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第2話 ゲリラ豪雨

 午後二時を少し回った頃、とうとう雨が降ってきた。それも、バケツをひっくり返した様な。


「うわぁゲリラ豪雨だ。ひどいなあ。こりゃゴルフやスパの連中、今頃大変だ」


 ベル仲間の土浦は大きくため息をついた。すらりと長身の同期は、悪態をついても様になる。

 併設ゴルフ場のお客様は、多少の雨でもそのままプレイを続行する。スタッフもレインコートや傘をいつも出せる様に用意している。

 だがゲリラ豪雨となると話は別だ。ちょっとやそっとの装備では役にも立たない。

 それだけじゃない。雷の危険性もある。ゴルフ専用のフロントは雷の情報を受け取ると、お客様を引き上げさせる。濡れた身体を温めて欲しいと、リゾートホテルもう一つの「売り」であるスパへと導く。

 スパ。温泉大浴場。年配の客には「お風呂」と簡単に言われることが多い。

実際俺も研修の時に利用して「スーパー銭湯みたいだ」と思ったものだ。

 そこでは大量の新聞紙と、大きなタオル地マットを用意して、濡れねずみになってしまったお客様を待ち受けているはず。

 そんな手間を皆に掛けさせるゲリラ豪雨が、扉の前で待機している俺達の眼前で始烈な音を立てて降り注いでいる。

 ちなみに、身体のだるさは降っても変わらない。

 ああこの低気圧は長引くな、と俺は忌々しく思う。たいていは降り出してしまえば調子は良くなるはずなのに。

 こんな日にも、お客様の出入りは晴れた日とさほど変わらない。昼少し前にチェックアウト、午後二時から四時辺りに大半がチェックイン。しゃんとしなくては。

 この「リベルタ」は部屋のオーナー権を持つ会員か、もしくはその紹介を受けた人しか受け入れない。

 例外は日帰り。それでも基本は「予約客」。ゴルフだけ、大ホールで企業セミナー、はたまた結婚式。

 いずれにせよ、予約客。飛び込みということはまず無い。そして雨が降ろうと風が吹こうと。そうそう簡単に予定は変わらない。無いことは無いが、滅多に無い。

 だから俺も、だるい身体もずきずき痛む頭も我慢して、お客様を笑顔で見送ったり迎えたつもりだった。

 のだが。



「あの……」


 三時半を回ると、チェックインのお客様が一段落する。ラウンジも静かになり、一息ついていた時だった。

 不安気な顔でフロントデスクの女性がチーフを呼びに来た。どうしたのかな、と俺はちら、とその後ろ姿を見送る。


「何だろね」


 土浦が後ろから肩に肘を乗せてくる。こういう時、やや身長差が気になる。

 同期のベル係は男子も女子も、すらりと背の高い者が多い。

 フロントはそれこそホテルの窓、顔なのだから、採用時に容姿もある程度響いてくる。土浦も三島も比較的整った顔や体型だ。

 俺は一般的成人男子としては決して小さくは無いと思う。ただ、この同期のフロント仲間の中では男女合わせて下から二番目だ。

 土浦は同期の中で一番長身だ。三島は女子の中ではずば抜けている。どちらも俺より頭半分以上背が高い。

 同期の友人として、二人とも気のいい奴等だからだが、「小柄で可愛い」とからかわれるのは時々たまらないものがある。

 うるさい、といつもの様に土浦を肘でぐいぐい押し退ける。コンプレックスを刺激されるのは嬉しくない。

 そういえば、東条も土浦より少し低い程度だ。180センチ位か。長身で、しっかりとした体つきだ。

 彼も時々「小柄で可愛い」発言をする。だが不思議なもので、東条に対してはそれがさほど気にならない。

 やがてフロントチーフがやや険しい表情で戻って来た。普段が溌剌と明るい人だけに、何かあったんだろうか、と俺はやや不安になる。土浦も手を離す。


「ちょっと皆、集まって下さい」


 チーフはそう言うと、スタッフを扉近くのカウンターに集めた。

 どうしたのだろう、と同じ制服の男女は皆で顔を見合わせる。ふう、とチーフは一つため息をつき、外を指さす。


「ただ今、伊豆諸島へ向かうフェリーが軒並み欠航した、という連絡が入りました」


 へ? と俺を含めた皆が首を傾げる。


「ゲリラ豪雨、とは良く言ったものです。こちらより東寄りにある伊豆半島の方に、先に局地的豪雨が降り出しました。それで安全確保のためにフェリーはいち早く欠航を決めたということです」


