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第拾弐話 ひとかたのやかた

 人形館


 僕は今、馬車に揺られていた。向かい合って、メビウスという片眼鏡の男の人が座っている。この人に、この馬車に乗せられたのだ。

 馬車に乗ってから、その人とは目を合わせられずにいた。その目を見たら、なんで、どうして、と泣き喚きたくなりそうだったから。

 その原因となった会話に思いを馳せる。一時間ほど前の出来事だ。


「アルル様、お迎えに上がりました」

 メビウスと名乗ったその人はそう言った。

「迎え? なんのことです?」

 全く心当たりのない僕は、戸惑うばかりだった。

「ああ、やはりご存知ありませんでしたか。私はあなたのお祖父様にお仕えしていたものでして。あなたのお祖父様から、あなたを人形館の新たな館主として迎えるようにと仰せつかって参ったのです」

 人形館? 館主? お祖父さん? ——メビウスさんの説明は丁寧だけれど、やはりわからないことだらけだ。聞いたことのない単語と、祖父の存在。祖父、というとよぎるのは母さんの父親という人だけれど、僕はその人に会ったことはないし、第一、その人は呪いで人形にされてしまったと母さんが言っていたではないか。

 となれば、父方の祖父ということになるわけだが、そういえば、僕は父さんのことを知らない。というか、父親がいないことについて、疑問を抱いたこともなかった。

 それを置いても、疑問は尽きない。どこから訊けばいいのだろう、と迷っていると、メビウスさんがこう続けた。

「人形館は、あなたのお祖父様のお屋敷です。あなたのお祖父様は大変、人形を愛されたお方でした。その手の者の間では有名な人形の収集家でして。収集した人形たちと共に過ごす場所として建てたのが人形館です。人形職人の血を濃く受け継いだ実孫のあなたに、人形館を託したいと、仰っていました」

 そこまで聞いて、僕はある部分に凍りつく。

『人形職人の血を濃く受け継いだ実孫のあなたに』

 人形職人の、血?

「人形職人の血ってなんですか? 僕の父さんが、人形職人だったとでも?」

「私は詳しいことは存じておりませんが、アルル様は人形職人だと窺っております。前館主のお祖父様は母方の方だということで、あなたのお父様についてはわかりかねますが」

 決定的な一言があった。

 この人が語る僕の祖父とは祖父なのだ、と。

 前に本に書いてあった。

『四人種の体質は遺伝するものなのか、という検証を行ったところ、人形職人だけは遺伝的なものであることが確認された。

 ただし、呪いにかからないという体質は人形職人同士の間に生まれた子どもにしか受け継がれず、このことから、人形職人の体質が劣性遺伝であることがわかる』

 つまり、劣性遺伝ゆえに人形職人は希少人種なのだ、ということを記した本だった。

 片親が人形職人であるだけでも呪いへの抵抗力は強まるらしいが、全くかからないというわけにはいかないらしい。その場合の区分は「一般人」となる。

 ゆえに。

「僕が、人形職人だなんて、あり得ない。だって、母さんは一般人だったんだよ? それに、母さんには普通のお祖父さんがいて……」

 まさか、母さんが違うだなんて言いませんよね?

 願望を込めて言う。

「では、アルル様はなぜ、生きておられるのです?」

 しかし、僕が抱いた微かな希望は、そんな冷たい声に打ち砕かれる。あまりにもあっさりと。

「この火事跡、感覚的に恐ろしく強大な呪いの気配が残っています。一度呪いにかかって鋭敏になっているとはいえ、私のような一般人に見抜けるほどの痕跡です。相当強い呪いがこの家にかけられていたと見て、間違いないでしょう。そのような渦中にいたはずなのに、あなたは生き延びました。こうして今、生きているのです。それはなぜですか? あなたが一般人だというのなら、呪いに対抗する術を持たぬただの人だというのなら、なぜ呪いによる災厄から逃れ、命をとりとめているのです?」

 反論の言葉は出てこなかった。やるせなさが喉の奥を塞いで苦しくなるだけだ。

 だって、心当たりはたくさんあった。マグとホリーを見つけたとき、二人の記憶や思いを読み取っただけで、何事もなかったのはなぜ? 母さんが、おそらく呪いのせいであんな死に方をして、そこに立ち入ったのに僕には何も起こらなかったのはなぜ? あの後、火事の中に飛び込んで、逃げられなくなったのに、助かったのはなぜ? 何より、呪いの人形であるはずのメイと、三年間も一緒に過ごせたのは、なぜ?

