き直った。


「分かった、菜月は綾野の家で面倒を見よう」

「皆さんに感染しますよ」

「なら、明日にでも ゆき に世話に行かせよう。もう2週間も経っているんだ大丈夫だろう」

「・・・・・・」

「良いかな?」

「はい、よろしくお願いいたします」


 その夜、賢治は菜月に手伝わせて壁に付いた醤油の染みを拭き取り、床の凹みに焦茶のろうを塗り込んだ。


「賢治さん、何でこんな事をするの?」

「明日、お義母さんが来るからな」

「お母さんが!」


 すると賢治は菜月の顔を凝視し壁に押し付けた。


「良いか!この事を言ったら・・・分かってるな!?」

「わ、分かって・・・ます」

「黙ってろよ!」

「はい」


 菜月は顔色が悪く見える様な化粧をしてなるべく水分を摂らなかった。乾いた唇、パサついた髪、それはこれまでの菜月と比べれば見る影もなく、賢治はその姿を満足気に見下ろした。


 翌日、タクシーをグラン御影みかげに横付けした ゆき は言葉を無くした。玄関の扉を開け自身を迎え入れた娘はやつれ果てていた。


「な、菜月さん?何があったの?」

「大丈夫よ、お母さん。これはだから」

「どういう事?」


 菜月は凹んだ床や傷だらけの家具、うっすらと汚れた白い壁、菜月はこれまでの事をつまびらかに ゆき に話した。


「賢治さんが、不倫をしているの?」

「多分。ううん、確実にしている」

「・・・・そんな」

「びっくりだよね、あんなに優しい人だったのに」


ゆき は涙を流して菜月を抱き締めた。


「やっぱり、やっぱりあの時、郷士さんに反対していれば」

「お母さんのせいじゃないよ?」

「 湊 に・・・」

「 湊 ?」

「 湊 と結婚させてあげれば良かった」

「・・・・・!」


 その言葉に菜月の目から涙が溢れた。やはり母親は自分たちの気持ちに気が付いていたのだ。だから「結婚が嫌なら断っても良いのよ」そう言葉を掛けていてくれたのだ。四島工業との縁談が持ち上がった時、父親を失望させたくないただそれだけで流されるまま結婚を決めた自身の軽率さを悔いた。


「お母さん」


 ゆき の言葉に菜月の張り詰めていた糸が切れた。この2週間の辛さ、これまで抱いて来た 湊 への思いが涙となって溢れ出した。それは頬を伝い、菜月のワンピースに落ちた。


「お母さん」

「なに?」


 菜月は目尻の涙を拭うと鼻水をかみ、 ゆき の前にティッシュの箱を差し出した。「ありがとう、菜月さん酷い顔よ」「お母さんもよ」泣き笑いをする ゆき の目を覗き込んで菜月は言い切った。


「私、離婚するから」

「・・・・・!」

「もう賢治さんと暮らしていけない」

「そうなのね、決めたのね」

「うん、私、お母さんとお父さんみたいに幸せになりたいの」

「幸せに・・・そうね、それが良いわ」

「うん」


 ゆき は「あっ!」と思い付いた様にハンドバッグを開いた。菜月は白い封筒を手渡された。


「これはなに?」

「 湊 から預かって来たの、車のSDカードだって言っていたわ」

「車の?車載カメラの事?」

「そうそう、それよ、車のカメラ!」

「このSDカードはどうするの?」

「水曜日に賢治さんの車のSDカードとり替えて欲しいそうなの」

「・・・・」

「出来る?」

「する!水曜日ね!」

「録画したものはまた取りに来るわ」


 菜月は力強く頷いた。その時、 ゆき のハンドバッグの中でLINEの着信音が鳴った。


「あら、郷士さんかしら?」


 携帯電話の画面をタップした ゆき の顔色が変わった。


「なに、何かあったの?」


 ゆき が携帯電話を菜月に手渡した。そこには数枚の画像が並んでいた。


「菜月さん、この人がその不倫相手の人なの?」

「・・・・これは誰?」

「どういう事?」

「お母さん、私、一度、賢治さんの不倫相手の人と会った事があるの」

「どこで」

「この家に来たの」

「なんて事!」


 菜月は 湊 へのLINEトーク画面に文字を打ち込んだ。


湊、元気?

       菜月は元気じゃなさそうだね    

                  既読

この女性は誰?


             賢治さんの車の

          カメラに映っていたよ

                  既読


この人、如月倫子じゃないよ


                 嘘だろ

                  既読


 賢治には如月倫子の他にもうひとりの愛人がいた。


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