 皆、神妙な顔で受け止めている。これからチーフが言うことを薄々感づいている様だ。


「それで、H島にある系列のリベルタに泊まるはずだった団体が、今、一番近いこちらに回されて来るそうです」


 う、と誰かの口の中でうめく声がする。


「な、何人くらいですか?」


 やはり誰かが問いかける。そう、それは重要だ。


「観光バスが二台。今のところ伝わってきたのはそこまでです。次の連絡で、H島からの予約内容や人数、男女の数、食事の選択とかまとめて伝えてくるはずですが……」


 それは多い。だいたい一台で三十名から四十名として、二台なら。


「空室はあるのですか」

「今日は平日ですから、東棟を使えば間に合うとは思います」


 このホテルはフロントやショップ、カフェの入る棟を中心に、東西両翼に八階建ての棟がある。

 普段良く使われるのは西棟だった。こちらは1フロア十六室。一番狭い部屋でもリビングとベッドルームを兼ねた部屋に和室がついて、十分広い。

 一方、東棟は基本的にスイートルームである。1フロアに八室しか無い。ベッドルームは別にあり、調度も西棟のものとはものが違う。浴室の広さもゆとりがある。

 無論それだけに宿泊料金の違いもあり、泊まる人々も限られている。シーズ

ンオフの平日なら、半分以上空いていることもある。そこなら利用が可能だった。

 ただ多少の問題はある。スタッフ人員だ。

 元々平日は客足が少ない。加えて梅雨時。シーズンオフだ。

 そういった時期には、それまで取りにくかった有休を消化する者が多い。東条からそう聞いていた。

 実際、土日に比べてこのフロントに待機している人数も少ない。

 それに、フロントだけじゃない。ホテルにある三つのレストランと一つのティールーム。そちらも平日対応の用意しかしていないだろう。 

 やがて耳につけたインカムからやってきた伝達に、チーフは苦い顔をした。


「どうしたんだろ」


 俺は土浦と顔を見合わせた。


「あ」


 ふと三島が口に手を当てる。


「もう四時近いじゃない! 大変!」


 それが? という顔で俺達は彼女の方を見る。


「鈍いわね! ルーム係の人達、三時まででしょ!」


 げ、と土浦は口の中でうめいた。確かにそうだった。

 客室清掃専門のスタッフの大半はパートのオバちゃん達だ。彼女達は九時から三時の六時間、実質五時間労働が普通。

 管理役の男性や、女性のリーダー格になると、五時までの八時間労働に切り替える者も居るけど、主婦が大半の、この時間帯を選んで働いている彼女達は、既に帰宅しているはずだ。

 これから使いたい東棟には、通常彼女達は1フロア四人で対応する。八部屋を四人で五時間だ。


「今、何人のそちらのスタッフが残ってますか?」


 インカムでチーフは問いかける。いつも以上に厳しい表情だ。少なくともお客様に見せてはいけない類の。

 このホテルの部屋の定員は、大小に関わらず一部屋につき五人。

 バスが二台、最高八十人とすれば、十六部屋は必要だ。単純計算で2フロア。けど実際は家族単位、友人単位で一部屋だろうから、予想よりもっと多くなる。

 それだけの部屋を今から用意しなくちゃならないのか! 

 そう考えた俺がよほど不安そうな顔をしていたらしく、三島は肩をすくめて言った。


「伊之瀬くん、そんな顔しないでよ。まるで私が可愛い子をいじめたみたいじゃない」

「おい!」

「三島さん、私語は慎しんで下さい」


 チーフは相変わらず険しい顔だ。耳にしたインカムから送られて来る情報にひたすら集中しようとしている。

 やがて「判りました」と言うと、部下の方へと向き直った。


「ルーム係のチーフによりますと、東棟には掃除のできている空き部屋が充分あるそうです」


 それを聞き、やや皆でほっとする。


「ただ空いているとは言っても、数日間お客様がいらっしゃらなかったから、セッティングは必要です」


 セッティングとは、掃除した当日に使われなかった部屋のリネンやアメニティグッズ、ウエルカムフルーツ等の用意、埃や汚れのチェックをすることだ。

 数日、という言葉に土浦が軽く反応する。三島は俺達にこそっと囁く。


「だいたいウチはどっちの棟でも、景色を考えて、上からお客様入れてくじゃない」


 そうだな、と今までの経験から俺達はうなづく。


「それと利便性とか安全とかバリアフリーを考えて二階三階、とか。四階から六階の、特に東棟の部屋ってのは、掃除はしておいて、普段使わないことが多いらしいのよ」

「……へえ、それも聞いたの?」

「まあね。それに通勤階段の側にあるホワイトボードにあるルームスタッフの名前表見れば判るわよ」


 その日の利用状況は他部署のスタッフにも一目で分かるという。


「そして今現在残っているスタッフは、四人です」


 チーフは言う。その中でも、毎日毎日ルームメイクをしている女性スタッフは二人しか居ないと。


「正確な必要な部屋数は連絡次第ですが、一応空いたフロア、空いた部屋を全部使うつもりで。で、荷物運びとかの応援を少し欲しいということです」

「それだけでいいんですか?」


 思わず俺は聞いていた。


「あまり多くても、手順の決まった仕事ですし、下手な手出しなら邪魔になるだけですからね」


 そこで溜まっていた関係か、俺と土浦、三島にチーフは命じる。 


「すぐにバックヤードのルーム係の所へ向かって下さい」


 はい、と俺達は揃って返事をした。


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