目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第玖話 さいやくのゆめ

 災厄の夢


「中から一人、出て来たぞ」

「子ども、子どもだわ。機織りマーガレットの息子さんよ」

「そうか、無事だったか。よかった」

 名前も知らないおじさんやおばさんが、僕の方に寄ってくる。口々に「よかった」と口にしながら。

 よかった? 何が?

 僕は混乱した頭で自分の姿を見下ろす。ずいぶんと血まみれだ。手も足も服も。左腕なんか特に酷い。点滴を抜いてそのままにしていたから、針が刺さっていたところから、とろとろと赤いものが流れ出している。それ以外の血にもまみれて、何が何だかわからない。その上痺れてろくに動かないし、感覚がない。

 そんな左腕がだらんと垂れた先には、母さんの指の痕がくっきりとついた足首。痕の部分がひりひりと痛い。見ただけであの指の感触がまざまざと蘇る。

 そこから視線を逸らして、右足、右腕と顔を上げていき、右手首を見て固まる。そこにも赤く、握りしめられた痕があった。杭で吊り下がっていた、母さんの腕。綺麗なままだった腕を思い出して目を閉じる。

 いやだ! なんでこんな……

 その場にへたり込む僕。目の前には赤々とした炎に包まれ、黒い煙を上げている家。炎はぎらぎらとその存在を誇示するように揺らめいていた。

「おい、きみ、大丈夫かい? 怪我は?」

 訊ねてくる街の人の声が遠く聞こえる。僕は言葉の意味をろくに咀嚼そしゃくもせずに、ふるふると首を振る。

 怪我なんてしていない。傷なんてどうでもいい。それよりなぜ僕の家が燃えているのか、誰か、説明してほしい。

 そんなことを思いながら、家を呆然と見つめていると、まだ火の手が回っていない窓にちらり、と炎ではない赤が見えた。炎よりも血よりも、鮮烈な赤──赤い髪。

 赤い具者! なぜここに?

 思うと同時、立ち上がって、後ろを見る。街の人々の中に、あの赤を見出だすことはできなかった。

「アルルよ、オレの作り上げた最高の悪夢ナイトメアはどうだ?」

 しかし、その声が頭に流れ込んでくる。

「ナイト、メア……悪夢ゆめ?」

 よく働かない頭で、具者の言葉をそう解釈する。

 夢。そう、これは夢だ。悪い夢なんだ。赤い少年が出てきた、あの夢の続きなのかもしれない。だって、あの子によく似た赤髪の男が出てきた。家も、ほらそう、あの空間みたいに黒くなっていく。

『早く、早く』

 赤い少年の歌が聞こえて、ふとあの絵本の一節が蘇る。


 そこで、見つけた。

 黒い手。

 この火事で死んだのは、茶色いのただ一人だと聞いている。だから、そういうことなのだろう。

 黒い手は何かを求めているようだった。だからそこに僕の手を重ねたら──

 それはぼろぼろと崩れて消えた。


「あ……」

 とっさに閃いたのはメイの顔。

 部屋に置いてきたままの友だち。

 母さんの手、マグとホリー、メイ。みんなあの手のように、黒く崩れて消えてしまうの? ──そんなのは、いやだ!

 僕は駆け出していた。

「おい、何やってるんだ!」

「離してください」

 僕の肩を掴んだ人の手を思い切り振り払う。羽交い締めにされそうになるのを、乱暴に身を振って抜け出す。

「行かなきゃ!」

『早く、早く』

 赤いのの歌が急き立てる。

「正気か!?」

「正気じゃないです!!」

 言い捨て、走り出す。

 正気なわけがない。これは夢、夢なんだ。元々正気じゃない。

 でも、それでも失いたくないものがある。失いたくない人がいるんだ!

 崩れかけの玄関をくぐって、真っ直ぐ僕の部屋へ。

 しかし、辿り着いたそこは、完全に火の海だった。

 クローゼットも本棚も皆、燃えている。本棚は崩れて、そこに納められていた本たちが炎を纏って床に散らばっており、足の踏み場もない。それでも諦めきれず、火の中に一歩踏み入れる。じゅう、という音がした。痛くない。痛くなんかない。

「メ、イ……!」

 呻くような声しか出ないのがもどかしい。叫びたいくらいなのに。メイ、メイ、そこにいるんだろ?

