「行くぞ、悪しきケルベロスの待つステージへ!」
勇敢な叫び声とともに、どやどやと複数の足音がした。壁際によけた俺を押しのけるようにして、勇者たちが階段を駆け上っていく。
「邪魔だ!」
怒鳴りつけてくる勇者に向かって、「あ、すんません」と返事をする。
パーティーはいかにもなマントを着た勇者、海賊のような風貌の斧使い、風魔法の書を握りしめた細身の男、そして最後に杖使いの少女がひとり。あーあ、ケルベロスと戦うなら火魔法が必須なのに、こいつらわかってねえな。
「あの……」
しんがりの、杖使いの少女が足を止めておずおずと俺に話しかけてきた。
「なんですか」
「あなたもどこかの勇者パーティーの人?」
俺は首を横に振る。
「いえ、ダンジョンの掃除をしている者っす」
「あ、そうなんですね。こんな危ないダンジョンにお掃除の方とかいるんだ……」
「まったく、最近はブーツに泥をつけたまま登ってくる連中が多くて困りますよ」
少女は俺の頭からつまさきまでじろじろと見た。汚れてもいいように麻のさっぱりした上下の服に、ほうきとちりとりを一本だけ持った俺の身なりを見て、納得したようだ。
「マーサ、何をしている。はやく次のステージへ行くぞ」
上の方から勇者の呼ぶ声がする。少女は慌てたように杖を握って返事をした。
「あ、はーい。えっと、それじゃさよなら、お掃除係さん」
「どうも」
ハンチング帽のつばを持ち上げて会釈する。
少女は振り返ることなく勇者たちを追いかけて階段を駆け上っていった。
なかなか感じのいい子だったな……なんて、ほうきで階段を掃除しながら考えてみる。このダンジョンで女性に会うことはあまりない。
というのも、ダンジョンの入口に賢者っぽい爺さんがいて、ダンジョンに挑もうとする勇者に「おぬし、体力の少ない者にこの塔は到底登れんじゃろう」とか忠告してくるのだ。だから、パーティーから回復役を外して代わりに薬草や傷薬を多めに持っていくとか、そういう対応を迫られる。
それでもあの少女を連れて行こうとしたあの勇者は、酒場で豪遊したせいで傷薬を買う金がないとか、女の子にわざわざいいところを見せたいか、それともあの少女を盾にしようとしているか、いずれもクズであることに変わりはない。
勇者たちの落とした泥を掃いていると、上の階からケルベロスの咆哮がうっすらと聞こえてきた。
そろそろ第2形態だろうか。火魔法がいない割に健闘している方だと思う。
数分後、咆哮が止まった。
ほうきとちりとりをかついで階段を上り、ステージ入口の鉄扉をぎいと開けると、中には惨状が広がっていた。
入口付近で倒れている魔導士と海賊。魔導書はびりびりにちぎれている。
ケルベロスの足元でさっきの少女が血まみれで倒れている。もう息はないようだ。
そして、祭壇の奥でムチャムチャと何かを食んでいるケルベロス。
「ケロ!」
名を呼ぶと、勇者の頭を食べていたケルベロスが振り返った。
「ギャオオオオ!」
ケルベロスが勇者の頭を放り捨てて、俺に向かって走ってくる。いつものじゃれるときの顔と違って、目が血走っている。これは第2形態になるときの後遺症で我を忘れているな。最近はよくあることだ。
「プロテクト」
簡単な防御魔法で壁をつくると、弾かれたケルベロスがばいんとうしろに吹き飛んだ。
「おいケロ、目を覚ませ」
「ガオ?」
「そうそう、いい子だ」
3つの頭を順にぐりぐりなでると、落ち着いたのかケルベロスもいつもの顔に戻る。
「人間なんて食ったら腹下すぞ。おやつの時間まで待ってくれ」
「ガオーン」
ケルベロスと戯れていると、ヒュンと風を切る音がして黒いマントの骸骨男が現れた。
「勇者パーティーは全員やられたようだな」
「ハデス様!」
「やあカイル。今日もお疲れ様」
ハデス様はこのダンジョンのラスボスで、俺の雇い主でもある。
「ケロの様子はどうだい」
「最近元気がないですね。あとうんちが緑っぽくなってます」
「それは大変だ、きっと人間を食べすぎたせいだろう。ケロが食べないうちにさっさと死体を片付けてしまおう」
「はい!」
ハデス様はきれい好きだ。何百年も前から、ボランティアでダンジョンの死体処理をしていたという。それでも階段とか窓とか細かいところまでは手が回らなくて、俺を雇ってくれたのだ。
ケルベロスステージ脇の用具入れにしまってあった雑巾でゆかについた血をふき取り、4人の死体を端に寄せて積み上げる。装備やアイテムは外しておく。これはあとで村に持っていって売るからだ。
「カイル、お前も浄化の術式くらい使えるだろうに、なぜわざわざ布で拭くのだ?」
「わかってませんねハデス様。汚れを一か所に集めて魔法をかけた方が効率がいいんです。じゃ、火葬しますね」
窓を開けて換気を確保してから、魔法で4人の死体に火をつける。火を怖がって後ずさりするケロをなでながら、燃え上がる炎を眺めた。