 考えれば考えるほど、事実が僕の首を絞めていく。認めたくない、現実が。

「ぼくのかあさんが、にせものだったっていうの……?」

「言葉が過ぎました」

 掠れた声を発すると、メビウスさんは頭を下げた。謝罪の言葉ではあるけれど、否定の言葉ではない。

 それなら、今までは何だったのだ。

 優しかった母さんは、儀式にすがる悲しい母さんは、僕の母さんは一体——

 僕は一体。

「だれなんだよ……?」

 何もかもがごちゃごちゃになって、僕の頭の中は乱れていく。何もわからない。わからなくなりそうだった。

 そんな僕に、メビウスさんは言った。

「メイさんに、会いたいのでしょう?」

 その言葉に頭が一気に冷えた。

「え?」

「メイという人形と仲が良かったと、立ち寄った診療所で聞きました。その人形に、会いたくはありませんか?」

 片眼鏡の奥で、青い瞳がきらりと光る。その光は真っ直ぐ射抜くように、僕を見据えていた。

「まさか、メイは、生きているんですか!?」

「確証はありませんが、可能性は高いと思いますよ」

 目元を和らげてメビウスさんが告げる。

 メイは死んでしまったのか、と呟きを漏らしたとき、そういえばこの人は「そうとは限らない」と言っていた。

「街の方々に少々聞いて回ったところ、何人かが『緑の小さいのを見た』とか『金髪の小さい女の子を見かけた』と話してくれました」

 金髪に、緑のドレスの女の子。

 メイだ。

「メイを、メイを探したい。見つけて、もう一度会いたいです」

 考えなくても、思いは溢れた。

 メイが生きているのなら。それは光のように思えた。

「それなら、やはりアルル様には人形館に来ていただきたい。いえ、来るべきです。メイさんを見つけるのに、『人形館館主』という立場が、とても有益なものとなるでしょう」

 メビウスさんが続けた言葉に、僕は疑問符を浮かべる。

「どういうことです?」

「先程も申しましたとおり、前館主であるあなたのお祖父様は、人形収集家でした。その方面に関してのツテは、大いに利用できるもの、とは思いませんか?」

 メイを探す、手掛かりを得られる。

 それはこれ以上とない好条件だった。ただ、そこに見てとれる打算が、どうにも心を拭えない雲で覆う。

「どうして、そこまで、僕を人形館に連れていきたいのですか?」

 その問いに、初めてメビウスさんが言い淀んだ。

「それは……館主様が、亡くなられたからです」

 そう告げた声は重苦しく、僕に衝撃をもたらした。

 そう言えばこの人は、前館主のことを語るのに、全て過去形を使っていた。

「アルル様に、館を継いでほしいと……それが前館主様の遺言でした。私は、主様の最期の願いを、遂げるために来たのです」

 切なる願いが、その一言には込められていた。痛いほどに、伝わってくる思いを拒絶することなんて、僕にはできなかった。

 だから僕は、馬車に乗った。メビウスさんの手を取って。


 気分は憂鬱だった。

 馬車に揺られながら行く道は長い。けれどその合間に、メビウスさんと何と言葉を交わしたらいいのか、わからなかった。

 気まずい沈黙だけが、その場を漂う。

 けれどメビウスさんは、終始涼しげな顔だ。片眼鏡の向こうは冷悧にさえ思えた。焦ったり、気落ちしたりしている僕が、馬鹿らしく思えるほどに。

 息の詰まるような思いで馬車に揺られて数時間。馬車はある山の中腹で止まった。

「アルル様。到着いたしました」

 メビウスさんが、馬車の出入口を開け、そこから僕は地面に降り立ち、眼前の建物に目を奪われた。

 本で見た城や宮殿といったものほど豪奢なものではないけれど、かなり立派で大きな洋館がそこに建っていた。

 メビウスさんは片手で館を示しながら、礼をとった。

「さあ、アルル様。人形館へようこそ」

 僕はそこに、一歩踏み出した。




   序章、完


 しかし、物語はまだ、始まったばかりである。



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