「メイ……っ」

 返事をして。

「メイ、メイ、メイ!」

 熱気が口に入ってきて、喉が焼けるような心地がした。けれど、返事はない。メイもこの熱気の中で声を出せずにいるのか?

 そう思い、机の方へ手を伸ばし──ようやく気づいた。

 そういえば、そう。この部屋のものは燃えているんだった。机とて、例外ではない。

 既に半壊した机にすがりつくこともできずに立ち尽くす。もう窓すら見えない。

 がらがらと、色々なものが崩れ落ちていく。

「そんな、メイ、メイ」

 からからの声で名前を呼ぶ。

 ねぇ、どこにいるの? メイ。家を探検しているのかな。いっつも何かしら欠けさせて戻ってくるじゃないか。僕はとても心配しているんだよ。

 名前を呼んだら出てきておくれよ。それじゃ出会ったときに聞いておいた意味がないじゃないか。

 ねぇメイ。メイ。

 僕がこんなに呼んでいるんだから君も応えてよ。「アルル」って。それが僕の名前だって、教えたでしょ?

 部屋を出て、ふらふらと廊下に出る。居間はもう抜けられない。メイは向こうにいるだろうか。でも、居間を抜けた先は、母さんの部屋だ。

 ああ、母さん。貴女はこの夢の中で、灰になってしまうんですね。茶色いのみたいに。

 思ううち、服に火が燃え移る。

 メイも見つけられず、母さんも守れない。なんて夢の中の僕は、滑稽で無力なんだろう。

 こんなことならいっそ、僕も燃えてしまいたい。いや、もしかして、僕が死ねば、この夢は覚めるのか。

「そう、なら」

 きっと、目覚めたら。

「またメイや母さんに会えるよね」

 それならば躊躇など生まれやしなかった。

 僕は部屋の火の海に身を投げた。


 数時間後、火はどうにか消し止められた。他の家に飛び火することはなかった。

 だが、機織りマーガレット宅は全焼。飛び火がなかったのは奇跡と言えよう。

 家主であるマーガレットは行方知れず。この火事で亡くなったと思われるが、遺体は発見されていない。

 その息子、アルルは意識不明ながらも、どうにか一命をとりとめ、町医者ヨセフスが怪我の治療をしている。


「ったく、あいつめ。厄介な役回りを私にばかり押し付けおって」

 そう愚痴る茶髪の町医者は、移した視線の先で眠る黒髪の少年を見、眉をひそめる。

「本当に、嫌な役だ」

 ヨセフスは手元を見下ろす。その手の中には「僕の可愛い黄色い人」が握られていた。彼が以前、アルルに読み聞かせた本だ。

「なあ、どうしてこうなった? ——ルよ」


 目を開けると、そこは白い天井、白い壁、白いベッド。ほとんどが白で統一された清潔感溢れる部屋。見たことがある。ここは診療所だ。僕はやっと、目を覚ました。

 起き上がろうとすると全身に痛みが走った。ぐ、と呻くけれど……あれ、メイがいない。

 嫌な想像が脳裏をよぎる。が、それを振り払うように首を横に振ると、頭がずきずきと痛んだ。

「アルルくん、いきなり動かない方がいいと思うよ。何せ今度は十日も寝込んでいたんだから」

 声の方を見れば、淡いカーテンから、ヨセフス先生が入ってきた。

「瀕死の重症、といっても過言ではなかったんだからね。体の怪我は少なく済んだけれど、火のせいで起こった有毒ガスを吸って、虫の息だったんだ」

 え?

 待って。何? 火? 火って。それに先生、「今度は十日も」と言った。それはつまり。

「先、生。僕の、家は?」

 恐る恐る、問いを口にした。

 先生はさらりと答えた。

「全焼したよ」



コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?