杖使いの少女はケルベロスの足元で倒れていた。きっと勇気を振り絞って前に出て勇者を回復しようとしたのだろう。目を閉じて、少女の生涯に祈りをささげる。
「お前はいつも祈っているな。死んだ者にもはや意味などないのに」
ハデス様が俺の隣にしゃがみこんで、眼球のない目で炎を見つめた。
しばらく後、俺は火の消えた灰に魔法をかけた。
「
灰があとかたもなく消え、部屋は元の清潔なダンジョンになった。
日没後。ダンジョンには結界が張られ、勇者や冒険者たちは入ってこられない。
俺はほうきとちりとりを片付けて、ダンジョンの1階に下りる。いつも入口にいる賢者っぽい爺さんが、フードの中からよぼよぼの目をのぞかせた。
「おぬし、今日はもう店じまいか?」
「ああ。爺さんも早めに帰れよ」
「お前さん、ちょっと顔を見せなさい……ふむ、これはよくない。悪い運気が憑いておるぞ」
俺は乾いた声で笑った。この賢者っぽい爺さんの占いは当たったためしがないからだ。
「ああそうかい。なら今日は転ばないように気をつけるよ」
暗くなった森を抜けて村に戻る。
カラン、と武器屋の扉を開けると、奥からおっちゃんの声がした。
「お客さん、すまんがもう店じまいだ」
「おっちゃん、俺だよ」
「なんだカイルか」
のれんをめくって武器屋のおっちゃんが顔をのぞかせる。
「おっちゃん、今日もアイテムを売りに来たよ」
店のカウンターに勇者パーティーの遺体から拝借した武器やアクセサリーを並べる。
おっちゃんは虫眼鏡で武器を検分した。
「うーん、剣と斧は耐久値がまだ残っているな。それぞれ350ゴールドってとこか。この使い古した杖はまあ50ゴールドで買い取ろう。魔導書は破れていて買い取れないよ。それにしても……」
おっちゃんが剣をじろじろ眺める。
「この鉄剣、今朝勇者に売ったのと似ているな」
心臓がぎくっと鳴るが、顔には出さない。
「今日森に行ったら勇者パーティーが野垂れ死んでてさ。死体からいただいてきたんだ。どうせ野犬かゴブリンにでもやられたんだろ」
「そうか……あいつらそんな弱そうには見えなかったが、ダンジョンに到達できなかったのか……」
「ま、拾ったんだから俺のもんだ。買い取ってくれよ」
おっちゃんは釈然としない顔で貨幣の勘定を始めた。
俺はふと思い立って、おっちゃんに声をかける
「あ、そうだ、杖だけ売るのやめとくよ」
「カイル、お前杖なんて使えねえだろ」
「まあまあ、剣と斧だけでも今日の宿代にはなるだろ」
俺はおっちゃんの厚意で、武器屋の2階に間借りしている。普通の宿なら1泊1000ゴールドとられるが、おっちゃんは身寄りのない俺を心配してか、宿の半額で泊めてくれるのだ。
俺のバイト先が人類の恐れる森のダンジョンであるなどと言えるはずもなく、おっちゃんには森で木こりをしていると説明している。
杖をかついで2階へ上がろうとしたとき、おっちゃんが声をかけてきた。
「カイル、お前ももう16だろ。その、なんだ、うちで働いてもいいんだぞ」
「どうして?」
「森は危ねえって言うじゃねえか。森のダンジョンに挑んで帰ってきたパーティーはいねえし、木こりなんかよりも俺のところで修行して武器屋を目指すのもいいんじゃないか?」
「……いや、やめとくよ」
俺は首を横に振る。どこの誰ともわからないという理由で、俺は村でもあまり評判がよくない。俺を引き取ったところで、お人よしのおっちゃんのマイナスにしかならないだろう。それに、ダンジョンにはハデス様とケルベロスのケロがいて、正直かなり居心地がいい。
「武器屋もいいけど、俺には木こりが向いているんだ」
「そうか。お前がそう言うならわかったよ。おやすみ、カイル」
「ああ、おやすみ」
階段を上りながら、少しだけ胸がちくっと痛んだ。結果的におっちゃんをだましていることには変わりない。だが今はもうしばらくだけ、このままでいたいのだ。
2階の物置部屋の窓を開けて、星の浮かぶ夜空を眺めながら横になる。
明日も今日と変わらない毎日だろうか。そんなことを考えながら眠りに落ちようとしたとき。
空が紫色に光った。
一瞬昼間のように明るくなり、光が消える。瞬間、強風が吹いて窓ががたがたと揺れる。
「なんだ!」
「隕石か!?」
外が村人の声で騒がしくなり始めた。
つむじ風が空をぐるぐると舞い、武器屋の2階――俺のいる部屋――に飛び込んでくる。
「カイル!」
現れたのはハデス様だった。
「ハデス様、登場が派手すぎますよ……」
「そんなことより、大変だ!」
ハデス様の慌てた様子に、俺もはっとする。ハデス様はもう何百年もダンジョンの塔から出ていない。わざわざ村にまで下りてくるということは、よほどのことがあったのだろう。
「カイル、ケロが……ケロの容態が!」